駅前の花屋で不器用な先輩後輩は卒業までに仲直りする

駅前の花屋で不器用な先輩後輩は卒業までに仲直りする 第2話「第1章」

朝の風が駅前の小さな商店街を撫でると、季ノ花(きのはな)の木製の看板がかすかに軋んだ。鉢植えの土の匂い、アルストロメリアとスプレーバラの混じった甘い香り、ガラス戸越しに聞こえる自動改札の電子音──そこがいつもの朝だった。店内はまだ薄暗く、レジの横に積んだ小箱の上で、二人の影が交差した。

朝の風が駅前の小さな商店街を撫でると、季ノ花(きのはな)の木製の看板がかすかに軋んだ。鉢植えの土の匂い、アルストロメリアとスプレーバラの混じった甘い香り、ガラス戸越しに聞こえる自動改札の電子音──そこがいつもの朝だった。店内はまだ薄暗く、レジの横に積んだ小箱の上で、二人の影が交差した。

「直人、またそのやり方で梱包してたら花が折れるよ。ねじるんじゃなくて包むんだって、言ったでしょ」

藤野瑠衣(ふじの るい)は青いエプロンの裾を手で引っ張り、先輩の高瀬直人(たかせ なおと)に向き直った。直人は眉を寄せ、ぎこちなくも丁寧に手先を動かしている。指先は不器用だが一生懸命で、その姿が瑠衣の胸を締めつける。

「分かってるよ。ごめん……あ、箱はそこか。糸も切って」

直人の声は低く、言葉が途中で詰まることが増えた。二人は同じ大学の花屋バイト仲間だが、ここ数週間、会話は必要最低限に縮んでいた。卒業までに仲直りする──それが瑠衣の胸の中の目的だ。守る対象は、店と、そして二人が作ってきた小さな習慣だった。店のレジ横にはいつも、小さな手作りカードが並んでいる。客に添えるメッセージカード。色紙を折り、紙の端を手でちぎって飾りをつけるのは、二人の密かな共同作業だった。それは言葉にできないやりとりの場所でもあった。

瑠衣がレジの小箱から一枚のカードを取り出した。紙は薄くてざらつき、角はほんの少し焼けたように黄ばんでいる。そこには二人で描いた小さな向日葵の絵。裏面に、かすかな染みのような模様が見えた。光が差すと、紙目にその模様がきらりと宿る。

瑠衣は指先でそっと裏面に触れた。紙の粗さが指先に伝わり、ほんの短い静かな熱を感じる。すると、模様がゆっくりと変わった。まるで水面に落ちた雨滴のように、白い筋が広がり、そこに薄い文字のような模様が浮かぶ。言葉ではない。押されたような残像、指の跡、手のテンションが織りなす波紋。

「……これ、何だろう」

彼女は一歩下がって息を飲んだ。思い出のような、でも断片的で、確信を持てない何か。心当たりがある。確かに、このカードは直人と一緒に作ったものだ。昼休みに二人でコーヒーを飲みながら、紙を折り、絵を分け合った日。あのときの手の温度が、紙に残っているようだった。

直人が覗き込む。「そ、それは……前に一緒に作ったやつだろ?」

瑠衣は頷いた。「私、さっき触ったら、紙目が光るのを見た。直人の手の形が、なんか、残ってるみたいで」

その言葉を聞いて、直人の表情が一瞬固まった。彼はふいに目を逸らし、額に手を当てる。「……そういうの、あったのかもしれないな。俺、そんなの見たことないけど」

二人の間に少しの沈黙が落ちる。誰もが知っているわけではない、二人だけの秘密になりつつある感覚だった。だが瑠衣は試してみたくて仕方がなかった。直人の気持ちを確かめれば、仲直りの糸口が見つかるのではないか──そう考えた。

