海辺の放送部で期限つきの恋人役は別々の未来を応援する 第17話「第15章」
海風が窓の桟を鳴らす。放送部のガラス戸越しに見える海面は、午後の光を受けてゆっくりと銀色の筋を引いていた。古い放送機材の金属が微かに冷たく、部室にはテープの油と紙の匂い、そして潮の湿り気が混じっている。湊は机の上に散らばった資料と、開かれたモニターに映る古い映像を交互に見た。モニターの白黒映像では、若い男女が妙に整った笑顔で並んでいる。笑顔の足元に、紙のしわが見えた。
海風が窓の桟を鳴らす。放送部のガラス戸越しに見える海面は、午後の光を受けてゆっくりと銀色の筋を引いていた。古い放送機材の金属が微かに冷たく、部室にはテープの油と紙の匂い、そして潮の湿り気が混じっている。湊は机の上に散らばった資料と、開かれたモニターに映る古い映像を交互に見た。モニターの白黒映像では、若い男女が妙に整った笑顔で並んでいる。笑顔の足元に、紙のしわが見えた。
「これ、誰の配信だっけ……?」紗和が肩越しに覗き込み、手元のノートに日付を探した。紗和の指先にはいつもの細かな緊張があって、それが彼女の集中を作っている。
「2019年の6月。『海辺のふたり』キャンペーンってラベルが付いてる。」蓮が古いラベルを指でなぞった。蓮は昔の配信スケジュールを整理していて、紙の端に鉛筆の書き込みが残っていた。「公式の企画で、放送部が地域の若者達の 'ロールプレイ恋人' を売り物にしてたっていうやつだ。推薦枠とか書類の山が隣の棚にあるはずだって聞いた。」
湊はモニターから目を離し、隣のゴム箱をひっくり返した。そこに、ほこりを被った小箱が出てきた。蓋を開けると、布製の小さなロケットが入っている。金古美の縁に小さな傷が入り、内側には紙片が極端に小さく折りたたまれていた。
「これ、映像にあったペアの子が身につけてたやつだ」紗和が息を呑んだ。映像の中では、二人は視聴者に向かって手を振り、ロケットを小さく見せて笑っていた。だが画面の端にちらりと映る校内の張り紙や、机の上に置かれた複数の封筒が、それが単なる青春の小道具ではないことを示していた。
湊は手袋をはめずにロケットを掴んだ。彼の指先は金属の冷たさと組紐のざらつきを感じる。いつもなら、共同で作られた物に触れると、痕跡が視界の端に滲んで現れる。記憶の層、温度、使われた言葉の断片が色になって映る。それを慎重に撫でるように読むのが湊のやり方だった。だが今日は、疲労が背を押している。ここ数日の調査で何度も痕跡を拾い、心の底がじんわりと痺れるような違和感が残っていた。
湊の視界に淡い青が揺れた。声にならない囁き、窓際の海の匂い、そして「行かないで」という断片。だがそれは確定的ではない。共同で作られた時間がそっと重なった結果でしかない。湊はその断片を言葉にしようとして、つい先回りするように口を開いた。
「これ、きっと――あの子は市外の大学に行きたかった。けど推薦枠のおかげで地元に残されたんだ。書類に圧力があって、選べなかったんだ」
言い切ると、視界の青が一瞬にして色褪せた。痕跡が、するりと指の間を抜けて消えた。ロケットの金属面はただの金属に戻り、手の中の重さだけが残る。湊は冷たい衝撃が胸を刺すのを感じた。あの囁きが消えた瞬間、なにかが抜け落ちるように、最近の夜の記憶が断片的に薄れていく。さっきの取材で話したこと、紗和と交わした短い言葉。五分前の自分の心の温度が、指先からこぼれ落ちていくようだった。
「湊!」蓮が鋭く声を上げた。「決めつけるなっていつも言ってるじゃないか!」
紗和はロケットを丁寧に取り上げ、掌で包んだ。彼女の手は震えているが視線は確かだ。「湊、無理に意味を当てはめると、痕跡は自衛するって先生が言ってた。共同性が壊されると、残るものまで逃げるの。そういう性質なんだよ。」
