学生食堂で転校生と委員長は観客のいない舞台に立つ 第27話「第二部幕間」
午後の陽が食堂の長テーブルを斜めに切り裂き、粉っぽい匂いの残る空気を金色に染めていた。皿を重ねる音と遠くで冷蔵庫のコンプレッサーが鳴るだけで、教室の喧騒は消え、ここだけ時間がゆっくり流れているように感じられる。葉山凛はテーブルに広げた薄紙の旗を指先で撫で、そこに残る微かな膨らみを確かめるように息を止めた。佐倉葵は後ろで腕を組み、眉だけを動かして凛を見る。
午後の陽が食堂の長テーブルを斜めに切り裂き、粉っぽい匂いの残る空気を金色に染めていた。皿を重ねる音と遠くで冷蔵庫のコンプレッサーが鳴るだけで、教室の喧騒は消え、ここだけ時間がゆっくり流れているように感じられる。葉山凛はテーブルに広げた薄紙の旗を指先で撫で、そこに残る微かな膨らみを確かめるように息を止めた。佐倉葵は後ろで腕を組み、眉だけを動かして凛を見る。
「触れたところ、光るね」葵が低く言う。彼女の声はいつもの生徒会長の硬さを帯びているが、今は穏やかだ。指先の先の、紙の繊維がほんのりと色を違わせている。光といっても蛍のような発光ではなく、角度によってうつる薄い縞、触れた人の熱を残したような層だ。二人だけが作業したとき、そこに何かが「にじむ」。
「でも、昨日みたいに誰かが解釈をつけたら、消えた」凛は顔をしかめる。数日前、誰かの一言が旗の縞を薄めたように見えた――「あの二人、撮られてたよ」とか「演出だろ」など、彼らの共同制作を勝手に価値付ける声が届くたびに、残光が掠れる。葵はそれを問題だとしか言わなかった。今なら、言葉で決めつけることが――この「痕跡」を壊す、ということを二人とも感覚で理解していた。
仲間たちがやってきた。三宅拓真はエプロンの紐をだらりと結い直し、片手にはいろうとしたレジの伝票を持ったまま腰掛ける。中西まどかは肩にスケッチブックをかけ、表情は柔らかいが目は鋭い。高柳優里はまだ顔色があまり良くなくて、髪を耳にかけるのにぎこちない。
「高柳、大丈夫?」葵が尋ねると、優里が小さく笑って「今日は座って見るだけです」と答えた。短い劇の後に崩れた彼女の体がまだ回復途中であることは、誰の説明もいらなかった。みんなで作ることの代償は、既に一度払われている。
「じゃあ、実験するよ」まどかがスケッチブックを開いて、そこに小さく丸い紙皿を置く。三宅がコーヒーの湯気を避けて、二人が同時にその皿に指を置くよう促す。凛と葵は目線を合わせる。二人が同時に、ゆっくりと触れる。触れ方は繊細で、互いに呼吸を合わせるみたいだ。
触れた部分だけ、皿の白がわずかに透けて、光の縞が現れる。まどかが息を漏らし、優里が目を細める。三宅は「おお」と声を上げるが、すぐに手のひらでそれを覆うようにして黙る。彼の顔には興味と戸惑いが混ざっている。
「今度は試してみよう」凛が言う。彼は小さな板切れを取り、それに二人で文字を綴ろうとした。共同制作の瞬間を、より明確にするためだ。だが、手が触れることと同じくらい重要なのは、何を期待して触れるか――葵はそのことを口に出す。
「意味づけずにやる。読むつもりはしない。感じたものだけを残す。決めつけないこと」彼女の声は厳しく、自分にも言い聞かせるようだった。凛は頷いた。彼の胸は少し高鳴っていたが、それを言葉にするのは怖かった。
板に文字を綴り始めると、小さな光の痕が文字の輪郭に沿って流れた。そのとき、三宅のスマートフォンが机の上で振動していることに誰も気づかなかった。通知が来る音が、あまりに日常的で、部屋の静けさを割った。まどかが咄嗟に画面を見ないように手を伸ばし、それを押さえた。
「見ないって決めたんだろ?」まどかが小声で言う。三宅は照れ隠しに「すまん」と言って画面を裏返す。優里が眉を寄せ、掌に冷たい汗を滲ませる。小さな行為──見ないという選択──が、確かに場を守っているように感じられた。
