紅砂鎧の庭師と火山教団 第19話「第17章」
塀の向こうで、蛍光灯がまばらに瞬いていた。冷えた空気に混じるのは、金属と湿ったコンクリートの匂い。遠くで犬が吠び、ガードの靴底が規則正しくコンクリートを刻む。ユウナはその音をいつまでも聞いていたくないと願いながら、塀の影に体を沈めた。
塀の向こうで、蛍光灯がまばらに瞬いていた。冷えた空気に混じるのは、金属と湿ったコンクリートの匂い。遠くで犬が吠び、ガードの靴底が規則正しくコンクリートを刻む。ユウナはその音をいつまでも聞いていたくないと願いながら、塀の影に体を沈めた。
「ここからはエイのリーク分だ。拘束場所は二棟のうち南側、移送は今夜の零時前後って話だよ」エイが小さな端末の画面を見せる。画面の光が彼女の頬を蒼白く照らし、動揺を抑えきれない指先が震えた。エイはいつもの軽口を噛み殺すようにして、低い声で続ける。「だが、監視が増えてる。共和国の安全法に乗っかって、教団は公的権限を使って拘束を正当化してる。外部の介入が通りにくくなった」
ユウナは拳を固めた。紅砂鎧は、いつでも彼女の背後にある想像の粒だった。庭師として培った手並みと、あの砂が織る――一度だけ、仲間と共有した作戦を現実にする能力。しかしその一回は重い。単独で使えば感覚の一部を失い、仲間の合意を無視すれば能力は敵にも作用する。使えば守れる。使わなければ失う命がある。選択はいつだって鋭利だった。
「カルロとサラは実名で上がってる。早ければ今夜、二階の独房群に押し込まれるって」リオが耳打ちする。彼女の息が白く、寒さに震えていた。「医療確認の名目で外に出すことも難しい。外からの偽装も厳しい」
「じゃあ、どうする。正面衝突で全員捕まるか、放置するかの二択しかないのか?」マコトの声は鋭かった。彼はかつての配達人で、建物の動線に詳しい。黒いコートの襟を立て、周囲の暗闇へ視線を投げる。灯りに照らされた正面の門。その先のガードタワーに、二人の影が交差している。
エイが端末をもう一度見つめ、言葉を選んだ。「ユウナ。紅砂の件、あんたが一回やれば扉は開く。だが——」
「一回だけだって知ってる」ユウナは遮った。声は冷えていた。「単独でやれば、また何かを失う。先に失ったものが戻らないなら、私はその代償を払える。それでも、カルロとサラを出す」
影の中に沈む仲間たちの顔が、ユウナの視界に刺さる。サラの笑い声、カルロが泥まみれで植えた苗の話、エイが無茶をして笑った日々が渦を巻く。あの紅砂鎧は、守るための道具であると同時に、際限なく人の意思を押しつぶしかねない刃でもある。ユウナはその重さを、昨日の夢の中できしませていた。
「待て」マコトが前に出た。「全員の合意なしで使うな。もし敵にも作用したら……彼らが巻き込まれる。俺たちはそれがやれるのか?」
エイの目がきらりと光る。「俺は情報提供しただけだ。行動はお前らの判断だって言ってる」
ユウナは息を吐いた。仲間の合意は、ここでは現実的な壁だ。カルロとサラは檻の中で動くことさえままならない。受け入れられるかどうかを問うこともできない。「合意が無い」状況そのものが、彼らの選択を奪っているのだ。ユウナはかつて、危険現場で小さな命を植物のように支えてきた。選ばれない者の命が、そのまま消えることを許す自分にはなりたくなかった。
「俺は反対だ」リオの声が小さく震えた。「ユウナ、もしあんたがやって、敵にも作用したら……それは操作と同義になる。私たちが守ろうとしているものと、同じ形で誰かの意思を奪うことになる」
その言葉が、ユウナの胸に石を落とすように響いた。リオの目の端に滲む光。ユウナは、仲間たちの顔を一つ一つ見た。エイは硬い決意を隠している。マコトは怒りを吹き出しそうだ。リオは怯えと誇りが混ざった顔をしている。自分のなすべきことははっきりしている。だが、どうするべきかは別問題だった。
