駅前の花屋で不器用な先輩後輩は卒業までに仲直りする

駅前の花屋で不器用な先輩後輩は卒業までに仲直りする 第23話「第21章」

店の奥まで差し込んだ朝の光は、並べられた花びらにひそやかな金属光のような縞を落としていた。駅前の風に乗って、自動改札のシャリッという音と、朝の放送が途切れ途切れに聞こえる。南條蒼は、濡れた茎を拭きながら指先に残る泥と甘い香りを確かめていた。手のひらの中にあるのは、まだ活力を取り戻したばかりの白いスプレーマム。向こうで三宅陽が、小さな紙袋をぎゅっと握りしめているのが見えた。

店の奥まで差し込んだ朝の光は、並べられた花びらにひそやかな金属光のような縞を落としていた。駅前の風に乗って、自動改札のシャリッという音と、朝の放送が途切れ途切れに聞こえる。南條蒼は、濡れた茎を拭きながら指先に残る泥と甘い香りを確かめていた。手のひらの中にあるのは、まだ活力を取り戻したばかりの白いスプレーマム。向こうで三宅陽が、小さな紙袋をぎゅっと握りしめているのが見えた。

「蒼先輩」陽は、躊躇いがちに声を掛けた。息がほんの少し乱れている。彼の肩には昨夜の練習着の匂いが残っていて、いつもより少し大きな決意が滲んでいた。

蒼は顔を上げた。心のどこかで、今日が来ることを知っていた。知らないふりをしていただけだ。彼は言葉を選んだ。花の水がカランと揺れて、空気の中で乾いた音に変わる。

「なに?」
「進路、決めたんです」陽は、紙袋から小さな封筒を取り出した。その封筒の封は切れておらず、中身は見えない。陽はそれを胸に押し当てるようにして、目を伏せた。「遠くの学校――温室の設備が整ったところです。合格通知、来たら行きます」

蒼の胸を一本の鋭い寒さが走った。左手の親指が、無意識に花の茎を強く握りしめる。陽をこの店で育ててきた自負が、いきなり崩れるような感触。守りたいという気持ちが、同時に焦りに変わる。

「はる……」蒼の声は、いつもより低かった。言葉の後に出てくるのは、制御の利かない恐れだけだった。「ここに残るって選べないのか?」

陽は顔を上げた。唇の端に笑みはなかった。駅前を通る人たちの視線が、ガラス越しにちらと向けられる。噂は伝播する。花屋の先輩後輩の話なら、いつの間にか恋の噂になるだろう。二人の間にあるものを、勝手に物語にして消費する周囲の目が、蒼の胸をさらに締めつけた。

「選べます」陽は小さく首を振った。「でも、行くことで学びたいことがある。温室でしか触れられない植物があって……先輩には、ここを任せたいと思ってる。遠くに行くのは、店と先輩を置いて離れることにはならないって、そういうつもりで決めたんです」

蒼はそこで、決壊する前の堤防のように必死に言葉を紡いだ。「任せる――それって、置いていくってことだよ。先輩として、それでいいのか? 俺は、俺は――」

彼は言いかけて、自分の目的を見失った。守る対象は陽なのか、この店なのか。守ること自体が、陽の選択を奪ってはいないか。問いは蒼自身を穿り返した。

「そんな風に聞こえるなら、違うよ」陽が静かに言った。「先輩が好きだから、だからこそ言うんです。勝手に決めないでほしいって。先輩のことを、ここで待っててほしいっていう意味で言ってない」

言葉は痛かった。蒼は唇を噛んだ。歯茎に伝わる鉄の味。焦りが手を動かさせた。彼は陽の隣に置いてあったリボンを掴み、二人で作ったブーケを取り出す。共同で作れば、二人だけに残る痕跡が現れる。いつだってそれが、彼らの会話の代わりだった。

「一緒に作ろう」蒼は言った。声には頼みと命令が混ざっていた。陽の手がリボンに触れる。二人の指先がかすかに触れ合い、いつもの感覚が流れた。共同制作が始まると、店の空気は少し温度を上げた。茎を揃え、緩やかに絡める指の動き。共同で積み上げられた時間の層にだけ残るもの――蒼は、その痕跡を確かめようとした。

