黎明弩の検札官と電脳宮

黎明弩の検札官と電脳宮 第1話「序章」

黎明の光が検問所の鉄骨を裂くように差し込み、一本の弩(ゆみ)が逆光に溶けていた。弩の胴は漆黒の合金で覆われ、弦の代わりに微細な光線が張られている。その光は放射線のように放射状に広がり、朝靄の粒子を切り裂いてゆっくりと揺れた。人々の顔が、その光に陰影を刻まれている。

黎明の光が検問所の鉄骨を裂くように差し込み、一本の弩(ゆみ)が逆光に溶けていた。弩の胴は漆黒の合金で覆われ、弦の代わりに微細な光線が張られている。その光は放射線のように放射状に広がり、朝靄の粒子を切り裂いてゆっくりと揺れた。人々の顔が、その光に陰影を刻まれている。

「黎明弩──」アカリは指先で弩の側面に刻まれた小さな凹みを撫でた。冷たい金属の感触が、前世の記憶を呼び起こす。彼女は検札官だった。危険な現場で、決断を押し付けられ、通行の可否を示す札を渡していた。今は違う。ここは避難集落の簡易検問所。だが役割の残滓は消えない。

朝の列は短かった。避難民たちの荷は小さく、背中には古いタグがぶら下がっている。だが列の先に立つ一組の家族だけは、群衆の中で震えていた。母親が子供の手を握りしめ、父親が視線を落としていた。子供は四つほどの歳で、靴が一回り小さく見えた。

「お願いします。ここで──」母親の声が震え、空気がぐっと濃くなる。父親がそれを制するように首を振った。遠くで有人監視ドローンが金属音を立て、検問板の上に薄いホログラムの投影が浮かび上がる。三つの同意票。白く透けた小さな四角が、アカリの前でゆらゆらと踊っている。

「枠が足りない。割り当てはあと一名だけだ」横に立つレンが、タブレットを押しつけるように言った。レンは技術班。小柄で、目の端が常に冷たい光を帯びている。反対側にいるミノルは腕を組み、眉を下げている。彼は医療班出身で、人を見捨てることに慣れていない。

アカリの掌に黎明弩の柄が沈む。内部からかすかな振動が手に伝わるたび、光線は微かに脈打つ。彼女は思い出す。黎明弩は媒介だ。味方と共有した作戦だけを「一度だけ」具現化できる。合意がなければ、その矢は敵にも作用する。単独で引けば、反動で――感覚の一部を失う。

「一度だけだ。合意が前提だ」アカリは声に出して確認した。自分に言い聞かせるように。レンは小さく頷き、同意票の一つに指を触れてメタリックなクリックを発した。ミノルは素早く手を引っ込めた。彼の顔が硬かった。反対の意思表示だ。

だが母親の瞳がアカリに釘付けになる。子の小さな唇が震え、空気の振動で鼻水が光った。列の後ろには、炭の匂いがまだ残るような人々の疲れた顔。彼らを送り出せばどこかでまた席が空くかもしれない。誰かが死ぬわけではない。検札官だったころの癖が、判断の縁を押し潰す。

「ミノル、そっちの理由は?」アカリが訊く。ミノルは視線を外し、低い声で言った。「医療優先だ。重傷者は──いない。だがこの家族には記録がない。電脳宮の追跡に引っかかれば、ここも──」

レンが言葉を割り込む。「それでも、追放されるよりは──」

アカリは息を吸い込み、弩を抱え直した。合意は二つ。彼女にはそれで十分に思えた。だがミノルの表情は曇り、優先順位は揺れている。アカリはいつもの癖で、自分の判断を優先しようとした。時間がなかった。列の人々の視線が集中すると、鼓膜に小さな針が打たれるような圧が走る。

「行くわよ」アカリは呟いて、黎明弩の光線に片手をかざした。ホログラムの同意票が弩の周囲に吸い寄せられ、白い四角がひとつ、ぴったりと弩に張り付く。レンの同意とアカリの意思で、実行条件は満たされた――と、彼女は思った。

