駅前の花屋で不器用な先輩後輩は卒業までに仲直りする 第3話「第2章」
昼休みの駅前は、いつものようにせわしなかった。改札から吐き出された人波が雨上がりの陽光にちらつき、背負いカバンの金具がぶつかる音が金属質に反射する。花屋「花咲屋」の軒先にはガラスの水盤と色の整理された花が並び、ビニールの匂いと湿った土の匂いが混ざって鼻先をくすぐる。店先のベンチに、クラスの一部が群れていた。
昼休みの駅前は、いつものようにせわしなかった。改札から吐き出された人波が雨上がりの陽光にちらつき、背負いカバンの金具がぶつかる音が金属質に反射する。花屋「花咲屋」の軒先にはガラスの水盤と色の整理された花が並び、ビニールの匂いと湿った土の匂いが混ざって鼻先をくすぐる。店先のベンチに、クラスの一部が群れていた。
「見ろよ、あの二人。まだ向かい合って作業してるってことは……進展はないのかねえ」
「卒業までに仲直りするって宣言してたの、マジでドラマみたい」
「先輩、いつも無口だけど可愛いよね〜」
遠慮のない笑い声が、ベンチの背に座っている一群の学生たちから立ち上る。話し手は成瀬翔子――クラスの噂好きとして名が通っている。彼女の後ろで、携帯を覗き込む水沢拓海が写真を撮る素振りを見せ、噂の火種は一枚の画面に収まって落ち着きかけた。透は無意識に口を噤み、視線を下に落とした。
「透、こっちちょっと手伝って」
志乃の声は、いつもより少し掠れていた。店の奥から彼女が現れて、手にはざっくりと包んだ花束を抱えている。肩から落ちたエプロンの紐が濡れた土で黒ずんでいて、昼光が当たるとその濡れが目立った。
透は立ち上がり、足の裏で砂利の冷たさを感じながらカウンターへ寄った。指先に残る前の作業の水の冷たさが、まだ消えない。彼が手を差し伸べると、志乃が花束の端を差し出した。二人の手が触れた瞬間、透の掌からひんやりした波紋が広がった。
色が見えた。確かに色合いだけで、言葉はない。ざっくりと編まれた茎の手触りが透の指先に伝わり、そこから淡い、でも確かな「褐色がかった薄紅」が立ち上ってきた。温度は冷たく、口に触れると渋い果実の皮のようなざらつきがある。感覚は確定を作らない。万物を決定づけるような言葉ではなく、触感と色彩だけが示された。
透は息を呑んだ。彼の中で、いつもと同じ反射が働く――見えた色の意味を結びつけ、可能な結論を探す癖だ。だが、その瞬間、色がしぼみた。鮮やかさが指先から蒸発するように、感触が薄くなっていく。
「き、気のせいかな……」透は舌先で言い訳のように呟き、視界の端で成瀬たちの囁き声が輪郭を取り戻す。噂が場を覆い、まるで花びらの上に灰色の影が落ちるようだった。店先の世界が単色に近づく。
志乃は透の目つきを見て、ぎゅっと口を噤んだ。彼女の手が早まる。立て続けに茎を組み替えるその手つきは慎重ではなく、プレッシャーに押されているように見える。二人で作るはずの「共同」が、不器用な急ぎに変わっていった。
「ちょっと待って、ゆっくりでいいから」透は声を掛けた。だが言葉は風に流れ、雑踏の中へ消えた。彼が「ゆっくり」と意図するほど、志乃の動きは硬く、ぎこちない。急がなければならないとでも言われたように。成瀬が指で示した先のカメラが、二人を真正面から捉え続けている。
束ねていたミモザの枝が、指の間で滑った。バランスを崩した茎が、思いがけず勢いよく弾かれた。透は反射的にそれを押さえようとしたが、彼の手の中の感覚が再び薄くなる。解釈しようとした瞬間に来る、いつもの代償だ。透は焦りのあまり手の内で力を込めすぎ、茎の端の小枝が折れる音がかすかに聞こえた。折れた先から小さな痛みが走り、志乃の指に一瞬の赤が滲む。
