学生食堂で転校生と委員長は観客のいない舞台に立つ

学生食堂で転校生と委員長は観客のいない舞台に立つ 第11話「第10章」

カレーの香りと鉄のトレイがぶつかる音が、昼の学生食堂をいつもの雑然としたリズムに戻していた。窓際の長いテーブルに、彼らはばらばらに腰を下ろしている。夕陽がガラスを斜めに貫き、白い紙コップの縁を金に染めていた。

カレーの香りと鉄のトレイがぶつかる音が、昼の学生食堂をいつもの雑然としたリズムに戻していた。窓際の長いテーブルに、彼らはばらばらに腰を下ろしている。夕陽がガラスを斜めに貫き、白い紙コップの縁を金に染めていた。

「──映像、もう一回流してくれないか」

岸本晴人(きしもと はると)が手にした小型プロジェクターのボタンをもう一度押すと、先週の非公開上演の記録がテーブル上の簡易スクリーンに投影された。篠宮結奈(しのみや ゆうな)は椅子にもたれて腕を組み、蒼(たかつき あおい)はその横で手を組んだまま、映像の端に映る自分たちの笑い顔を黙って見ていた。

最初は普通の映像だった。光の中で笑う有村はるな、小林葵(こばやし あおい)の指先が舞台装置に触れる瞬間、など。だが二拍子の間に、色が掠れ始める。肌の色から赤みが抜け、やがて唇の朱が消える。声も少しずつ鋭さを失って、空気の中で高音がすり減るようだった。

「え……これ、何で──」

はるなが、プロジェクターの光を指差す。画面のはるなの笑顔は、いつの間にかモノクロになっていた。彼女の目の前にある現実のはるなは色を失ってはいないのに、映像だけが吸い取られていくように見える。

「映像は記録のはずじゃ……」晴人が呟く。彼は写真部で、学校のどんな瞬間でもデータに残すことが仕事だった。だが、その仕事が今回、何の保証にもならないことを、三日で知った。

蒼の掌が微かに震えた。映像が変化し始めた瞬間、胸の奥で小さな冷たさが広がるのを感じた。かつて誰かが言った――能力の代償は、見えない形で蓄積する。だが、その感覚が自分の胸から来ていることを認めるのは、いつも心臓が締め付けられるようで怖かった。

「これ、記憶が薄れてるんだよ。映像が持つ温度が落ちてるっていうか」篠宮が低く言った。彼女は委員長としての姿勢を崩さず、だが言葉に柔らかさを乗せた。「撮られた側の、ある種の“痕跡”が抜けていってる。蒼が、共同で作ったものにだけ残るって力を使ったときに起きるやつ……」

「で、誰がどれだけ失うんだ?」小さく息を吐いたのは内田凛(うちだ りん)。学生会の副会長で、常に秩序と公平を求める性格だ。彼女は慎重に言葉を選ぶ。「先週の一度で、はるなが歌詞の一節を忘れかけてた。テストのときに、カンペでも見てるみたいに歌ってたよな?」

「うん」はるなが俯く。彼女の手がテーブル上の紙ナプキンを擦った。「歌詞を忘れた瞬間、自分でも驚いて……あのときの感情が曖昧になった。写真を見ても、胸に刺さる何かが薄くて。色が、なくなっていくの」

「それで、今回の作戦は成功しつつあるんだ。観客のいない上演を続けられるようになって、私たちは社会の評価を回避できてる」篠宮が続ける。「だけど代償は確実に来ている。蓄積だ。これがどこまで続くか分からない」

蒼は黙っていた。言葉を待っている視線が自分に向くたび、胸の冷たさは増していった。彼は能力を発動するとき、二人が共同で作った物にだけ「痕跡」を残すことを知っている。その痕跡を他人の心を直接読むために使うことはできないが、物に残る匂いや擦れ、指紋のような「気配」は伝わる。だが大量にそれを残すほど、記憶は薄れていく。誰の、どの記憶が消えるかは、予測がつかない。