ミノルの一言を無視した。正確には、ミノルの微かな躊躇いを充分な「同意」とは見なさなかった。彼女はそれを「反対ではない」と解釈したのだ。

弦の光が一瞬にして収縮し、黎明の光が矢のように走った。生々しいハープの弦を弾くような高音が口の中に走り、アカリの世界が一回揺れた。ホログラムが突如揺らぎ、列の家族に流れ込むように広がる。母親の顔が光に晒され、瞳の中で小さな票印が浮かぶ――受け入れ、拒否、保留。四角が青く、赤く、黒くと揺れてから、ぱたりと止まった。

足元の砂が軋む。遠くから警報音が降りてきたのか、アカリの耳には何も聞こえなくなった。最初に気づいたのは匂いの消失だった。燃えた木のにおい、汗のざらつき、濡れた布の鉄臭。世界は匂いを忘れてしまったように、薄くなった。

「アカリ、何を──」レンの声が遠くでこだまする。ミノルは両手を挙げ、顔を真っ青にしている。だがその時、家族の父親が何かを呟くと、その声は機械的に変換され、上半身のパルスが回転し始めた。家族のタグに、不穏なゲートウェイが書き込まれた。小さなオレンジの矢印が、彼らを検問所の外縁へと向かわせる表示を作り出す。

「待って、待って!」母親が叫ぶ。だがラインの指紋が強制的に上書きされ、父親の手首から光る紐が伸びる。見れば周囲の監視装置が反応して、空に軌跡を描くように小型のキャリアが集まり始める。彼らは選択権を失っていた。表示は、移送のための自動ルートを示している。家族が抵抗すると、タグは微細な電気刺激を送って焦燥を高めた。選びたくても選べないという状態が生まれていた。

アカリは驚愕し、手を弩から離した。耳の中は寒く、遠くの空の機械音だけが鋭く残る――だがそれすら薄れていく。レンが懸命にタブレットを叩く。彼の指先が白くなる。ミノルが家族に向かって走り出した。だが数歩行ったところで、運搬キャリアのアームが伸び、父親の肩に優しく、しかし冷たく触れた。家族の足は前へと向けられ、列を離れてゆっくりと検問所の外へと連れ出される。

人々の足跡が砂から消えていく。まるで時間がそこだけ引き延ばされ、消されてゆくかのように。母親が後ろを振り返し、アカリを見た。アカリは言葉を探したが、匂いも声も、世界の輪郭が欠けたようで、何も出てこなかった。子供の目が潤み、靴底が砂に浅い溝を残していた。それらの溝が、ゆっくりと、しかし確実に消えてゆく。スローモーションのように、足跡は風に溶けた。

「──選択を奪ったのか」ミノルの声がやっと届いた。震えている。怒りだ。アカリは震える手で弩を抱きしめる。黎明弩の冷たい腹の内側に、小さな亀裂が一つ現れていた。光がそこから漏れ、皮膚に淡い印を残す。印は指先の温度を吸い取り、アカリの左耳はもはや音を受け付けない。

「合意……」アカリは呟いた。脳裏に、かつて誰かが言った言葉が蘇る。仲間の合意がなければ、能力は敵にも作用する。彼女はミノルの微かな躊躇いを同意とみなした。しかしそれは欺瞞だった。ミノルの反対は、足踏みをする意思表示であり、アカリが解釈を曲げたのだ。

列の外でキャリアは家族を載せ、遠ざかり始める。母親の手が一瞬だけひらりと空を掻く。アカリはその動作を見て、初めて自分のやったことの全てを理解した。助けを求めたはずの彼らは、いまや別の意思に委ねられ、行き先を決められている。選択を奪われた。流浪者へと変えられた。

レンがアカリの腕を掴んだ。「何をした。何をしたんだ、アカリ!」彼の指が痛い。ミノルは洗いざらしの布で目を擦り、息を整えると、低く、しかし決然とした声で言った。「追う。私が追う。おまえはここを守れ、アカリ。おまえがこれ以上使うな。弩は消耗する。戻す術はない」

アカリは弩を見つめた。光の脈がゆっくりと弱まる。左耳の聴覚はまだ戻らない。鼻から入る空気が薄く、温度だけが伝わる。レンがタブレットを彼女に差し出すと、そこには短い