天文台で未来を怖がる恋人たちは同じ夢を選び直す 第1話「序章」
ドームの中は、赤い非常灯の薄い輪郭だけを残して暗かった。鉄とガラスの球体がひそやかに息をしていて、空気の流れが金属の継ぎ目を撫でると、低いうなり声のような音が耳の奥に響いた。ミナトはその音をいつも「天文台の呼吸」と呼んだ。今夜は、それがやけに早く、浅く思えた。
ドームの中は、赤い非常灯の薄い輪郭だけを残して暗かった。鉄とガラスの球体がひそやかに息をしていて、空気の流れが金属の継ぎ目を撫でると、低いうなり声のような音が耳の奥に響いた。ミナトはその音をいつも「天文台の呼吸」と呼んだ。今夜は、それがやけに早く、浅く思えた。
「ここ、本当に大丈夫かな」
アヤの声は、指先から零れるように小さかった。手元の作業テーブルに置かれた小さな模型星—薄紙と樹脂、銀の細線で組んだ直径七センチほどの球—を彼女は指で転がす。皮膚に触れたとき、樹脂の端が冷たく、彼女の指先にわずかな粘りを残した。
ミナトは息を吸って、赤い光に照らされた彼女の横顔を見つめた。アヤの瞳に映る光が、ほんの少し濁っているように見える。隣のテーブルには二組のピンセット、二つの小さなスポイト、同じ高さに置かれた二つの木のヘラ。すべて対称に並べられている。彼らはいつも、対称が安心をくれると思っていた。
「三十分しか猶予がないってさ」アヤが壁の片隅に貼ってある紙に指を滑らせる。公式の体裁の紙には、細い字で「施設保全のため一時閉鎖」とあった。下に手書きで「本日23:30より」と朱で加えられている。
ミナトの口から、言葉が出ない。時計の短針は、やけにゆっくりと回っているように見えた。彼らがここにいるのは、慣れ親しんだ趣味のためでも、単なる逃避でもない。「同じ夢を選び直す」ためだった。互いに将来を語るのを恐れる代わりに、二人で作るものにだけ、本音の痕跡が残るという方法を選んだ。言葉は嘘をつく。物は嘘をつけない。だから彼らは物に賭けた。
「手順、ちゃんと同じにするよ」ミナトが言う。手の震えを抑えるように、彼はスポイトの先を指先で確かめる。二人同時に同じ速度で一滴ずつ樹脂を垂らす。二人同時に同じ位置に細線を入れる。二人同時に、最後の瞬間だけ目を閉じる。
「無理に決めないこと」アヤが囁く。「先にこうだって決めつけたら、見えなくなる。前に――」
アヤは言葉を飲み込んだ。ミナトは前の失敗の断片を思い出した。力みすぎて、彼女が「私たち、どっちかが我慢するだけの関係にはなりたくない」とつぶやいたとき、ミナトはその一言を引き取ろうとしてしまった。彼はアヤの顔を見ないで、自分の中でその返事を決めた。「大丈夫、俺が合わせる」と。結果、模型は淡くしか応えず、翌日ミナトはその場面の細部を忘れてしまった。薄れた記憶。重たい空虚。
「覚悟、できてる?」アヤが目を閉じている。彼女のまつげの下に、赤い光が一瞬揺れた。
「できてる」ミナトは言った。嘘でもいい。二人で同じ嘘をつけば、嘘も痕跡になるだろうか。彼はニットの袖をまくり、時計を外した。腕に残るわずかな筋が赤い光の下できらめいた。
「じゃあ、やる。せーの、で」アヤが息を吐く。二人は顔を見合わせ、無言の了解を交わした。目を閉じ、呼吸を合わせる。天井のドームが、ほんの小さく金属音を立てた。
「いち、に、さん…」
同時にスポイトを傾ける。透明な樹脂が、模型の小さな凹みに落ちる。二つの動きは、練習通りぴたりと合った。ヘラが同じ角度で滑り、気泡が上がる。最後に二人は同時に息を吐いて目を開けた。
模型が、淡い光を放った。
最初は微かな白い星屑のようなものだった。だがすぐに色が混ざり合い、淡い藍と銅の光が球体の内部で踊り始めた。ミナトの胸に、熱い感覚が押し寄せる。アヤの手がふるえた。その光は、彼らの記憶の断片を呼び起こす——記憶ではない、感情の痕。誰かの心の匂い。二人で作ったものの中にだけ宿る、他人には見えない痕跡。