だが、検証を続けようとした瞬間、凛の表情が歪んだ。彼は手の力を抜き、額に手を当てる。鋭い痛みが目の奥に走り、耳鳴りがする。誰も予期していなかった。葵がすぐに手を伸ばし、凛の肩を支えた。
「どうした、凛!」葵の声には驚きと苛立ちが混じる。凛は顔色を失い、唇を噛んでいた。わずかに血の味が口中に広がる。凛は、先に自分だけで痕跡を「確かめて」しまおうとしたことを思い出した。あの時、彼は一人でその光に指を滑らせ、意味を引き寄せようと力を込めた。その瞬間、体に焼けるような痛みが走り、思い出の輪郭が薄れていった。彼は少しの間、何をしていたかを実際に思い出せなかった。
「またやったのか」優里が小さな声で言う。彼女の顔がゆがみ、同情と怒りが混ざった視線を向けた。誰かが能力の代償を独りで負うのを、仲間は許さない。高柳は自分が倒れたとき、皆が皆のために動いてくれたことを忘れていない。
「凛、無理するなって言ったでしょ」葵が厳しく囁く。彼女の手は暖かく、強く凛の背中を押す。凛は呼吸を整え、ゆっくりと頭を振った。痛みは残るが、薄れていく。仲間たちが、彼を囲むように座る。
「代償は体だけじゃない」まどかが静かに言う。「記憶の一部を失うことがある。一人で強引に意味を決めれば、痕跡は曖昧になる。急げば壊れる。……それだけじゃない。今日、私たちで試して気づいたことがある」
まどかはスケッチブックに書いた簡単な図を見せる。二人が触れる→第三者が無関心を選ぶ→痕跡が濃くなる、という実験結果だ。言葉にすると不思議に聞こえるが、彼女の目は確信に満ちている。
「誰かが見ているだけで、痕跡は薄れるんだよ。見ない選択があると、残りやすい」まどかが言う。三宅がそれにうなずき、小さな声で「観客を消す、ってことか?」と続けた。言い方は冗談めいていたが、場の表情は一変する。
「学校の制度が『見えること=価値』を作るんだったら、私たちが逆に『見ないこと』を価値にしてみればいい」葵が言った。その口調はかつての彼女らしく、計画を立てる生徒会長のものだ。ただし、これは生徒会のルールで押し付ける案ではない。「強制ではなく、選択としての見ないこと」を広めるのだと彼女は続ける。
高柳が眉を寄せ、ふっと息を吐いた。「でも、それってどうやるの? みんながスマホ持ってるよ。噂は勝手に広がる」優里の声には不安が滲む。
三宅が肩をすくめる。「それでもやる価値があるなら、俺は手伝う。食堂のバイト日誌に『無観客デー』を作るとか。客席を閉めるんじゃなくて、参加者が『今日は見ない』って宣言する小さな時間を設けるんだ。匿名でできるようにすればいい」
凛はそんな三宅を見て、喉の奥がぎゅっとなった。自分が一人で持ってしまいがちな重さを、他人が軽く引き受けてくれる。彼らの自律した選択が、何よりも重要だった。葵は凛の手に自分の指を絡め、短く挨拶のように握った。「それでいい。強制じゃない。選べるようにする。私が生徒会のネットに案を出す。でも裏工作はしない。自分で決めてもらう」
まどかが小さく笑って、紙に何か書いた。「まずは小さくやろう。今日の夜、食堂の灯りを少し絞って、十人だけ集める。参加者は来る前にスマホの通知を切るってだけ。その『見ない』を尊重するためのルールを、私が作る」
優里は自分の胸に手を当て、苦笑いした。「私も、もう劇で倒れたくない。裏方でも参加する。みんなでやれば、誰も無理しないと思う」
凛は胸の奥の痛みが和らぐのを感じた。彼は頭を振って、もう一度葵を見た。「俺は……自分で決め付けてしまう癖がある。ごめん。もう一人でやらない。みんなでやるなら、待てる気がする」
葵は短く眉を跳ね、少し照れたように笑った。「待つことは、強さだよ。言葉にすんなよ恥