屋台街でライバル店員は最後の夏を記録する

屋台街でライバル店員は最後の夏を記録する 第13話「第12章」

串を焼く音が、小刻みに屋台の夜へ落ちていく。油のはじける匂い、炭の匂い、懐かしい夏の湿度が肌にまとわりつく。宮本蒼は、右手に包帯を巻きつけながら、隣の屋台の暖簾越しに並ぶ人々の笑顔を見た。彼らの声は、昨日までの喧騒と同じようでいて、どこか柔らかさを帯びていた。炭の上で転がる串が小さく金属音を立てるたび、蒼の胸の奥で欠けていた何かが、薄く触れられていく気がした。

串を焼く音が、小刻みに屋台の夜へ落ちていく。油のはじける匂い、炭の匂い、懐かしい夏の湿度が肌にまとわりつく。宮本蒼は、右手に包帯を巻きつけながら、隣の屋台の暖簾越しに並ぶ人々の笑顔を見た。彼らの声は、昨日までの喧騒と同じようでいて、どこか柔らかさを帯びていた。炭の上で転がる串が小さく金属音を立てるたび、蒼の胸の奥で欠けていた何かが、薄く触れられていく気がした。

「手、まだ痛むか?」

声は低く、ざらついている。滝田蓮が、使い古した木のヘラを拭きながら蒼を見下ろした。蓮の顔に付いた灰が、いつのまにか蒼の目には戦場のしるしのように映ることがあったが、今はただ彼と一緒にいるという事実が明るかった。

「大丈夫。もう、前みたいには使わないって決めたから」

蒼は言いながら、屋台の古い看板を取り出した。最後に二人で共同制作したものを、この夏の記録として残したい。木目に沿って、二人の指跡が付いていくようにニスを塗る。蒼の能力は、共同で作った物だけに気持ちの痕跡を見せる。けれどそれは不完全で、決めつければつけるほど、見えるものがぼやける。早く結論に達しようとすれば、共同制作の糊は切れてしまう。蒼はそれを誰よりもよく知っていた。だから慎重に、言葉を拾うように筆を進めた。

「覚えてるか? 初めてこの屋台街に来た時のこと」

蓮が笑みを浮かべる。蒼は目を閉じた。夏の夜、雨上がりの路地。若干の恥ずかしさと、客と店の境界を行き来する期待。けれど思い出そうとすると、その輪郭がいつの間にか薄れていった。十一章で蒼が払った代償が、記憶の縁を削っていたのだ。能力の代価として、自分の夏の一部が消えた。痛みが胸の底に残ったけれど、それは喪失だけではなかった。失せた記憶の隙間は、誰かに選択を委ねる余白にもなった。

「俺は覚えてる。蒼が初めて看板に落書きをしたとき、店主に怒られてたじゃないか。俺、すげえ焦ったんだ」

蓮が肩をすくめると、蒼の心臓がふわりと揺れた。蓮の温度は、蒼の欠落を埋めるわけではない。けれど欠けを認め合える相手として、そこにいる。蒼は息を吸い、看板に二人の名字の一文字ずつを刻んだ。これを本当に「共同」と呼べるかどうかは、これからの行動が示す。筆を置いた蒼の手が震えたのは、躊躇というより、恐れからだった。能力で他人の気持ちを貪ることは容易い。だがそれは相手の選ぶ自由を奪い、自ら人を塗りつぶす行為だ。

屋台街の入り口から、懐かしい足音が近づいた。桐谷有羽の靴音はいつも速く、それが蒼には嬉しい合図になる。彼女の服には、会議室の硬い光で見た冷たさはない。夜風に揺れる雫のように、柔らかい表情をしていた。

「集まったよ。斎宮さんからの返事、来てる」

桐谷は息を切らしながら手紙を取り出した。それはメールのプリントで、評札会の側近・斎宮理沙からのものであった。十一章で彼女と接触した有羽は、斎宮が悪人でないこと、街の存続と職保証という現実が彼女を制度の守り手にしていることを伝えてくれていた。今、その斎宮が、街に先の一手を提示してきたのだ。