「あ、見える…」アヤが低く笑った。一瞬、模型の光が彼女の瞳に寄り添うと、小さな場面が浮かんだ。白い校舎の長い廊下。手を伸ばす小さな手。ミナトはその場面に見覚えがない。アヤの中の、留学を迷った夜の残滓かもしれない。
だが同時に、ミナトは自分の胸の奥に刺さっていた映像を見た。海沿いの雑貨屋。薄い夕焼け。カウンターの向こう側で、笑っている自分。そこにアヤは立っていない。模型の中はふたつの違う音が同時に震えるように存在していた。互いの痕跡を互いに覗き込むこと。そこにやっと彼らは寄り添う言葉の代わりを見つけた。
しかし、光がふと乱れた。ミナトが一秒だけ、心の中で答えをつくろうとしたのを模型が察したのだろうか。彼の頭の中に「一緒にいる」と決定的に選ぶ言葉が閃いた瞬間、模型の光斑が裂け、内部で細い線が走った。かすかな音がして、模型の表面に一本のヘアラインクラックが入った。
「ごめ…」ミナトの声は砂を噛んだようだった。アヤは模型の割れ目を指で撫でる。光は半分だけ戻り、先ほど見えた海も廊下も色を失った。
「急いじゃダメって言ったでしょ?」アヤの声には怒りと、そして焦りが混ざっていた。彼女は自分の胸の中を見透かされたような顔でミナトを見た。「急ぐと、共同が壊れる。ほら……」
二人はその場に、重く沈んだ。模型の割れ目からは、淡い光の粒が漏れ続けている。ミナトの視界の端で、赤い非常灯が少しだけ明るさを増し、外の廊下に人影が動いたように見えた。誰かが閉鎖手続きを進めている。時間は刻々と減る。
「代償が来るよ」アヤが囁いた。かすかな震えが彼女の声に宿る。二人ともこれを知っていた。共同で何かを刻むと、記憶の一部が曖昧になる。心と身体に、短い倦怠が降りる。前回それでミナトは、アヤが笑った夜の色を半分忘れた。だから決して気軽にはできない。
「行くよ」ミナトは模型をそっと手に取る。ヒビが指に触れて冷たかった。模型からはかすかな温度が伝わり、同時に頭の中に小さな穴が開いたように感じる。直前に交わしたはずの言葉が、一つ抜け落ちている。何だったか思い出せない。ミナトの胸に、小さな恐れが蠢いた。
だが外では、閉鎖の音が現実味を帯びていた。ドームの外通路でスピーカーが低く告げる。「施設管理局より通知します。本日23時三十分をもって、一時閉鎖の手続きを開始します。利用者の方は速やかに退出してください」声は無機質で冷たく、遠くの壁に反射していた。
「これ、どうする?」アヤが模型を見上げる。割れ目が光を屈折させ、そこに見えない文字のようなものが一瞬だけ浮かんだ。二人の痕跡の交差点ではあるはずのそれが、見慣れぬ形をしている。アヤもミナトも、その図形を覚えがない。
ミナトの心臓が早鐘を打つ。倦怠感が腕に広がり、言葉を紡ぐのが重たくなる。だが同時に、好奇心が少し灯った。共同で作ったものに残るはずの痕跡が、どこか別の手の気配を帯びている。誰かが以前ここで何かを残していたのか。あるいは、閉鎖の準備をしている誰かが彼らを見て、痕跡に触れたのか。
「一度、確認しよう」ミナトは言った。声は頼りなかったが、決意が滲んでいた。アヤは彼を見て、小さく頷く。模型を箱に入れるには割れが怖かったが、放っておけば光が消えるかもしれない。二人が選び直すために必要なものが、今、そこにあるのだと彼らは知っていた。
外からはもう一度、スピーカーの声が聞こえた。「利用者の方は速やかに…」言葉は途切れ、廊下の向こうで扉が金属的に閉まる音がした。選択の時が来た。調べるのか、隠すのか。それとも、ここで終わらせるのか。
ミナトは手