潮騒銃の牧童と鉄道皇国

潮騒銃の牧童と鉄道皇国 第11話「第10章」

潮風は今日も鋼と塗料の匂いを運んできた。線路脇の検札ゲートに張られたフラットなランプが、白光を細かく刻む。列車の車輪がレールを噛む音が、遠景と近景を行き来するように重なり、群衆のざわめきと検査官の指示が細かく切り刻まれていた。

潮風は今日も鋼と塗料の匂いを運んできた。線路脇の検札ゲートに張られたフラットなランプが、白光を細かく刻む。列車の車輪がレールを噛む音が、遠景と近景を行き来するように重なり、群衆のざわめきと検査官の指示が細かく切り刻まれていた。

白波颯は錆びた貨物車の天蓋に片膝をつき、潮騒銃を膝の上に置いた。銃身は真鍮に近い色で、表面に潮の景が刻まれている。柄の側には羊の毛のように柔らかな革が巻かれていて、触れるたびに牧場の湿った草の記憶が胸の奥を小さく震わせた。だが今は記憶よりも現実が重い。ゲートの向こう側で若い避難民の一団が押し合いへし合い、数人が転倒している。子供の叫びが鋭く、検査官たちの鉄靴の音が急に近づいた。

「颯、時間がない」灰島リナが低い声で言った。髪は金属の粉で軽く白く染まり、作業用の手袋をきつくすり合わせている。彼女の目は計算機のように事態の角度をはじいていた。

「検札網が完全に閉まるまで十数分、ただし展開速度が速められている」古賀拓海が地面にひざまずき、手にした小型無線の表示を見せる。彼の掌にはまだ古いレールの油が残り、力がこめられた指先が震えていた。「このままでは門が全部閉まって、脱出路が物理的に消える」

「リスク分散で裏道を通すには人手が足りない。突発的な混乱で数十人が捕まる」町田響が声を張る。彼は避難民の中では年長だが、痩せて喉が乾いていた。脈拍が走ったように耳の中で跳ねる。

颯は潮騒銃の砲身を撫でた。作戦の本質はいつも同じだ。銃を介して──「共有された作戦」を描く。仲間が同意し、各自の役割を理解し、心を合わせたときだけ、銃はその作戦を現実に引き寄せる。しかしそれは一度きりの約束でもあった。彼の手は覚悟を示すように固くなった。

「僕が弾を発すれば、共有した作戦は──」颯は言葉を切った。言い切れない部分を、リナが遮るように続けた。「一度しか使えない。そして、単独で使えば代償がくる。颯はそれを知っている」

群衆の中で小さな声が上がった。子供を抱えた女が顎を引き、颯を見た。夜目にも誰もが彼の左耳に掛かる包帯の痕を見ている。かつて彼が一度だけ銃を使った時の代償の名残だ。颯は無言でうなずき、過去の痛みが指先に冷たく蘇るのを感じた。

「もし共有が取れなかったら?」響が尋ねた。声が震え、言葉の端に苛立ちが滲む。

「合意を無視して強制すれば、作用は敵にも跳ね返る。検査官たちだって、巻き込まれる」颯は潮騒銃を抱くようにして言った。「でも、それは敵を傷つけるだけじゃない。巻き込まれた者たちの意思を奪うことになる。僕はそれをしたくない」

灰島が視界を切るように前方を指差す。検札ゲートの縁に、緊急展開用のランチャーが据え付けられ、複数の監察官が密集している。門山澄──鉄路監察官の指揮者が先頭に立って腕を振るう。彼女の顔は薄く笑って見えた。笑いは制度の冷たさを映している。

「門山が待っている。彼女は妥協をしない人間だ」古賀がつぶやいた。「今日の強化令は彼女たちのんだ体制で運用されている。捕えた者はその場で選別される」

「選別」──その単語が、群衆のいくつかの顔に影を落とす。処遇は予測できない。どんな約束も国家の書面一枚で塗り替えられる。颯は銃を握る手に力を込めた。牧童だった頃、嵐の中で羊を追った夜を思い出す。仲間を導くだけで、時に体の一部を犠牲にしてでも道を開くことがあった。だが、ここは違う。守る対象たちに「選べる」状態を残すことが目的だ。