「試験的な共同管理の提案。三ヶ月、屋台街の運営を地域側の代表チームに任せてみる。成功すれば制度見直しの道を正式に検討する――という内容だって」

蒼はその言葉を飲み込んだ。光の違いを思い出す。会議室の硬い蛍光灯は、街の住人の顔を数値に変えてしまう。屋台の暖かい光は、人の決定を呼び戻す。斎宮がこの案を差し出した背景には、評札会の内側で生まれた疲弊と、彼らなりの妥協があるのだろう。有羽は、自分が側近に与えた疑問が、斎宮の胸に刺さったと告げた。誰かが内部から動かなければ、制度は変わらない。

「つまり、選択をするのは、私たちだってことね」

安東が串を手に言った。若いが、目はしっかりしている。彼は屋台で生計を立てる若者の代表格であり、彼にとっては未来も生活も同義だった。隣の老女は違う意見を持っている。彼女は笑いながら、しかし確固たる声で言った。

「私らは長く生きてきた。誰かのために全部を変える勇気はない。だが、わしらが若い者に道を残せるなら、その半分は喜んで譲る」

話し合いは短くは終わらなかった。三時間の間に、誰が残り、誰が側に入るかの選択が積み重なっていった。斎宮は会議室での理詰めだけでなく、懐にある小さな譲歩を持っていた。評札会は街の全員の雇用を保証すること。その代わり、初期の数ヶ月間は厳しい報告体制が敷かれるという。選択は、誰かの犠牲を伴う。けれどその犠牲は、強制されたものではない。人々はそれぞれに基準を持ち、主体的に答えを出していった。

蒼は黙って聞いていた。彼はかつて、「真実を暴くこと」が守る手段だと信じていた。しかし十一章の終わりに、能力の代価で得た喪失は、暴くことが救いにならない場面を教えてくれた。真実は時に他人の選択を奪う。ならば彼は、違うやり方をするしかないのだ。

「蒼、あなたはどうするの?」蓮が木の縁に肘をつき、蒼を見下ろす。炭火の光が蓮の目を赤く照らす。

蒼は看板を半ば抱え、深く息を吸った。手先に残ったニスの匂いが、彼の残存する夏の記憶を引き寄せる。見えたものは、相手の言葉や表情の断片ではなく、共同制作の痕跡、互いに触れた木の油の角ばった形、寄せられた塗料の縁取り、握手の圧力の差。彼は能力を開く。ただし慎重に。決めつけないよう、目を縮め、先入観を追いやる。

木目の中に、蓮の躊躇と笑い、有羽の速い手、安東の力強い押し付け、老女の微かなシワの油、斎宮が差し出した差し金の冷たさ――それらが混ざり合って、ひとつの網目模様を描いた。その模様は、「好意」だとか「約束」だとかいった単語に翻訳できるものではなかった。むしろ、それは「選択の集合」だった。そこに書かれているのは、誰がどこまで自分を出し、どこで折り合うかという分布図だ。蒼が思い描いたような確定的な台詞はそこにない。だがその代わりに、未来の可能性がいくつも見えた。

そして同時に、蒼の指先に鋭い痛みが走った。能力を深く沈めた代償が、記憶の縁をもう一つ剥がしたのだ。彼は一瞬、夏のある匂いが消えたことを感じた。それは、昔祖母が作った小さな揚げ物の匂い、彼がまだ子供でいた頃の路地に満ちていた匂いだった。欠損はまた誰かのための余白になった。蒼は目頭を熱くしたが、同時に安堵も感じた。自分一人で全てを記録してしまえば、その人の選択も固まってしまう。自分が少し忘れることで、相手はより自由になれるのだ。

「仕方ない。俺たち、これを受けるかどうかを決めよう」

蒼の声は静かだったが揺れはなかった。屋台の向こうで、斎宮の車が路地に止まる音がした。重たいドアが閉まると、冷たい蛍光灯のような声が届く。

「提案の受け取り手を決めていただきたい。評札会は、結果を尊重する。だが一方で、具体的な運営案と責任者の名を求めている。時間は限られている」

斎宮理沙がそこに立っていた。黒いスーツは夜の光に浮いて見える。彼女の顔つきには、屋台街の人々が見た以前のものとは違う決意があった。斎宮は自分の行為がどれだけリスクを孕むかを知っていたし、同時に誰かの生活を預かる怖さも知っていた。だが彼女は、その怖さと共にいることを選んだのだ。

会話は続