噴火槍の鍵師と雲上連邦

噴火槍の鍵師と雲上連邦 第27話「第二部幕間」

朝焼けはまだ雲の縁で溶けきれず、避難区の空気は金属と湯気の混じった匂いに包まれていた。凪香は噴火槍を膝の上に載せ、柄を撫でるようにして磨いていた。槍の表面は使い込まれた鋼の黒と、噴き立つ橙色の蒸気が刻みつけた焦げ跡で斑だった。彼女の指先は鍵師としての習性で、微かな段差や接合の跡を探るように動く。だが今朝は指先がいつもより重く、感覚が霞んでいるのを感じた――昨夜の、あの発動の余波がまだ抜けきっていない。

朝焼けはまだ雲の縁で溶けきれず、避難区の空気は金属と湯気の混じった匂いに包まれていた。凪香は噴火槍を膝の上に載せ、柄を撫でるようにして磨いていた。槍の表面は使い込まれた鋼の黒と、噴き立つ橙色の蒸気が刻みつけた焦げ跡で斑だった。彼女の指先は鍵師としての習性で、微かな段差や接合の跡を探るように動く。だが今朝は指先がいつもより重く、感覚が霞んでいるのを感じた――昨夜の、あの発動の余波がまだ抜けきっていない。

「触るとき、顔が引きつるって言ってたね」とミカが腰掛けから声をかける。白衣の裾に乾いた泥が付いている。治療者の彼女は無造作に包帯箱を引き寄せ、子どものための温かい飲み物を用意していた。颯太は隅で工具箱を開け、小さな歯車を組み直している。彼は元空域整備士で、手先は凪香に負けず器用だが、表情には眠気と憂いが滲んでいる。

「大丈夫。指の感覚は戻る。いつもより遅いだけ」と凪香は言い、笑おうとしたが、笑いは喉で詰まる。鍵を造るときの集中と静かな暖かさ、金属の冷たさが混じったあの感覚が欠けるのは、彼女にとって拳を失うようなものだった。

「昨夜のこと、話し合いたい」とハジメが立ち上がった。避難区の自治代表で、彼の顔には決断の皺が刻まれている。周囲には子どもたちのしゃべり声と、遠くで回る連邦の小型巡回機の羽音が薄く混ざっていた。ハジメは噴火槍をじっと見つめ、そして凪香の目を見る。

「合意がなければ、再発動は許さない。あれで助かった子もいたが、あれは――」言葉を切る。言外に「勝手にやった」と怒りが含まれている。

凪香の手が自然に槍の柄を握り直す。彼女は鍵師として、手の先で世界を測る人間だ。だが目の前に咳き込む小さな女の子がいる。昨夜の寒気で体調を崩し、ミカの湯気の器に顔を寄せている。子の唇は青ざめ、息が浅い。連邦の巡回機は次の検分予定を上空で調整しているらしく、低く予報のようなチャイムを二回鳴らした。

「彼女がいま酷くなる。登録所に行ったら時間がかかる。あの装置を――」ミカの声は震えた。言い終わる前に凪香の内側の何かが先走った。合意の手続きが整うまでに、時間がない。彼女は鍵師の本能に従って動いた。

「止めて!」颯太が飛び上がる。ハジメも前に出る。しかし凪香はもう動いていた。噴火槍を胸元に引き寄せ、柄に親指を当てる。彼女は小さく息を吸い込み、過去生で覚えた指使いを思い出す――鍵を捻るときの節度ある力加減だ。その瞬間、槍が低く唸り、橙の蒸気が渦を巻いた。

光は地面を這い、夜の名残を押し広げるようにして広がった。無音の圧力が一拍。次の瞬間、幼い女の子とミカの周りに、薄い半透明の泡膜が立ち上がった。泡膜は油膜のように虹色に光り、冷気と埃を遮断し、子の呼吸を安定させる。ミカが泣きそうな顔で女の子を抱き締める。

だが同時に凪香の右手から冷たい石が落ちたように、感覚が消えた。握っていた柄が滑り、指先の感触が消失する。鍵師の核心であるはずの「触る」感覚が、遠いところに逃げていく。金属の温度、槍の重さ、木目の微かな凹み――すべてが霧の向こうだ。

