鳴雷槌の操縦士と翼の税関 第15話「第13章」
扉の向こうで、機械じみた合図音が何度も反復されていた。金属と湿気が混じる地下通路に、音は骨の奥まで染み込むように伝わる。葵響は鳴雷槌を背負い、壁に沿った黒いケーブルの列を見下ろした。ケーブルは壁の継ぎ目に沿って這い、地面の割れ目に吸い込まれていく。そこから立ち上る微かな振動が、槌の柄先に伝わってくる。鼓動のように、ひとつ、ふたつ。
扉の向こうで、機械じみた合図音が何度も反復されていた。金属と湿気が混じる地下通路に、音は骨の奥まで染み込むように伝わる。葵響は鳴雷槌を背負い、壁に沿った黒いケーブルの列を見下ろした。ケーブルは壁の継ぎ目に沿って這い、地面の割れ目に吸い込まれていく。そこから立ち上る微かな振動が、槌の柄先に伝わってくる。鼓動のように、ひとつ、ふたつ。
「ここに忍び込んだ理由が分かったか」と風間瑠斗が低く言う。彼は扉の前で膝をついたまま、表情を引き締めていた。後ろでは由良ユウナの子どもたちが鼻をすすっている。彼らの小さなひと息が、廊下の冷気に白く滲んでいた。
「意思無効化装置……」三谷凪がスキャナを覗き込みながら息を呑んだ。「扉の向こうのライン、地下網で増幅してる。こいつは単なる封鎖装置じゃない。合意を造る装置だ」
響の掌が、槌の柄の革をぎゅっと押しつぶした。鳴雷槌は、ただの武器ではない。前世の現場で同期と合意をかき集めてきた器具。味方と共有した作戦だけを一度だけ現実にする。契約がそろわなければ、暴走するかもしれない。単独で振るえば感覚の一部を失う。仲間の合意を無視すれば、能力は敵にも作用する――誰の意思も介在しない「強制」を成す。
「あなたは使うつもりなの?」ユウナの声は震えていた。目の前の扉の向こうからは、税関の制服の黒い輪郭が見え隠れする。扉すぐそばに担架が置かれていて、そこにいる痩せた男性の胸の上で、赤ん坊が震えていた。呼吸が浅く、皮膚が灰色に近い。
響は迷った。槌は彼女にとって最後の切り札であり、代償は確実なものだった。片目を失うか、片耳を失うか、あるいは時間の流れの一部が抜け落ちるか──それは使ってみなくては分からない。けれど何より彼女は、仲間の意思を踏みにじりたくなかった。奴隷のように人を動かす装置を相手に、同じ方法で相手を屈服させることがあってはならない。
「合意しよう」凪が静かに言った。彼女は眉間に深い皺を寄せて、スキャナのデータをスクロールする。画面の上を流れる線が、槌の共振周波数と一致した。「でも、向こうの装置と直結してる。ここでやると、こっちが作った“合意”が向こうの網にも流れ込む。あいつらはそれで人々を割り当ててる。税関の装置が取り込めば、我々のつくる合意も“商品”になる」
瑠斗が唇を噛む。「つまり、こいつを使えば扉は開く。でも、その“合意”は税関の装置に乗せられて、向こうのシステムを強化する。ユウナの人たちの意思が、また機械に縛られる」
「でも赤ん坊があのままじゃ──」ユウナが言葉を詰まらせた。扉の隙間から差す薄い光が、赤ん坊の髪を金色に染める。響は赤ん坊の小さな足が震えるのを見た。彼女の胸の奥で、操縦席にいた頃の感覚がざわつく。作戦の成否で誰かの生死が決まる瞬間、いつも自分は飛ばされる側ではなく守る側にいた。今、守れるのは自分しかいない。
「合意がなければ、槌は敵にもかかる」と響は言った。声を出すと、背中の槌が軽く震えた。それは合図にも見えた。槌は、彼女の覚悟を待っている。
「自分で決めろ」と瑠斗が言った。「誰かのために使うなら、その代償はお前が負え。仲間の同意を取って出来上がる“現実”を分けるか、それとも単独で突入して代価を払うか。だが……」彼は言葉を切った。「合意を無視して使った場合、敵にその“合意”が返る可能性がある。つまり、こっちの行為が向こうの手札を増やす。君、分かってるよな?」
