駅前の花屋で不器用な先輩後輩は卒業までに仲直りする 第24話「第22章」
ホームの端に立つ花屋の窓から、朝の灰色がじわりと店内に滲んでいた。雨粒がガラスをつたって、鉢植えの葉の上で小さな輪を作る。檜山柊は、濡れた髪を軽く振ってから作業台の前に立ち、次の花を選んだ。白いスプレー菊は冷たく、指先に花粉が淡く乗る。呼吸のたびに、湿った土と花の香りが混ざって鼻を撫でた。
ホームの端に立つ花屋の窓から、朝の灰色がじわりと店内に滲んでいた。雨粒がガラスをつたって、鉢植えの葉の上で小さな輪を作る。檜山柊は、濡れた髪を軽く振ってから作業台の前に立ち、次の花を選んだ。白いスプレー菊は冷たく、指先に花粉が淡く乗る。呼吸のたびに、湿った土と花の香りが混ざって鼻を撫でた。
「遅いよ、海里」
小泉海里は傘を店の中で逆さにして、肩越しに短く返事をする。彼女のコートの裾に泥が跳ねていた。胸のところで金具が小さく鳴る。慌てて手にしたコサージュの箱を作業台に置くと、柊の横に無言で座った。ふたりの間にはいつも通りのぎこちない空気がある。言葉を探す必要すらない──それが互いにとって一番辛い。
「評議会は午後だ。田辺さん、書類は揃ってる?」柊が低く訊くと、店主の中川つぐみが奥から顔を出した。つぐみは眉先に皺を寄せ、手に持った書類を柊に差し出す。紙は冷たく、字の並びは律儀だった。その律儀さが、今朝は刺に感じられる。
「大丈夫。だけど、向こうが求めてるのは『地域貢献の具体的証明』よ。写真や寄付の記録だけじゃなくて、『ここがどれだけ人を繋いでいるか』を見せてほしいって」つぐみが言う。声に隠れて、店の奥で流れるラジオが駅の時刻を告げた。
海里は箱を開けた。中には小さなブローチ用の花々が並んでいる。二人が共同で作ったものだけに、いつもと違う何かが宿る──それを海里も柊も知っていた。共同の手仕事にだけ残る「痕跡」は、言葉より確かな何かだった。今日それを持って行けば、言えないことを示せるかもしれない。そう思って、海里は顔を上げる。
「二人で作ろう。見せるんだ。仲直りできるかどうかは──」言葉がそこで詰まる。海里は自分の声を湿った掌で撫でるようにして、続ける。「……仲直りしたいって気持ちを。」
柊は目を細めた。手にした茎を一本、慎重に剥ぎ取るように折る。靴底に落ちた水がぽたりと垂れ、床に小さな黒い跡を作る。互いの手が自然に同じ花に触れたとき、いつもならごく小さな波紋のようなものが生じる。花びらの端に残る温度の差、香りの微かな変化──それが二人の共同痕跡だ。だけど、いつもより柊の手は震えている。海里はその震えが、どれほど二人の関係に向き合うことを恐れているかを知っていた。
「早くしてくれって向こうが言ってるんだろ?」柊の声は、外の線路を行く列車の轟音で淡くかき消される。海里はうなずき、短く息をついた。二人は無言で作業を進めた。指先で茎を合わせ、ワイヤーを巻き、リボンを切る。手の動きに記憶が混ざる。米粒大ほどの花粉が指にふわりと付いて、春を思わせる香りが瞬間的に立ち上がった。
そこへ、駅前自治会の代表・吉野宗一からの電話が鳴った。柊が出る。向こうの声は事務的で、冷たい。
「提示されたものだけじゃ足りない。あなた方の『在り方』を示してもらわないと、この場所の使用許可は再検討する。今日の午後、我々は最終の判断をする。だが一つ提案がある。地域の公開イベントを行って、投票で場の維持を決める。参加が多ければ暫定的に存続を認める──準備は一週間後だ。どうだ」
海里の胸がきゅっと縮む。提案の露骨さ、時間の短さ。公開イベント、言い換えれば「共同制作を公開して審査される場」。柊は黙って下を向いた。海里の手からリボンが滑り落ち、床の隙間で音を立てた。