「くそっ……!」と凪香は舌打ちした。彼女の耳も遠くなり、周囲の声がガラス越しに響くように聞こえる。頭の中に白い波紋が広がり、視界の中央に小さな点滅が走る。治療法を知るミカがすぐに子どもを安定させ、声を落として凪香に言った。

「無理しないで。触覚が戻るまで休んで」

そのとき、上空で巡回機の羽音が急に鋭くなった。橙の泡膜が生じたことで、巡回機のセンサーが反応したらしい。数秒の間に無線が割り込み、低い男の声が避難区上空に放送される。「こちら、統括巡回。怪異反応を確認。該当区域は検査対象に指定する。居住者は一時避難を指示する」

言葉は淡々としているのに、その影は重かった。颯太が顔を青ざめて凪香に詰め寄る。

「お前、なんで勝手に…! 今のシグネチャー、連邦の監視に直接出るだろ! あいつらに位置を渡したってことだぞ!」

凪香は指先のない感覚の中で冷たく笑った。噴火槍は、単独での発動は自分の感覚を奪う代償を伴う。だがそれだけでは終わらなかった。彼女が知らぬうちに、橙の泡膜は遠隔の共振を引き起こし、巡回機のセンサーに対して逆に「接続」を与えてしまったのだ。合意なく動かした――その結果、能力は敵側にも何らかの「作用」を及ぼした。巡回機は泡膜を検出するだけでなく、その構造をスキャンし、泡膜の持つ空間構成の断片を本部に送信した。

「つまり、見せちまったってことか?」ハジメの声は冷たい。

凪香は首を振った。震える喉で答える。

「見せた。だが助かった……」

ミカが子の額に掌を当て、穏やかな声で言う。「助かった。でも、代わりに位置が露出した。連邦はもう、我々を再検分しに来る。合意がなかったから、向こうも予想外のデータを受け取っているかもしれない」

颯太は工具箱から小さなスクリーンを取り出し、上空のログを映した。数分前に泡膜が広がった瞬間、巡回機のログに不可解なパターンが記録され、直後にそれが上位に転送されている。転送先は暗号化されていたが、タイムスタンプは確かだ。ハジメはそのスクリーンを見つめ、顎を噛む。

「無断発動は、敵にも影響を与える――それがどういう作用かはまだ判らない。いい効果か、悪い効果かは、使い方次第だが、今回は位置を知らせた。狙われるリスクが高まった」

凪香は手の先の痺れを感じつつも、胸の奥が痺れるのを感じた。鍵師だからこそ、本能で分かる。失った感覚は戻るだろう。だがその間に仲間たちを守れるかどうか――。

「ごめん」短く、真っ直ぐに凪香は頭を下げた。「あの子を見捨てられなかった。合意を得る時間はなかった。私が判断した。結果として皆を危険に晒したなら、それは私の責任だ」

ミカが凪香の手を取り、掌で確かめる。触覚は戻っていないが、掌の温度が伝わる。ミカの指先は凪香の指の甲を優しく叩いた。

「責任を取るなら、私たちで取る。あなた一人で抱えないで」

その言葉で場の空気が少し変わった。だが問題は残る。合意を取らずに発動すると敵にも作用が及ぶ――その「作用」の性質が不明だということ。颯太が重たい口を開いた。

「もしあのデータに、我々の隠れ場所の構成まで含まれていたら、連邦は侵入経路を解析できる。今回のは小規模だったが、次は違う。彼らはそれを利用して封鎖や強制移転を計画するかもしれない」

「それでも、使うしかないときは来る」とハジメ。「合意の手順を作る。発動の前に、何を差し出し、誰が代償を取るのかを明確にする。無秩序な使用は許さない」

凪香はただ黙っていた。手の感覚がまだ戻らない。鍵師の誇りが少しずつ剥がれ落ちていくような気分だ。だが彼女の目は、槍の柄に刻まれた小さな浅い傷に留まった。そこには昨夜の発動のときに見えた、淡い紋様――鍵穴のような図形がほんの一瞬ちらついたのを、彼女は思い出した。

「ねえ」とミカが言った。声は低く、少し興奮している。「その槍、発動のときに何か取り込んだような痕跡がある。柄の周りに微かな回路状の光が残ってる。見える?」

颯太は顕微鏡代わりの小さな光学器具を取り出し、柄の傷を照らした。橙色の蒸気が消えると、確かに柄の一節に、通