灯火斧の観測員と夢見兵団 第5話「第4章」
広場の灯火が乱反射して、ミカの瞳は斧の刃に映る世界を追った。灯火斧――柄から伸びる淡い橙色の光が、夜の空気を削るようにして振り抜かれる。振動が手の中に伝わる。金属の冷たさは静脈より先に、鼓動を奪う。
広場の灯火が乱反射して、ミカの瞳は斧の刃に映る世界を追った。灯火斧――柄から伸びる淡い橙色の光が、夜の空気を削るようにして振り抜かれる。振動が手の中に伝わる。金属の冷たさは静脈より先に、鼓動を奪う。
「三列目、左手を固めて。こっちに背を向けさせる。合図で一斉に割り込む」
ミカは短く指示を出した。声は低く、確実に届くように発せられた。仲間の顔が一瞬、頷き合う。カエデは鼻先をしかめ、ソウタは両手で拳を作った。合意。灯火斧の能力は合意の上にだけ約束を叶える。ミカはそれを、何度も確認してきた。約束の重さが、今ここでまた必要だった。
だが広場には既に夢の粒子が舞っていた。幹部――彼らは“夢見兵団”と呼ばれる者たちだ――その一人が円形の壇上に立ち、口をつぐみつつも何かを洩らしている。薄い膜のような光の帯が、その掌から群衆へと延びていた。避難民たちの目は白く曇り、唇が甘く動く。子どもが一人、立ち止まって指を差した先には赤い風船が浮かんでいる。風船は存在しないはずの色をしていた。
「彼らを——今、ここで引き離さないと」カエデが呟いた。震えが僅かに混じる。
ミカは刃を緩めない。合意の向こう側にあるのは、実行の一瞬だ。灯火斧に込められた術は、仲間と共有した作戦を“その通りに”一度だけ現実にする。戦術が頭に浮かんだ瞬間から、仲間の同意がなければ、その術は不安定になる。もっと悪いのは、同意を無視して勝手に触れれば――それは敵にも作用する。ミカはその顔を思い出す。前に失った感覚の寒さと、仲間の怒りを。
合図は出る寸前だった。だがその瞬間、ソウタが動いた。狭い空間でのことで、ミカの視界の端に彼の影が一瞬滑り込む。ソウタは言葉もなく、灯火斧の柄に指をかけた。合意は取れていたはずだ。だが彼は誰にも口頭での最終確認を求めず、ただ「今だ」と飛び込んだ。
斧の光が一瞬、暴れた。鋭い光の裂け目が幾重にも空を引き裂き、幹部の掲げる夢の帯が断ち切られる。白い膜は波を打って崩れ、避難民たちの表情が一斉に硬直した。数秒の静寂。世界は酸欠のように止まった。
そして、耳が裂けた——ように感じた。高音の蝉のような叫びが直に鼓膜を削ぎ、世界から語声が剥がれ落ちる。ミカは左耳の奥でゴワゴワとした空洞を感じ、周囲の喧騒が遠のいた。会話が、足音が、遠景の機械音が、厚い布越しに漏れるように聞こえる。指先に麻痺が走り、灯火斧の柄が滑る。呼吸だけが異常に鮮明で、胸の中で狂った鼓動が震えている。
「ミ、ミカ!」カエデの唇が動くのを見たが、音は届かない。ソウタの顔は興奮と混乱が綯い交ぜで紅潮している。彼はやった。だが同時に、灯火斧の柄に刻まれた薄い紋がサッと消えかけているのをミカは見逃さなかった。共鳴の跡。使い方を外すと、約束は裏返る。ひとつの現実が崩れると、別の現実が空から降る──幹部は笑ったように小さく息を吐き、掌から新しい光を放った。
「さあ、安らぎの園へ」幹部の声は風車の回転の音に似て、群衆の心に流れ込む。赤い風船は現実のもののように増え、子どもは知らず知らずのうちに幹部の方へ歩み寄る。避難民たちの顔は安堵に満ちており、目にはそれぞれの夢が映っている。家族、色の名も知らぬ海、遅れてきた祝福。引力のように、夢は現実を凌駕した。