「試していい?」瑠衣は言った。手に持ったカードを差し出す。「直人と一緒に作ったって、ここに残るのかなって。感じを……」

直人は小さく首を振ったが、言葉が続かない。「気をつけろ。余計なことを決めつけると、見えなくなるって、たぶん……昔、そういう話を聞いたことがある」

「昔って誰から?」瑠衣が問うと、直人はかすかに笑った。「誰でもない。俺の頭の中の声、とでも言ってくれ」

瑠衣は軽く唇を噛み、カードの裏にまた触れた。今度は、何も考えずに──と自分に言い聞かせながら。ただ手の感触、紙の温度、隣にいる直人の呼吸だけを感じ取ろうとした。すると、先ほどの波紋がさらに濃くなって、まるで二つの指紋が交差するように重なり合った。そこに、笑い声のような小さな曲線が現れる。意味を定めようとすればするほど、模様はぼやける。逆に、ただ眺めていると繊細な線が網目のように深まるのが分かった。

「見える?」直人が囁く。

「うん。直人の、あの時の手のリズムが──」瑠衣は言いかけてやめた。言葉で捕まえようとすると、模様はするりと消える。彼女は慌てて口を閉じ、呼吸を整えた。確かに、決めつけるほど見えなくなる。脳が結論を出そうとする瞬間、紙が沈黙してしまう。

「やっぱり、変だな」直人が眉を寄せる。「じゃあ、こういうのは二人で作ったものにしか出ないのか?」

「まだ分からない。でも、私たちの作ったやつだけだった。店の既製のカードには何も出なかった」瑠衣は言った。胸のどこかが温かくなり、同時に冷たくもなった。二人の共同制作という行為そのものが、彼らの間にしか残らない何かを宿しているらしい。

そのとき、ガラス戸の向こうから声がした。「おはよう、二人とも! 今日も頼むよ、季ノ花の星!」

店主の矢島佳苗(やじま かなえ)が腕を振りながら入ってきた。五十代前後、店を一人で切り盛りしてきた小柄な女性だ。佳苗の隣には、もう一人のバイト仲間、三浦結(みうら ゆい)が重い鉢を抱えて立っていた。結は瑠衣と同い年で、朗らかで人の気持ちを汲むのが得意だった。

「おはようございます」瑠衣はカードをそっと箱に戻す。「今日の配達、私たちで行きます」

佳苗は目を細める。「あら、頼もしいね。えっと、午後に駅前の再開発キャンペーンで大量の花束がいるんだ。広告代理店から急に入りましてね。三十分で十束、包装はおまかせ」

十束という数字が店内に落ちる。直人は硬くなった。「三十分で十束は厳しいよ」

「大丈夫、私たちで回すから」結が肩を叩いた。「瑠衣、直人、手分けしてやろう。直人は梱包、瑠衣はメッセージ担当で」

しかし、メッセージは単なる既成の紙ではだめだ。キャンペーン相手は企業で、顧客一人一人に向けた「感謝カード」を添えるよう求めている。状況は応力を与える。それは、二人にとって試練でもあった。共同で作るカードにだけ残る痕跡──その時間が欲しい。だが時間は三十分しかない。

「時間が足りない」と直人が言った。「分業で早く作ろう。俺は包装を完璧にする。瑠衣はカードをその場で書いてくれ」

瑠衣は直人の言葉に、胸が針で刺されたように痛んだ。分業は合理的だが、共同制作ではない。もしカードを別々に仕上げれば、あの光る紙目は生まれないかもしれない。だが、広告代理店は時間に厳しく、佳苗は人手を割けない。結も手伝えるが、三人で十束を三十分で仕上げるには、効率第一のやり方が求められる。

瑠衣の中で二つの選択肢がぶつかった。時間を守って店の仕事を完璧にこなすこと。あるいは、共同で一つずつカードを作って、痕跡を残すために時間を使うこと。それは、店の信用を賭けるギャンブルでもある。彼女の胸に、卒業までに仲直りしたいという願いが疼いた。だがその願いを優先すれば、店に迷惑をかけるかもしれない。

「どうする?」結が軽く訊く。結の顔には心配が滲んでいたが、その目は自分たちを信じている。佳苗は皺を寄せつつも手を胸に当て、黙って見守った。

直人が先に口を開いた。「瑠衣、俺たちでやる。分業はしない。時間がかかっても、ちゃんと一緒に作ろう」

その声は不器用で、しかし意思がこもっていた。瑠衣は驚きと安堵で一瞬目が潤んだ。直人が自分の横で、逃げずにそう言ったのを聞くのは久しぶりだ