市民プールで完璧主義の生徒会長は本音を言う練習をする

市民プールで完璧主義の生徒会長は本音を言う練習をする 第25話「第23章」

水面に夕陽が漏れて、プールサイドのタイルが金色の網目になっている。澄は膝を抱えて、冷えたコンクリートの段に座っていた。髪の先を潮の匂いのような消毒液の香りがなぞる。水の揺らぎが小刻みに耳を打つたび、胸の中の空白がざわついた。

水面に夕陽が漏れて、プールサイドのタイルが金色の網目になっている。澄は膝を抱えて、冷えたコンクリートの段に座っていた。髪の先を潮の匂いのような消毒液の香りがなぞる。水の揺らぎが小刻みに耳を打つたび、胸の中の空白がざわついた。

「思い出せるか?」陽(はる)が近づいてきて、低く訊いた。彼の影が澄にかぶさる。陽の手には、前日の記録会で使った小さな木箱がある。木目に指紋の油がついていて、まだ塗料のにおいが残る。共同で作った証拠を、みんなの前で回していたものだ。

澄は喉を鳴らして首を振った。「言葉は——出るのに、意味だけが抜ける。具体的な語が出ないんじゃない、語が空を通って向こう側へ行ってしまうみたいで……」

陽は唇を噛んだ。横にいた真優(まゆ)が肩で息を吐く。彼女は小さなスケッチブックを抱えていて、紙の端が水に濡れたように波打っている。周囲には、レン(れん)と結衣(ゆい)、ほかの仲間たちが輪になって座っていた。みな、澄の“抜け”の度合いに顔を曇らせている。

「裁判の方は足踏みしている。業者が差し止めを掛けられないって、弁護士が言ってた。市民の支援が強くて、法廷の空気が止まってるって。だけどそれで終わりじゃない」レンが言った。彼の声の端に焦りが混じる。レンはプールの跳板の端に腰掛け、指先で表面にさざ波を描くように触っていた。跳板は古いゴムの匂いがして、足裏に馴染む感触がある。

「抜けた記憶は戻るの?」結衣が真顔で澄を見下ろす。水の光が彼女の瞳にちらついた。

澄は両手を見つめた。昨夜、あの木箱に二人で絵を刻んだときのことは断片的に残っている。缶切りのざらつき、レンの汗の塩、ペン先が跳ねた瞬間の小さな痛み。だが、どうしてその絵を刻んだのかという動機は、掌の下に滑り落ちたかのように薄れている。「刻んだはずの言葉の意味が、箱の中に行った。そこにあるって分かるのに、私の中にはない」

真優の手が小さく震えた。「この力って、やっぱり——」言葉を切ると、彼女は周りの顔を一つずつ見た。誰も確信がある表情はしていない。

「俺たちが作ったものにだけ痕跡が残るってルールは本当だ。でも、決めつけると見えなくなるってのも、試してわかった。役所の人たちに『これで証拠になるか』って一気に尋ねられて、みんなで答えようとしたら、何も残らなかったんだ」陽が木箱を膝の上でひねる。木の香りが漂う。

「急ぐと壊れる」結衣がつぶやいた。「共同制作って、言葉にする前に時間を共有することなんだと思う。焦って説明しようとすると、向こうが萎む」

「それに、代償が大きすぎる」とレンが言った。「澄、昨日の夜何度か力を使っただろ? そのあと、頭痛と記憶の穴ができた。あれはただの疲労じゃない。君の中の何かが、そっちへ移っている気がする」

澄の手が震えた。掌の痛みがふっと広がる。頭の中にぼんやりとした亮(あきら)——彼女がかつて大声で告げた名前の集合体があるような気がして、それを触ると手元からすべるように薄れていく。彼女は立ち上がり、水面に指を差し入れた。冷たさが喉の奥まで染みて、ひとつの画面のように視界に過去の断片が流れ込む。そこにあったはずの言葉が、指先の水とともに波間へ消える。

