古民家シェアハウスで秘密を共有する医学生は一緒に休むことを覚える

古民家シェアハウスで秘密を共有する医学生は一緒に休むことを覚える 第18話「第16章」

スマートフォンが十本以上、同時に震えたような音を屋根の梁に跳ね返る。鳴り続ける通知の群れが短く、一秒ごとに重なっては消えていく。葵は畳に座り込んだまま、音だけを数えていた。隣の座布団は、真琴がいつも座っていた位置のまま、ぽっかり空いている。座布団の縁に付いた糸くずが、ふとした拍子に指先に触れて、水面のように記憶を揺らした。

スマートフォンが十本以上、同時に震えたような音を屋根の梁に跳ね返る。鳴り続ける通知の群れが短く、一秒ごとに重なっては消えていく。葵は畳に座り込んだまま、音だけを数えていた。隣の座布団は、真琴がいつも座っていた位置のまま、ぽっかり空いている。座布団の縁に付いた糸くずが、ふとした拍子に指先に触れて、水面のように記憶を揺らした。

「戻ってきたら、ここにいた時間の話を全部するって言ってたのに」紗夜の声が割れて、薄暗い居間の木の匂いを裂いた。窓の外は夕立が去った後で、屋根に残る雨粒がランダムに光っている。古い戸のきしみ、柱に残る手の脂の匂い。全てが、真琴の不在を証言する。

卓上には、破られた写真の切れ端が重なっている。誰かが輪郭だけを残して切り取った集合写真の一部。多くのものは切られ、コラージュされ、匿名のアカウントによって拡散された。「あいつらがこう言ってる」「大学は反応してる」と、亮がスマホの画面を振り上げるたびに、部屋の空気が重くなる。

「葵、使ってくれ」と紗夜が言った。目は、訴えるよりも命令に近い。彼女は顔を上げられず、膝の上で手を握ったままだった。「あの写真が改ざんだってわかれば、真琴は戻ってくる。戻ってこれるって証明して。お願い」

葵は息を吐いた。手のひらにいつもと違う湿りを感じる。それは春先に覚えた力の残り香で、二人が共同で作ったものにだけ、相手の気持ちの痕跡が残る――という自分の持ち物だ。条件も代償も、頭では何度も整理してきた。痕跡を見定めようとして断定するほど、それは曖昧になり、共同作業を急かせば形そのものが壊れる。さらに、誰かの選択の上に自分の解釈を押し付けてしまえば、その人の「決める力」さえ奪ってしまう。

「私に...」葵は躊躇って言葉を切る。右手を差し出し、写真の切れ端に触れようとすると、紗夜がかぶさるように腕を伸ばした。手のひらが紙に触れた瞬間、小さな電流のような感覚が葵の掌を走る。柔らかな暖かさ、真琴の吐息のような湿り、彼女が笑いながら紙を持った指先の圧力。断片的で、匂いと音が二、三度フラッシュして消えた。

「――駄目、強く決めないで」葵は自分に言い聞かせるように唇を噛む。紗夜の視線が鋭くなる。「分からないの? 俺たちは証拠が要るんだ。真琴は今、気づかれないところで消えてる。葵、君の力で、彼女がどこにいたか、何をしたかを見せて。学内にも」「それは暴力だ」と葵は言った。言葉が出ると同時に、喉に小さな違和感が走る。力を使うたびに得る代償が、今も呼吸の端に滲んでいる。

「暴力だって?」亮が反発した。顔を鉄仮面のように固める。「じゃあ、やらないで黙ってるんだな。真琴がいなくなったのは放置するってことだろう。黙認だ」

「黙認じゃない。選ばせるってこと」葵は静かに言った。「真琴がどうするかは、彼女が決める。私が手をかざして記憶を引っぱり出すのは、戻る理由を作るかもしれない。けどそれは、戻ることを真琴の意思に見せかけて強制するかもしれない。私には、その選択を奪う権利はない」

怒りと不安が室内でぶつかり合う。窓に雨の滴が流れ、いつもなら居合いのように整った古民家の空気がばらばらに震える。紗夜が椅子から立ち上がり、テーブルを拳で叩いた。木の響きが鋭く、家中に伝わる。

