屋上菜園で正反対のふたりは同じ夢を選び直す

屋上菜園で正反対のふたりは同じ夢を選び直す 第8話「第7章」

夕暮れの風が屋上のベンチの列を撫でる。背もたれに残った座布の輪郭、遠くに揺れる体育館の屋根。空席ばかりの並びが、防波堤のように孤立感を切り取っていた。指先に泥の冷たさを感じながら、真琴は最後の支柱に釘を打ち込んだ。金槌を握る手が湿っている。臭気は土と汗と、遠い給食室の油の匂いが混ざったものだった。

夕暮れの風が屋上のベンチの列を撫でる。背もたれに残った座布の輪郭、遠くに揺れる体育館の屋根。空席ばかりの並びが、防波堤のように孤立感を切り取っていた。指先に泥の冷たさを感じながら、真琴は最後の支柱に釘を打ち込んだ。金槌を握る手が湿っている。臭気は土と汗と、遠い給食室の油の匂いが混ざったものだった。

「そこで曲がるなってば、もっと根元を押さえて」

遥が隣で声を上げる。彼女はノートパソコンを広げ、署名のリストと当日のスケジュールを往復しながら作っている。画面の光が顔を青く照らし、彼女の眉は常に少ししかめられていた。二人は同じ屋上にいるのに、まるで違う地図を見ているようだった。

空気が引き締まったのは、門の金具に固定された白い紙がひらりと揺れたときだ。そこには事務室の印が押され、「安全基準不適合。改善の指示。撤去の可能性あり」とだけ書かれていた。文字は冷たく、微かに官僚的なにおいがした。屋上菜園の外側にもう一枚、写真と寸法、理由の説明が添えられている。外部からの通報があったらしい。

「また……」真琴の声が小さく震えた。彼女は釘を置き、座布から手をぬぐった。掌に残る黒い線は、しばらく落ちなかった。

葵はその光景をじっと見つめていた。手は土まみれだが、胸の中がさらに重くなるのがわかる。自分の判断で部員たちを守るつもりが、逆に追い詰めたのだということを、彼女はもう覆せない事実として知っていた。律は既に校舎へ向かい、外部に支援を求めると言って出ていった。彼の背中は揺るぎないが、どこか疲れて見えた。

「やれることからだよ」遥が言う。スクリーンの文字に目を落とし、彼女は冷静に列をつなげる。「説明会、署名、SNSでの募集。公開点検を提案して出せば、撤去の前に時間を稼げる。時間があれば、許可を取る方法を探せる」

「物理的に壊されたら、時間なんて関係ない」真琴はぶっきらぼうに言った。彼女の言葉は釘と同じ重さを持って落ちる。「支柱を固め、手すりも補強する。差し押さえの前に守るんだ。誰かが焦ってやらかしたら、全部終わる」

二人の選択はすでに分岐していた。何かを守る方法は一つではない。屋上の片隅で、残された数少ない苗箱の葉が夕陽に透けて薄く光った。

葵は、手近な古いトレイを拾い、泥をこね始めた。彼女の能力は、二人で共同して作ったものにだけ、心の痕跡が残るというものだった。泥の表面に、人影のような微かな輝きが浮かぶ。それは使うたびに微調整することが必要で、決めつければ消えるし、焦れば形そのものが壊れる。葵はそれを知っていた。だが心は揺れていた。

「葵、何してるの?」真琴が声をかける。彼女は泥だらけの手を見て、眉を寄せた。

葵は肩越しに二人を見た。泥に指で波紋を描く。彼女は、確かめたかった。真琴と遥が、本当に同じ夢をまだ選び直す余地があるのか——ただ、口先だけではないのかを。共同制作物に残る痕跡が、それを教えてくれるはずだと願ってしまったのだ。

「一緒に、っていう形だけでいい。サインとか、ちょっとしたものを一緒に作れば……」葵の声は震えた。目が必死に真琴を追った。

真琴は一瞬ためらった。彼女の腕に泥がついているのを見て、ふいに息をつく。だが彼女は首を振った。「今は無理だ。手がふさがってる」

遥も視線をそらした。ふたりは意図せず距離を作ってしまった。葵はそれでも二人の指先を泥に近づけさせようと、言葉を急かした。「二分でいい、二分だけ。ここに刻めばわかる」