陽が素早く彼女の肩を掴んだ。「今、証拠をどうするかって話題になってる。市の資料館に集めるって案があるけど、そうすると公的に保管される。業者が文書で押さえようとしたら、物理的に回収されるかもしれない」

真優がスケッチブックのページを一枚めくり、そこに描いてあった図を示した。プールの浅い部分を使って小さな共同制作の場を作るスケッチだ。石を埋め、ガラスの欠片をモザイクにして、百人が小さなものを差し入れられるようにする。共同で作るものは一点に集中させず、分散させる——そうすれば一つが壊されても全てが消えるわけじゃない。

「分散させるんだね。記憶を一箇所に置かない」結衣が肯いた。「それに、作るときに誰かが『これはどういう意味?』って決めつけないように、作業は黙々とやる。声に出して説明しない。触れるだけで重なっていくやり方にする」

陽が曇り顔で見下ろす。「問題は時間だ。法的な手続きが動き出すと、物理的な回収が起こる。業者は性急だから、朝一でプールを封鎖するかもしれない」

「なら夜通しでやるしかない」とレンは即決の調子で言った。「市民に呼びかけて、夜に集まって、『共有のモザイク』を作る。明け方までに完成させて、出来上がったものを公開するんだ。公開すれば勝手に壊せない。多数の市民の参与の記録が形になる」

澄は顔を上げ、水面に映った自分の目を見た。そこに残る不安とわずかな決意。だが、言葉がまた喉で引っかかる。レンが差し出した布の端に触れる。粗い繊維の感覚が彼女の指先を固めた。

「でも」真優が手を掲げ、声を下げる。「一つだけ。必ず守ること。誰かが『これはこういうものだ』ってラベルを貼らない。作るとき、誰も意味を押し付けないで。解説は後で市民自身が読むためにするけど、その場では絶対に言葉にしない」

みんなが合いの手のように頷く。澄は小さく笑ったような息を漏らした。笑いというより、合図のようだった。彼らは静かに立ち上がり、荷物をまとめる。レンはジャンパーのポケットから小さな瓶を取り出した。透明な瓶の中には、折りたたんだ紙片が二つ入っている。蓋はロウで封されていた。

「これが――」陽が言葉を切った。「確かめるために澄と作った最初の刻印物だ。俺たちの試みがどう機能するかを示すために、少しだけ書き込んだ。澄、触ってもらえるか?」

澄は瓶を受け取る。ガラスの冷たさが掌に伝わり、そこに自分の体温が伝播するのを感じた。しばらく見つめてから、蓋に唇を寄せて息を吹きかけた。ロウが柔らかくなって、剥がれ落ちる。中の紙片の端を指で摘むと、紙の表面に触れた感覚が手元で膨らんだように思えた。記憶の断片が一瞬だけ鋭く戻る。澄はそこにあるはずの言葉の一部を見た気がしたが、次の瞬間にはその意味が再び溶ける。

「見える?」結衣が息を詰めて覗き込む。

澄は紙片を床に落とすように手を離した。紙はタイルにふっと触れて、音もなく止まった。そこに書かれた字は、彼女の目には読み取れなかった。代わりに、掌に軽い負担感が残る。心臓のあたりが空いているようで、そこに何かが移動した気配がする。

「やっぱり」とレンが低くつぶやいた。「君が使うと、記憶の一部が物質に移る。移ったものは、君の中から抜ける。だから今、澄は自分で決められない。決定権が物に預けられている。もしその物が敵の手に渡ったら——」

「奪われるってこと?」真優が言った。彼女の声に怒りが滲む。

「奪われる、あるいは歪められる。物に入った記憶は、そこを開ける人間に解釈される。開け方、見せ方を握られると、その記憶の『意味』を他人が作り替えることができる」レンが冷たく言った。

沈黙があたりを包んだ。プールの水面が夕闇の色を引いて、向こう岸のビルの窓が一つ、二つと灯る。遠くで自転車のベルが鳴り、市民の日常が続くのを聞くと、急かされる心の音が一層大きくなる。

真優がスケッチブックを抱きしめる。「だから、作るものは公開する。透明に、みんなの手が触れてい