「合意が取れないのはわかってる。だが今、奴らが移されれば見失う。裁きの名目で群衆を抑えて、俺たちに手が出せなくする。ユウナ、時間がない」エイが促す。
ユウナは目の前にある小さな袋を取り出した。内部で砂がかすかに鳴る。紅砂——彼女の掌に残るそれは、前世で培った庭師の掌と同じ形をしていた。指に触れると、ざらつきが生々しく指先をくすぐるようで、同時に暖かさが広がる。砂は、触れる者の意志に応じて形を変える。彼女はそれを知っている。だがその使い方は、いつでも倫理の綱を引き伸ばすものだ。
「やる。単独で」ユウナは短く言った。
沈黙。冷たい夜風が通り抜け、ガードの犬が一度遠吠えをした。エイが一息つく。「ユウナ……」
「分かってる。代償は払う」ユウナの声は震えなかったが、胸の奥は震えていた。彼女は紅砂を掌に広げ、一枚の薄い紗のように指先から胸へと滑らせた。冷たい風に混じる臭いが、砂の熱で揮発するかのように変わる。彼女は目を閉じ、庭で土を掘るときの呼吸を思い出した。根を傷つけず、土をそっと動かす。計画を、仲間たちの合意ではなく「ためらいなく守る」ために捧げる。
砂が皮膚に触れた瞬間、世界が違った。音は太鼓のように遠ざかり、灯りは一層鋭くなる。砂は体を覆い、紅い鎧が皮膚の下で固まり始めた。ざらりと耳鳴りが来て、その後、鈍い静寂が右耳に居座った。味蕾が一瞬にして痺れ、唾が金属のように感じられる。視界はいつもより鮮烈で、色が過剰に濃くなった。
「効いてる……」ユウナは吐息を漏らした。胸の内で、砂が計画を形作る。彼女は定めた作戦、監視の死角に入る道筋、扉を開けて囚人を運び出すまでの一連の動きを頭の中で反芻し、それを砂に与えた。紅砂は言葉にならないルールを好む。共通認識と合意の網を通じてしか成り立たないはずの現象を、今、ユウナは一人で回した。
だが、彼女はその瞬間に気づいた。合意の輪にいない者たちが、現実の中で揺れ動いている。塀の上のガードたちの瞳が一瞬、焦点を失った。彼らの動きがぎこちなくなり、まるで糸を切られた人形のように揺れた。護送車のエンジンが、不自然なリズムで下がる。ユウナは胸の奥が冷たくなるのを感じた。能力が、敵に何かをしたのだ。
「やっぱり……!」マコトが怒鳴る。「仲間の合意なしにやったな!」
エイはそれでも端末を握りしめていた。「結果は出た。扉が三つ、同時にロックを解除した。廊下の監視映像に一時的なノイズが入って、理屈上、外からの強制開錠と思わせることができる。だが――」
「だが、彼らをゆさぶっている」リオが言葉を継ぐ。リオは瞳を見開き、手を胸に当てる。「拘束されてた人たちが……意識を奪われて移動してる。自分の意思じゃないって顔をしてる」
遠くの鉄扉が、重たい金属音を立てて開いた。その向こうから引き出される人影が、フラフラと歩く。カルロの姿を見つけたユウナは、喉が締まるのを感じた。彼は半ばうつろな目でこちらを見た。「ユウナ?」その声は掠れていた。サラの手を引いているのは、確かにカルロだった。二人は自由に見えたが、瞳の奥に何かが欠けている。
ユウナの胸に、重い罪が押し寄せる。守ったはずの仲間が、自らの意思を取り戻せぬまま、正気と違う場所から運ばれてくる。ユウナは砂の鎧の中で、右耳の遠い静寂を感じ、それが永遠にならないかと恐れた。
「すぐ治療を!」リオが駆け出す。フラッシュライトが闇を裂き、彼女はカルロに近づいた。カルロの肌には看守の手形とは違う、白い痕が点々と残っている。指のあとが砂のように粉になってこぼれていた。
カルロが薄く笑った。「ユウナ、あり