湊は唇を噛んで、消えた青を取り戻そうとした。だが記憶の欠落はすでに起きていて、その焦りがさらに視野をぼやけさせる。代償は確かにある。過去に何度かの乱用で彼はそれを学んでいたが、今日のように直接的に感覚を喪失するのは久しぶりだった。「ごめん……」とだけ言って、湊は肩を落とした。
蓮がテーブルを叩き、気を取り直す。「でも、消えたのは痕跡だけじゃない。ここにある映像と、サーバーに残った書類を照合すれば、制度的な証拠を掘り出せるはずだ。僕たちで共同制作すれば、新たに痕跡が出るかもしれない。やり方を変えよう。湊、今回は君の片手で引っ張らないでくれ。僕らが自分たちでやる。」
紗和が頷いた。「映像の中に写ってる封筒、あれは『推薦申請』の記号が付いてる。ここにまとめてある古文書棚の中に、たぶん当時のやり取りの控えがある。誰かが故意に消した配信もあるって噂もあるし、まずはそこから。」
三人は自然と役割を分け、湊はその輪の中で一歩引いた。今は彼が相手だけでなく、自分自身の能力にも制限を課す時だった。自分が先導してしまえば、痕跡が逃げる。共同体が自発的に動くときにだけ、痕跡は正確に残る。湊はそのルールを体で受け止めた。
紗和と蓮が古いキャビネットを開け、埃にまみれたバインダーを引っ張り出す。金属の引き出しがきしむ音、紙の束をめくる乾いた音、なにより部室の隅で止まったように漂う海のリズム。蓮が一枚の封筒を見つけたとき、彼の指先が止まった。「これだ。『地域若年支援調整記録』、外付けのメモによれば、放送部の企画が地域行政と連携して若者の進路調整に使われた記録だって。」
紗和が低く息を吐く。「推薦枠ってのは、ただの人気投票じゃなかった。視聴率や好感度を点数化して、自治体の奨学金や職業紹介の優先順位に結び付ける仕組みがあったらしい。映像が評価を生む仕組み。笑顔が履歴になって、履歴が未来を狭める。」
蓮は紙を広げ、黒いスタンプや印鑑の連なりを指で辿った。「ここに、市の部署の印がある。『若年支援課』。それから、学校側の印鑑と—」指先が止まる。「放送部顧問の名前と、外部コンサルティング会社の名義がある。これは個人の悪意じゃない。仕組みだ。制度だ。」
湊は手を引っ込め、息を吸った。胸の奥の空白がまだ痺れているが、そこに言葉が生まれる。「つまり、配信で得た『好感度』が、誰かの進路を左右していたってことか。笑顔が簡単に数値化されて、点数の高い人に推薦が回る。」
「それで消された配信っていうのは、評価にそぐわない、あるいは過度に反抗的な映像があったからじゃないか」紗和が続ける。「誰かが笑わなかった、選ばないって意思表示した配信が。で、そういうものはアーカイブから除外されてきた。」
彼女は目を閉じて、思い出すように言葉を並べた。「でも、ここに『保存すべきではない』と手書きのメモがある。外部の利益と学校の都合が折り合った形跡。『教育委員会との連携を守ること』と書いてある。」
湊はうずくまるようにして机の縁に寄りかかった。海の音が窓を通して大きく聞こえる。制度の文字は冷たく、笑顔の記録を機械的に扱う文書はさらに冷たい。湊は自分の能力が、そうした記録から真実を引き出せるのかを考えた。だが先ほどの失敗が鮮烈で、安易に触ることはできなかった。
蓮が立ち上がり、部屋の中を歩きながら声を低める。「ここにあるのは文書だけじゃない。映像ファイルのログがサーバーから抜かれてる痕跡もある。誰かが選別した。消されたのは、ただの映像じゃない。人の選択の『記録』、拒む意思の記録だ。だから消される。制度は簡単に、それを飲み込もうとする。」
紗和が蓋のない箱から古いフロッピーディスクを取り出した。黒いプラスチックは手の温度でにじんだ指紋を受け止める。彼女はふっと笑い、静かに提案した。「私たちで再現してみない? あの配信の形を