黎明弩の検札官と電脳宮

黎明弩の検札官と電脳宮 第6話「第5章」

薄明の空はまだ鉛の針を刺したように鈍く、廃工場を改造した避難所の天井から差し込む光は埃の粒を金粉のように浮かせていた。椎名澪は足元の木箱に腰を下ろし、黎明弩の棹を膝の上に横たえた。弦は緊張と期待の間でかすかに振動を続け、指先に伝わるその振動は朝の冷気よりも生々しかった。

薄明の空はまだ鉛の針を刺したように鈍く、廃工場を改造した避難所の天井から差し込む光は埃の粒を金粉のように浮かせていた。椎名澪は足元の木箱に腰を下ろし、黎明弩の棹を膝の上に横たえた。弦は緊張と期待の間でかすかに振動を続け、指先に伝わるその振動は朝の冷気よりも生々しかった。

「もう一度説明してくれ」葉山純が、額に手を当てて澪を見た。彼は元救護班の男で、人の表情を読むのがうまかった。声に疲労が乗っている。

「どう説明を変えればいいの?」澪は弦に触れず、弓の側面を掌でなぞった。木の温度が低く、塗膜の下に汗と油の匂いが残る。左耳の奥で高音の耳鳴りが鳴るのが気になった。——先日の動作の代償だ。説明するたびに、それが現実であることを自分の身体が確認させる。

「同意だ。同意の形とタイミングを──」三浦亘が言いかけた。彼は技師で、手元に紙と鉛筆を用意していた。避難民たちの何人かは毛布にくるまって床に寝ている。外からは、電脳宮の巡回機が軋むような低いハム音を落としていくのが聞こえた。

「順序はこうだ」澪は息を吐く。彼女の声は冷たく澄んでいた。周囲の空気がその声に同調するように少しだけ静まる。

「黎明弩は、複数の人間が同時に共有した『作戦の構図』――言葉にすれば計画の骨格を、一度だけ現実にする道具だ。合意があって初めて弦は絵を引き、現実を織り替える。合意とは声だけじゃない。意思を示す物理的な接触、意思表示の言葉、それを受け取る私の認識。三要素が揃ったときにだけ、弦はその一矢を放つ」

言葉を切るごとに、弦が震える気配がした。澪はわざと口をつぐみ、周囲の反応を待った。葉山が小さく頷き、三浦が鉛筆をいったん止める。避難民の一人、高校生くらいの結が目を見開いたままこちらを見つめている。彼女の手は布団の縁で硬く握られていた。

「それで、単独発動は?」老婦人の声が絞り出すように訊ねた。彼女はここ数日で最も決断を迫られている顔をしている。

澪は答える前に黎明弩の弦に触れた。冷たさが指先から腕へ、そして胸へと渡る。弦は微かな振動を返したが、その振動は彼女の左手の指先にだけ響かず、代わりに脳の奥の一部が波打つような異常感覚をもたらした。澪は舌先に金属の味を感じ、視界の端が白みを帯びるのを抑えた。

「私が単独で使えば、反動は身体から感覚の一部を奪う。たとえば、私は左耳の低い音を失った。匂いの一端、あるいは色の一部が消えかねない。代償は、使った者の身体が払う。その意味で単独は自殺に近い」

言い切った澪の言葉に、空気が固まる。だがその固まりはすぐに別の熱を帯びた議論の糸へと変わった。

「代償を承知で構わない。ここにいる人間の命が最優先だ」若い男が立ち上がり、硬い顔をした。彼は電脳宮の保障センターに追われていた一団を代表している。声が強い分だけ、恐れが混じっている。

「保障に従えば安全が買えるって本当か?」結が身体を起こして訊いた。瞳に焦りと怒りが混ざっている。

「電脳宮は選別を要請する」と守藤智は、粗末な縄に縛られた姿で座っていたにもかかわらず静かに割り込んだ。彼は私服の管理官ではなく、電脳宮の地区管理を受け持っていた者の一人だ。拘束された彼の顔に罪悪と安堵が同居していて、その微妙な表情が聞き手の心をかき乱す。