ミカは立ち尽くしたまま、視界の端で一つの残酷な事実を認める。ソウタの勝手な“介入”は、彼らが温めていた合意の作戦を消費してしまった。灯火斧の“一度だけ”の約束が、無為に使われたのだ。敵の夢は崩れ、しかし代わりにより強い夢が落とされた。能力は敵にも触れた。合意を無視した代償が、目の前で現実を変えた。
「作戦は消えた。共振は切れたぞ」ミカは低く言った。嗚咽は聞こえないが、カエデの顔にそれが映った。ソウタはうつむいて、何か呟く。彼には弁明があったはずだ。彼はただ、子どもたちを守ろうとしたのだと言いたげだった。だが言葉は何も変えない。諦めてもいけない。だがどうするか。ミカの内側で、選択肢が砂の館のように崩れ始める。
「もう一度、何かで引き剥がせるか」カエデが短く尋ねる。彼女の声は震えているが、決意が混じっている。肘の内側に汗が伝い、布地が張り付く音が小さく聞こえた(ミカにはそれが聞こえない)。仲間たちが自分の判断で動き出すかもしれない。誰かが子どもの手を掴めば、夢の糸を断つことができるかもしれない。だが幹部は近い。幹部の周囲には実体を伴った護りがあり、触れれば夢が身を守る。
指令は一つ。灯火斧は「合意の作戦」をそのまま現実化する性質がある。仲間全員の意思が揃っていれば、彼らは瞬間的に配置を変え、護りを迂回して避難民を連れ出せるはずだった。だがその“一度”をソウタは勝手に消費した。怒りがミカの胸の腹を突いたが、怒りはここで敵うわけではない。時間はない。
「戻れ、カバーする。ソウタ、お前は私の後ろだ」ミカは叫ぶつもりで唇を動かした。音が出る感覚はあったが、喉の音はほとんどミュートのように変性した。彼女は代わりに手の動きで合図を送る。カエデは瞬時に理解して、二人で盾を作るように避難民の列の側面へ寄る。だがそのとき、カエデが別の行動を始めた。合意を必要とする瞬間に、彼女は自分の判断で飛び出したのだ。
「行くわ!」カエデは誰の承諾も待たずに走った。彼女は夢に目を奪われかけた老女の腕を掴み、強引に引っ張った。その老女は一瞬抵抗してから、カエデの腕を信じたように微笑んだ。だがその笑顔は、ミカにはどこか空虚に見えた。夢が途切れると、人は目を伏せる。安堵と失望が混ざる。
手ブレのような混沌が、そこから始まった。近接戦闘の衝突は一枚の映像をぶち壊す:斧の柄が腕に当たり、血が走る。幹部の側近が突進し、肉の香りと汗の匂いが混ざって鼻を突く。木の破片が飛び、靴底が石畳に擦れる音が、ミカの片耳では遠く、片方の脳髄では過剰に鋭い。刃は交錯し、誰がどの方向へ行くべきかという合図が連続して狂う。仲間は自律的に、しかし別々の目的で動いた。ソウタは咄嗟に幹部の一人を押し倒し、ミカの腕を庇う。カエデは老女を引き剥がすために自分の位置を変え、ミカの背後が無防備になった。
「ミカ、危ない!」どこからか叫びが飛ぶ。言葉の輪郭が不鮮明だが、緊急性は伝わる。ミカは斧を振り払うようにして体を反転させた。目の前に、夢見兵団の幹部が立っていた。彼はナイフのように長い嗤いを口の端に作り、目は昼のように冷たい。手の甲から、幾筋もの細い光線が弾けて、周囲の空気を震わせる。ミカはそれを避けようとして躊躇した。躊躇は刃の前の隙間を生む。
斧が空を切る。短い、切迫した時間。ミカの掌に走る震えは確かな痛みとなって伝わる。刃が相手の腕の鎧を掠め、火花が散る。近接の映像は手ぶれの連続だ。誰の足がぶつかったのか、誰の叫びが最初だったか、断片しか残らない。血の暖かさが唇の裏に鉄を送る。ミカは視界の角で、幼い男の子が静かに歩かされているのを見た。夢に導かれているのだ。赤い風船をしっかり握って。
「ふざけるな!」ミカは怒鳴りたい気持ちを胸に押し込み、ただ一つの事実を掴む。合意を無視した代価はここにある。仲間の自律は尊い。だが今、避難民は夢の手の中にいる。幹部はそれを確実にして