「痛っ」志乃は顔をしかめ、傷口をポケットのティッシュで押さえた。血の匂いが湿った空気に混じり、透の感覚はそれに吸い寄せられるように生々しくなった。色はまた戻ってきた。今度は薄紅に加え、くすんだ鉛色が混じる。触感はざらつきから刃物のような冷たさに変わった。
「ごめん、俺が……」透が謝ろうとしたところで、横から低い声が割り込んだ。
「無理させるなよ。店先で喧嘩は見物になるだけだ」
声の主は店の奥から出てきた、花咲屋の店主、石橋明美だった。五十を少し過ぎた彼女の目は鋭く、長年この駅前を見てきた者の重みがあった。彼女は二人の前へと歩み寄り、木製の作業台に肘をついて見下ろした。
「学生はね、噂が食べ物になるのよ。育てても結実はしないけど、見てるだけで満腹になる。あなたたちは物を作る側だろう。作るものに何が残るか、そんな簡単なことがわからんのかね」
透はその言葉に唾を飲んだ。石橋の言葉は一見乱暴だが、無関係な風景のように二人の周囲を風通しよくした。砂利の音が少し柔らかく聞こえ、成瀬たちの笑い声もほんの少し勢いを削がれる。
志乃はティッシュを外して指先を見た。血はすぐに滲んでいるが、彼女は余計な大袈裟さを見せない。透に向けて小さく首を横に振った。「大丈夫、ちょっと痛いだけ。……続けよう」
二人は再び茎を組み始めた。今度は石橋がそっと間に入り、彼女の手で輪を整える。指先が触れるたびに、透の中で色が立ち上がる。今は薄桃色。それは言語を持たない、柔らかな感触だ。志乃の手のひらに残る震えが伝わって、色が微かに揺れた。透はそれを見て、説明する衝動に駆られる。色は何を意味するのか、どれだけの好意か、あるいは後悔か。心の中の問いが、焦土のように広がる。
だが彼は知っている。先に頭の結論を持ってしまえば、その色は消える。確定させるほど、感触は薄くなる。透はそれを、前回の痛みと同じ法則だと直感する。手元の束を壊すより、たとえ曖昧でも色を受け取ることの方が重要だ。
「触ってごらんなさい」石橋が透の手を取って、花束の輪に添えた。彼女の掌は温かく、皺の一つ一つが花の形を真似るように動いた。「共同で仕上げるってのはね、言葉より先に手で分かり合うことよ。急いで決めつけちゃダメ。触れ合いを壊すんだから」
透が深呼吸をする。志乃もゆっくりと息を吐いた。三人の指先が同時に茎を包み、結び目に近づいた。透明なリボンがつかめられ、くるくると回す。指先の触覚が蜜のように濃くなり――色が鮮やかになった。
しかし、そのときだった。背後からまた別の層の声が重なる。携帯のシャッター音。成瀬の「いいね」を求める囁き。外の時間が押し寄せると同時に、透の中に別の感覚が湧いた。確定させたい気持ちだ。もしこの色が示すものを言葉にできれば、彼らは噂の矢面から逃れられる。透は急にそう思った。
「これは、つまり――」彼は言葉をこねてみたが、言葉が口を満たす前に色が凍った。桃色は翳り、指先の甘さが砂利の冷たさに変わる。結び目に使ったリボンが滑り、束が崩れかけた。勢いで茎の先端が彼の手の甲を擦り、鮮烈な痛みが走る。血が滲んだ。
「だめ……!」志乃が叫ぶ。二人は顔を見合わせ、時間が止まったように作業が中断された。花束の輪は一つの不完全な物体になって、そこにはもはや統一された色合いは残っていなかった。代わりに、切断された部分から複雑な斑が広がり、それを見た石橋は唇を固く結んだ。
「急ぐほど壊れるのは、いつものことよ」石橋が低く言った。「そしてね、解釈しようとすると色は逃げる。何より――それを無理に言葉にするなら、相手の選択を奪うことになるわ」
透は指先に残る血の感触を確かめた。痛みは現実だが、色は曖昧なまま残っている。彼は、もし今この痕跡を言葉にしてしまえば、志乃の選択は彼の意味づけに縛られる。自分の恐れが人を動かしてしまうかもしれない。目の前の志乃が、ぎゅっ