「共有の取り方を変えよう」リナが提案する。「一斉同意じゃなくて、役割同意。小さな群れごとに選択を提示して、同意の合意を重ねる。形式的ではなく、意思が見える形にするの」

響は眉を寄せる。「そんなことに時間を割けるか? 十数分しかないんだぞ」

「時間を作るのが僕らの仕事だ」颯は静かに言った。声に揺れはなかったが、内側で何かがきしんだ。彼は潮騒銃を肩に戻し、群衆に向き直った。「僕はこれを使って、みんなでひとつの通路を作る。合意してくれた人だけがそこを通る。選ばされるのではなく、選ぶんだ」

母親の手が震え、子供が彼の視線に呼応して片手を挙げた。だが別の若者が叫んだ。「そんな綺麗事が通用するなら、最初から捕まってない!」

言葉は刺さる。颯の心臓が一回跳ねる。だが彼は顔を上げると、なるべく平らに、しかし確固とした調子で続けた。

「リスクを分かち合おう。役割のある者はその場で声を上げてほしい。僕とリナ、拓海、響。それからこの合意に賛成する者。数を把握してから具体的に封鎖を外す。さあ、いくつかの小さな群れに分かれて、意思表示をして」

群衆は混乱しつつも、次第に輪郭を取った。声がひとつ、またひとつと上がり、詰めかけた人々が「行く」「行かない」を示す小さな合図を送る。リナが端末を差し出し、各々の意思を記録していく。時々、検査官がその動きを監視していることに気づく者がいて、流れるような不穏さが増すが、人々はそれでも選ぶ。それが颯の望んだ変化だった。守られる側が、受動的ではなくなる形。

「合意が取れている。だが門山がもう動き始めた」拓海の声が切迫している。「ゲートの閉鎖が二段階で来る。第一段は個別ブロックの封鎖、第二段は全体閉塞。第二段は物理的に解除不能だと監査報告にある」

「解除不能…」リナの口からその言葉が出ると、群衆の温度が一段上がった。全体閉塞──つまり、逃げる場所が物理的に塞がれたら、その先にあるのは選別と連行だ。

颯は拳を握る。時間はますます刃のように迫った。彼は潮騒銃を膝に置き、周囲を見渡す。合意の波はあった。だがそれは完全ではない。少数の若者たちが、不安と恐怖に駆られて突然群れをかき分け、ゲートへ突進し始めた。検札官が銃を構え、警告を発する。「止まれ! 動くな!」

子供が転倒した。母親が転げる。その瞬間、顎の奥が締まるような音がした。だれかが銃声を期待してしまうような緊迫感が、空気を押しつぶす。

颯は手の中の潮騒銃を抱き寄せた。共有の同意を取る作業は進んでいた。だが瞬間的な暴発を止められない人間の波があった。もし彼が一歩待てば、合意はより確かなものになったかもしれない。だが待てば、封鎖は降りる。彼は選ばねばならなかった。守る対象が今、この場で二十人、三十人と押しつぶされる可能性があった。

「僕、行く」颯はひと言だけ言った。声は震えていたが、決意が乗っていた。リナが顔を上げ、目が真っ直ぐに彼を見た。「颯、待って。合意はまだ──」

颯は首を振った。手のひらが潮騒銃の柄を掻き抱くように固くする。彼はかつて、嵐の夜に羊を一匹だけでも逃がすために道を切り開いたことを思い出した。今回は違う。今回は数十人の命が、その一撃の中にあった。

「一回だけでも、僕が使う」颯は言った。「単独でだ。代償は──耳をやられるかもしれない。それでもいい。今ここで誰かが踏み潰されるよりはマシだ」

リナの顔が一瞬硬直した。彼女の指が端末の記録を固く握る。響が叫ぶ。「そんな勝手なことを! 合意を無視するなんて!」

だが、群衆の中の数人が、手を挙げたまま止まっている。彼らの瞳には恐怖の中に決意がある。小さな合意のかけらが、静かに頷かれる。それでも全体の合意とは