二本の指が茎を押さえると、花の中央に薄い光のような紋が差した。ささやかな、だが確かな反応だった。彼らだけに見えるもの。蒼は安心して、その紋の意味を決めつけるように囁いた。

「……これって、陽の気持ちだよな? ここにあれば、俺たちは確かにつながってるって――」

その瞬間、光は、するりと消えた。リボンを結ぶために湿った指先がずれて、花が小さく崩れた。茎の端から水が零れ、床にポチョリと落ちる。共同で作り上げたはずのブーケは、まるで息を止めたかのようにぱたりと活気を失った。

蒼は理解する前に喉が詰まり、鼻に入ってきたはずの花の香りが、いつのまにか薄れていることに気づいた。甘いはずのマムの匂いが、綿のように曇っていた。蒼は慌てて深呼吸をしたが、香りは戻らない。頭の中で、記憶の端がくるりと回るような違和感。手の感覚はそのままで、しかし嗅覚だけが遠ざかった。

「蒼?」陽の声が震えるのが分かった。陽はじっと、取り乱した蒼の顔を見つめている。

蒼は体を揺らし、壁のタイルに手をついた。鼓動が早くなる。店の空気には、いつもあるはずの花の匂いが欠けている。彼は一つの事実を思い知った。共同制作の痕跡を「これだ」と決めつけてしまうと、その痕跡は消える。さらに、急ぎすぎたり、無理に意味を与えようとしたりすると、共同作業そのものが壊れ、それを取り戻すには代償が伴う。

鼻の奥に鈍い違和感が残った。代償は――嗅覚の一時的な喪失だ。蒼は指先で鼻を押さえながら、言葉を探した。「俺……ごめん。急ぎ過ぎた。無理に確かめようとして、取り返しがつかなくなった」

陽は、茫然とした目で蒼を見返した。彼は小さく息を吐くと、封筒をそっとテーブルに置いた。封筒の中身はまだ空白なのかもしれない。陽がゆっくりと口を開く。

「……俺は、先輩がそんなふうになるのは怖かった。先輩に会えなくなるのが怖くて、全部を先輩のものにしてしまいたかった。でも、それは違う。違うって分かってる。だから、決めてきたんです。行く。でも、それで先輩を失いたくない。先輩にも選んでほしい。俺も、先輩のことを選びたいから」

店の外、駅前の雑踏が風に乗って押し寄せる。買い物袋を下げた通行人のざわめき、ベビーカーのタイヤがガタガタと鳴る音、ホームに入ってくる電車の金属音。三つの音が重なり合う中、峰岸澄子が店の戸を開けて入ってきた。彼女の顔は、いつもの穏やかさを保っていたが、目に微かな決意が光っている。

「あなたたち、顔が真っ赤よ」澄子は平然と皮肉を交えて言った。「でもね、今は蒼君、嗅覚が落ちてるみたいでしょ。大事な時に。それって、あんたが代償を受けるほど追い詰めてる証拠よ」

蒼は顔を上げ、澄子を見た。彼女は店の裏にあった大きなカレンダーを指差す。そこには、駅前商店街の再開発説明会の日付が赤で囲ってある。それが、澄子の手の動きで視界に入った瞬間、空気が厚くなるのを蒼は感じた。再開発――駅前の一等地に手を入れる計画は、花屋にとって最大の不安材料だ。店がなくなるかもしれない、その恐れが、二人の関係を一層切迫したものにしていたのだ。

「説明会、明後日よ」澄子は静かに告げた。「そこで住民と商店街が意見を言う機会がある。あたしたちも行く。署名だって集める。だけど、話し合いは人の意思を奪うためにあるんじゃない。自分たちで選べるようにするための場なのよ」

澄子の言葉は、蒼の心に小さな灯をともした。敵はただの開発業者ではない。噂や評価で人の選択を消費してしまうその空気、選択の余地を奪う制度や慣習だ。澄子は、それを相手にしようとしている。仲間が自ら判断して動くことで、初めて対抗できる。澄子の決意は、仲間の自律を信じる意思表示だった。

陽が封筒の上に手を置いた。「明後日、説明会に行きますか?」彼の目は澄子を、そして蒼を見た。そこには、決して押し付けない強さがある。蒼は鼻の奥