響は目を閉じた。背中に感じる槌の温度が、まるで心臓の鼓動のように強くなった。手に入れてしまった力を、彼女はまだ完全には把握していなかった。けれど目の前の子どもの鼻水に、彼女の決断は呼ばれていた。決断の根幹にあるものはいつだって単純だった。守るということ。
「私、やる」響は言った。言葉は短く、確かだった。「仲間の同意は取れない。時間がない。誰かが扉を守っている。あの装置で何人もの選択が消される。ここで止めなきゃ、もっと多くの声が奪われる」
凪が顔を上げ、じっと響を見た。怒りと理解が交錯している。「それを選ぶのは響の自由だ。でも覚えておいて。単独で使えば、感覚を失う。場合によっては戻らない。もしそれが起きたら、私たちはどう動く?」
「動くよ」瑠斗が割って入った。「響が代償を払うなら、俺達はそれに応える。助かった命を守るためにここに残る」
ユウナが震えながらも頷いた。「……お願い、響。子どもを」
響はゆっくりと槌を下ろした。柄を両手で包み、額に押し当てる。革のざらつきが額の汗を吸い取る。槌からは低い、遠雷のような音が漏れていた。響は自分の心拍とその音を合わせる。合図を合わせるように、周囲のケーブルが一拍遅れて震えた。
「一回しかできない。合意の枠組みは、具体的に言葉に出す」凪は冷静に指示を出した。「どういう現実を作るのか、短く、明確に。俺たちの作戦――扉を開き、赤ん坊を含む担架の人々を安全に外に出す。その際に意志を変更しないような介入は禁止。理解できる?」
響は頷き、口を開いた。「扉を開ける。担架の人々を安全な位置まで移動させる。税関の介入で意思を奪われる範囲を遮断する。合意はここにいるものだけに限定する。外部の装置へは流さないで。分かった?」
言葉を紡いでいく間にも、扉の向こうの合図音は速さを増していた。税関のコントローラーが何かをセットしているに違いない。凪は最後に「合意」と言った。音が密になる。槌の振動が掌に突き刺さる。
「行くよ」響が叫び、槌を床に叩きつける。轟音が地下を割り、光が指先から拡散した。青白い脈動が床に走り、ケーブルが虹色に近い光で脈打つ。空気が一瞬、電気の匂いを帯びる。人々の呼吸が一斉に止まった。
光は、合意の輪郭を描くように廊下を満たした。担架の周囲に保護膜のような層が浮かび上がり、扉のロックが内側から解除される。踏みしめた床が振動した。税関の兵士たちが扉の隙間から押し返されるように後退し、短い混乱が生まれた。
しかし、同時に――
響の世界の片側が消えた。左耳からいきなり遠ざかり、風と人声が右側だけの音になった。視界の左端がグレーに滲む。舌の先に金属の甘みが広がり、左手の触感がぼやけていく。胸の奥が冷えるような痛みが走った。膝から崩れ落ち、響は床に手を突いた。世界は半音ずつ欠けていく。
「響!」瑠斗が駆け寄り、肩を抱いた。凪はスキャナを見下ろし、額に汗を浮かべる。「反動だ……片側感覚障害。戻るかどうか分からない」
ユウナがしゃがみ込み、響の髪を撫でるようにして震えた。「響、聞こえる?」
響は返答しようとしたが、左の言葉が飲み込まれて、まともに出ない。代わりに視界の左側に黒い斑点が広がる。床の冷たさと槌の柄のざらつきが、身体の一部だけを確かに存在させる。
「大丈夫だ、ゆっくり」凪が言った。だが彼女の口調には焦りが混じっていた。「ただ、これで終わりじゃない。データを見ろ」彼女は床に置いたタブレットを拾って光のスクロールを映した。ケーブルの脈動と同じ波形が、槌の放った脈と完全に同期している線が、画面で重なっている。
「槌の周波数と、地下網の共振が一致してる。奴らは同じ原理で意思を割り当てている。鳴雷槌は、向こうの装置と同じ“合