葵の焦りが、あの決まりごとの効力を削いだ。彼女が「わかる」という結果を急ぎ、痕跡を決めつけようとした瞬間、泥の表面の微かな光は薄くなった。指先に伝わる暖かさがすっと失われる。視界の隅で、苗箱の一枚が小さなひび割れ音を立てた。真琴の支柱に使っていた古い板が、欠けた。

「……見えない」葵は声にならなかった。手にあったはずの細かい輪郭が、どうにも見えない。焦りとともに彼女は押しつけた。もっとはっきり、と。

その瞬間、苗の一列がしおれた。葉がぐったりと垂れ、土が乾いたようにぱらりと崩れる。誰かが力を入れすぎたのか、支えが外れたのか。葵は手を引っ込め、指の先に冷たい感覚が走るのを感じた。視界がへこんだように、昨日の昼休みの細かな会話の一節を思い出せない。真琴の笑い声のトーンが、ぽっかりと抜け落ちた。

「葵、大丈夫か?」遥が駆け寄る。彼女はパソコンを閉じ、膝をついて苗を持ち上げた。葵は深く息を吸った。胸の奥に、欠けた部分がある。記憶の欠落は小さいけれど、確実にそこにあった。

「ごめん……自分の欲でやった。ごめん」葵の声は自責の色で細くなった。能力の代償が、また一つ彼女の内部から何かを削っていく。使うほどに、何かが薄くなる。彼女はそれを知っていたはずなのに、確かめたくて動いてしまった。

そのとき、屋上の階段の方から足音がした。律が戻ってきた。彼の手には折りたたんだチラシと、もう一人、背の高い中年の男が一緒にいた。男は管理用作業着を着ており、手に大きな鍵束を下げている。屋上の隅で、彼は背中を伸ばし、目を細めた。

「中村さん……?」真琴が名前をつぶやく。中村は校舎の設備担当で、普段は無愛想だが要所で力を持つ男だ。彼の存在は、自治の時間を稼ぐゲームチェンジャーになり得る。

「クレームが来ただけだ。外からの通報だってな」中村はザックリと説明した。「だけど、すぐに撤去って話にはならない。安全点検を先にやる。それで基準に満たなければ撤去だが、俺の判断で一週間の猶予はつけてやれる」

歓声ともため息ともつかない空気が流れた。猶予は希望だ。だが中村は続ける。声が低く、条件を提示した。

「一つ条件がある。点検は公開だ。保護者、職員、場合によっちゃあ外部の調査員を呼ぶ。書類も全部出してもらう。問題があれば、ここで話し合いの場を作る。要は、外に出すことになる。お前ら、いいか?」

真琴の顔が固まる。遥はすぐにスケジュールのことを頭の中で計算し始めた。外に出す——それは律が集めた支援が光になる一方で、噂や評価という刃を彼らに向けることでもある。噂は既に部員を遠ざけていた。校舎の中で、彼らは「禁じられた屋上の主」として噂されていたのだ。

「公開か……」律はチラシを握りしめたまま、言葉を探すように口を動かした。「向こうから見れば、こっちが問題を隠してるって思うかもしれない。ただ、時間を稼げるのは確かだ」

遥はぱっと顔を上げ、決意が走った。「公開にしたら、こちらの言い分も届くようにする。点検の前に説明会を開く。生徒だけじゃなく、保護者、地域の人も呼ぶ。見せることで味方になる人がいるかもしれない」

真琴は反射的に首を振る。見せることは晒すことだ。「それで傷つく人だっている。今さら噂を晒して、誰が得をする?」

その時、遠くでベンチに座っていた元部員の一人、恵介が立ち上がった。彼は、屋上を去る決断をした側の一人だったが、今は泥のついた掌を見つめ、ゆっくりと前に出てきた。彼の顔は少し赤く、ためらいが混じっている。

「俺は……ここを壊されるのは嫌だ。最初は騒ぎを大きくするのが怖くて、離れたけど、やっぱりこれは俺たちの場所だ。公開でもなんでもやるよ」恵介の声は震えていたが