「だったら、どうしろっていうんだよ。私たちは放ってはおけない。彼女を守るために何かしなきゃ――」

「共有するものをもう一度作ろう」葵の声は小さく、だがその提案には筋が通っていた。「強制しないで、真琴が自分の手で触れて、そこに自分の痕跡を残す機会を作る。そのために私たちができるのは、戻って来たときに触れるものを用意すること。帰るか帰らないかは真琴が決める。だけど、選べる余地を作っておく。私はそれを壊すつもりはない」

紗夜の表情が一瞬崩れた。亮は納得しない顔をしたが、どこか腑に落ちないまま頷いた。透が、玄関の方を見て静かに言った。「荷物は置いていった。彼女、最後にこれを書いてた紙、見たか? 『また座れるなら』ってだけ。意味深だな」

葵は立ち上がり、荷物のある玄関へ向かった。真琴のキャリーケースは半開きで、洋服が乱暴に詰められている。上着のポケットから、折りたたまれた薄い布がはみ出していた。手に取ると、それは家のために真琴が縫った、小さな布タグだった。三人で作った大きなタペストリーの端に付けるはずのものだった。

掌に布を載せると、ふわりと温度が戻ってくる。布に触れて流れる記憶は、はっきりしていて、だが触れた瞬間に消える。真琴の指の力、縫い目を数える口ぶり、夜中に笑いながら針を落とした音。葵は息を飲んだ。視界の端で、ひとつの景色が揺れ、木目の壁に真琴の影が短く落ちた。

「作ろう。タペストリーを、今日から完成させる」葵はその布を持って居間に戻った。「私が痕跡を暴いて真琴を無理やり戻すんじゃなくて、彼女のための『戻れる場所』を作る。共同で作るものなら、彼女が触れたらそこにしか残らない。その痕跡は、私たちの押し付けじゃない。真琴の選択になるはずだ」

紗夜が目を潤ませ、深く息を吸ってから笑った。亮はまだ半信半疑だが、黙って裁縫箱を取り出した。透は壁の古い電球に手を触れ、柔らかな光を確かめる。三人はそれぞれ、道具をとった。

最初はぎこちなかった。急いでしまうと針が布を引っかき、ミシンの調子が狂う。葵が一度、力を込めて「ここにはこういう意味がある」と言い切ろうとしたその瞬間、布に吸い込まれて見えたはずの真琴の笑いが、一瞬で白い空白に変わった。紗夜が咄嗟に手を引き、二人とも肩をすくめた。

「やっぱり、決めつけると消えるんだ」と紗夜が呟く。声が震えている。葵は手をゆっくりと布の上に置き、ただ一緒に縫う手のリズムに身を預けた。糸が通る音、針が生地を抜く音、窓辺の水滴がわずかに奏でるリズム。共同作業は、誰かが急いで答えを出すよりも静かに時間を刻む。

一針ごとに、葵の中の重みが少しずつ変わっていく。力を使わずとも、布に触れ、同じリズムで針を動かすと、ふとした瞬間に小さな断片が戻ってくる。真琴がここで笑ったこと、ここで寝落ちしていたこと。だがそれらは、断言できる物語ではなく、匂いや温度、指先の向きとして残るだけだった。葵はそれで十分だと感じた。真琴の声を「証拠」として切り取るのではなく、戻ってくれば確かめ合える「文脈」として置いておくほうが価値がある。

ふと、玄関の戸が静かに開いた。誰かが戻ってきたのかと全員が身を固くした。戸の隙間から覗いたのは、隣家の老婦人だった。濡れた傘を傾けて彼女は小さな包みを差し出す。「あの子のものよ。あの日、うちに忘れてたのを預かってたの。家族かと思って」包みを開けると、中には真琴が使っていた陶器の小皿が入っていた。釉薬の一部に、共同で描いた小さな花の絵が残っている。

葵はその皿の縁に指をあてる。温度は人肌を思わせ、つい先まで誰かがそこに触れていた証拠のようだ。だが紗夜がまた言葉を急ぐ。「それでいいのか? この皿を見せて『彼女はここにいた』って言ったら、みんな納得するんじゃないのか」

葵は皿を見つめた。皿に触れると、真琴の小さな声が漏れ出すように感じる。だが同時に、皿を証拠として提示す