「一週間で何が用意できるって言うの」つぐみが声を荒げる。店の前に積まれた花箱が、雨の蒸気でかすかに揺れた。
海里は柊の横顔を見た。彼の目はいつまでも曇っていた。思い切って、海里は声を震わせながら言った。「私、柊先輩と作ったものを見せたい。きっと伝わる。私たちがここで何をしてきたか、ちゃんと見せたいんだ」
柊の指先が、茎を押さえつける力を強めた。「決めつけるな」──その言葉はふいに低く、しかし硬く出る。海里はそれを聞いた瞬間、言おうとした台詞を飲み込んだ。共同の痕跡は、相手の気持ちを「決める」ことで壊れる。海里はそれを知っていた。だが、今は時間が迫っている。確かな展示物を作るために、どちらかが相手の意図を言葉にしてしまわなければならない。
海里は一呼吸置いて、はっきりと言った。「柊、私たちの気持ちを『仲直り』で終わらせたくない。どう思ってるの、本当に」
言葉は押しつけだった。柊は驚いたように目を見開き、そして口を固く結ぶ。二人の指先に触れていた同じ茎の部分が、ふっと冷たくなった。作りかけのブーケから、ふわりとした温かさがゆっくりと失われる。花びらの色がわずかに鈍り、リボンの光沢が薄れていくように見えた。手先の感覚が、まるで別世界から引き戻されるように遠くなる。海里の胸を鈍い痛みが貫いた。
そのとき、花瓶がガシャンと音を立てて倒れた。柊が体勢を崩し、足が滑ったのだ。彼の手が茎の棘に引っかかり、指の中に鋭い痛みが刺さった。「うっ」と柊が吐き、指先から鮮やかな赤がにじむ。血の匂いが、湿った土と花の香りに混ざる。つぐみがすぐに応え、ハンカチで柊の指を押さえた。
だがそれだけでは済まなかった。柊の目の奥に、一瞬、遠い光が差したかと思うと、その光がすうっと薄れていく。彼の口から出る言葉が、途端に細くなる。「海里……あの時の……」と言いかけて、何を言おうとしていたのかを、柊自身が分からなくなったようだった。海里はぎゅっと手を握り締め、喉が熱くなるのを感じた。彼の記憶の一部が、その刺と血で削り取られたのだ。共同の痕跡は、決めつければ決めつけるほど見えなくなり、関係を急げば共同制作そのものが壊れる──その代償が、目の前で現実になった。
「嘘だよ……」海里は声を落とし、柊の手元の布をしっかり押さえた。つぐみが深く息を吸い、ラップを破って消毒液を出す。頁をめくるように時間が過ぎ、外の雨音だけが残る。店の窓の外、駅の広告が濡れて鮮やかに映えていたが、二人の世界は狭く、暗かった。
吉野は電話の向こうで、冷静に拍子を打つように話した。「事故は残念だが、それでも条件は同じだ。公開で評議を行う。審査は公選。賛成が過半数なら一時的に存続を認める。でなければ移転を──」
海里の視線が、傷だらけの手を覆う柊から離れない。店の棚に並んだ小さなブーケの端に、先ほどの温度の残滓がまだかすかに見える。けれどそれは薄くなっていた。海里は自分が犯した過ちを噛み締める。過ちというより、能力のルールを無視したことで得た現実的な代価。誰かを決めつけて急いだ結果、取り返しのつかないものを失わせてしまった。
「私たちで、やるしかない」つぐみが割り込むように言った。彼女の手の震えには、怒りと決意が混じっていた。「ただし、やられたらやり返すっていうのは違う。自分たちのやり方で、この場所を守る。誰かに決めさせるんじゃなくて、この店に関わってきた人たちで判断してもらうのよ」
その言葉に、店にいた三人の顔が上を向く。北村美紀が口を引き結んだ。「つまり、公開イベントは私たちが仕切るんだよね? 外の人を巻き込んで、審査って形を取りながらも、本当に大事なことを伝える場にする。単なる見世物にはさせない」
宮下佳奈は無言でスマホを取り出し、近所のグループラインにメッセージを打ち始めた。彼女の指先からは、迷いのな