「分配の問題だ」凛が皿を片付ける手を止めて言った。「一度に大量の痕跡を残すべきではない。参加者を絞るか、上演を分割する。そうすれば一人当たりの負担は減るはずだ」

「でも、学校は待ってくれないかもしれない。噂や評価は力を持って広がる」晴人が不満げに机を叩く。「文化委員会が圧をかければ、非公開でしかできない仕組みを壊しに来る。彼らは公平という建前を盾に、評価を制度化しようとするだろう」

「制度が敵だって言ってるんだよね」はるなが顔を上げる。「でも、私たちだって選べるよ。誰がどれだけ手を貸すか。強制じゃない。──それをどうやって共有するかが問題」

「ここで重要なのは『誰の記憶を優先するか』じゃない。『誰がどの時点で最後に触れるか』だ」蒼がやっと口を開いた。皆が一斉に彼を見る。彼の声は普段より低く、力が抜けていた。「共同制作の最後の接触が、最も強い痕跡を残す。俺が触れるタイミングで、誰の記憶が薄れるかが変わる。順番でコントロールできる──理屈上は」

「順番?」凛の眉が動く。

「例えば、最後に触れるのを俺にしてもらえば、俺の痕跡が強く残る。逆に、最後に触れるのが誰か別の人なら、その人がより影響を受ける可能性がある。だから皆の意志で順番を決めれば、負担の振り分けは可能だ」

篠宮は蒼の顔をじっと見つめる。夕陽に透ける彼の横顔はどこか脆弱に見えた。彼が見せる微かな震えを、委員長として見過ごすわけにはいかなかった。

「それは……操作の余地があるってことね。選択の余地」彼女は言葉を噛み締めるように続けた。「でも、それは同時に誰かを守るために誰かが犠牲になることも意味する。私たちはそれを正当化できるの?」

その問いに答えはなかった。誰もが自分の胸に刺さった棘を感じていた。選ぶこと自体が、誰かの記憶という宝を制限する行為になる。

「俺なら……」蒼は言葉を切った。テーブルの上に置かれた紙コップに指先を触れ、その縁の冷たさを確かめるように目を落とした。「順番を最後にする。俺が一番影響を受けるようにする。そうすれば、他の人の記憶はなるべく守れるだろう」

沈黙が長く続いた。誰も彼の覚悟を軽々しく受け取れない。篠宮が立ち上がり、椅子の背に右手をついてから蒼を見下ろす。

「蒼、自分のことを犠牲にするって言うけど、それが本当に公平なの? あなたが全部背負うことは、私たちの選択じゃなくて、逃げに見える」

彼女の言葉はきつかったが、どこか怯えも含んでいる。誰かが全部を抱えることで、残りは無罪放免のように見えるのが怖かったのだ。

「……公平は形だけの言葉だよ」はるなが小さく笑った。「私たちが選べるのは、傷をどう分けるかだけ。逃げるかどうかは、その傷を誰が持つかで決まる」

議論は夜にまで及んだ。彼らは参加者リストを作り、上演を分割する案、順番を巡る案、外部に痕跡を委ねる試案などを出し合った。だがどの案にも短所があり、良い結論は出ない。食堂の蛍光灯が一つずつ点滅しては切れ、最後に残ったのは窓の外の夕闇だけだった。

帰り道、篠宮と蒼は並んで歩いた。校門を出ると、風が冷たくて、夜の匂いが鼻を刺した。人通りは少なくて、ホームルームの掲示板の文字がぼんやり見えた。

「あなたが最後に触れるって、言ったわね」篠宮が静かに言う。「それが本当にあなたの選択なら、私たちはそれを尊重する。でも私は一つだけ確認したい」

蒼は素直に首を傾げる。

「あなたは何を忘れてもいいと、心の底から思っているの? ただ皆を守りたいだけで、自分の中で大切だったものを失うことを厭わないの?」

言葉は冷たく、だが苛立ちや怒りではなく、真剣さに満ちていた。蒼の胸の冷たさが、ここでまた疼く。

「──分からない」彼は正直に言った。「でも、俺が全部吸い取るのは、少なくとも嘘じゃない。皆が能動的に、選んでくれるなら──」

「能動的」篠宮が繰り返す。その言葉が彼女の口