「あいつらは『保障』という名で選択肢を減らす。自由の保障じゃない。選択を預かる保証だ」守藤の指先が震えた。彼の声は乾いていたが、その言葉には説得力がある。だが、彼の情報が真実であるかどうかを、ここでただ鵜呑みにするわけにはいかない。誰もが何かを失うことを恐れている。

澪は弦から手を離し、じっと守藤を見つめた。彼の目の奥に、かすかな恐怖よりも大きな疲労がある。澪はいつの間にか、手の感覚の欠落を確かめるように指を揉んでいた。左手中指の先は麻痺しており、針の感覚が欠けている。先日の作戦で開けたルートが、あの時だけ実現できたのだ。数十人を安全な通路へ導いた。しかし代償は確かに存在した。

「君らはあの作戦の前に何をした?」澪は訊いた。「相手にどんな約束をした?」

守藤は息を吐いた。視線が床へ落ちる。ここで彼を責めても始まらない。だが真実は必要だ。

「あの時、電脳宮は……私は彼らに協力した」守藤は言葉を選んだ。「だが協力は――強制だった。選べない場所に追い込まれた。彼らは安心を買う代わりに情報の管理、同意の代行を差し出すよう要求する。署名は形式。実際は、我々の地域での『代理同意』をシステム化して、合意の可視化をやめさせる。君たちが今言う『合意』を装置が捉え、それを基に行動する。だが装置は万能ではない。偽装もできる。そこを利用しようとした者がいて――」

守藤が言葉を切ると、場内の空気がより重くなる。澪は弦を撫でながら、映像として頭の中に浮かぶ光景を思い出した。弦が放たれた瞬間、計画の輪郭が光として立ち上がり、周囲の世界の一部がその光に沿って変形した。人々の位置、機械の稼働、センサーの目線。すべてが一回だけ、綺麗に書き換わった。しかし、同時に——

「ある市では合意の手続きを飛ばした状態で弦が動いた」と守藤が続ける。彼は自分の過ちと隠したかった事実を吐き出すように喋った。「作動は敵にも作用した。だが合意の欠如は、効果を暴走させた。変化は当初の意図を越え、街の一部を文字通り別物にした。時間の流れが遅くなった場所も、歓声が凍った場所もある。誰もが自らの選択を取り戻せなくなった」

澪の喉が鳴った。耳鳴りが波打ち、世界の輪郭が一瞬ぶれる。彼女は自分が見たことを思い出すわけではないが、代償の記憶は確かにある。だが守藤の語る「暴走」は別の側面を示していた。弦は敵にも作用する。無理に同意を無視すれば、敵にも味方にも等しく影響が及ぶ。致命的に予測不能だ。

「それって――つまり、『無差別』ってこと?」葉山の声が小さな震えを伴った。

「そうだ」守藤は顔を背ける。「我々は安全を担保するために合意の可視化を求めた。だが可視化の方法を電脳宮が掌握した時、選択は形骸化する。君たちのような存在を〈利用〉して、一度で最大の効果を得ようとする。君らが器具として扱われるのを恐れているんだ」

結が背中を伸ばして立ち上がった。彼女の目には決意の火が灯っていたが、その声は震えていた。「私たちを守るって言いながら、誰かが選べなくなるのは違う。私たちが決めるって約束できるの?」

澪は黎明弩の弦を指で軽く弾いた。振動が、言葉にならない合図のように、周囲の空気を切った。合意を可視化するための儀式は必要だ。彼女は一つの手続きを提案するために顔を上げた。

「これからは、合意の方法を変える。声だけじゃない。各自が自分の意志を示す物理的な印を残す。その印を私が直接確認する。署名と違って、その場にいない者の同意は通らない。『同意』を偽造する装置には相互確認が必要だ。覆せないほどの物理的確認を伴わない合意は、弦の射程に入れない」

三浦が鉛筆を走らせる。葉山は困惑した表情を浮かべながらも頷き、老婦人は小さな声で「それなら……」と呟いた。だがその瞬間、外の巡回機のハムが一段と低くなり、避難所の振動が微かに変わった。誰かが接近している。

「電脳宮が、こち