裂空旗の回収屋と無音伯 第4話「第3章」
アナウンスの合成声が低く折れた。会場の蛍光灯はむらがあり、光の波が人の顔にざらついた影を落とす。グレーの制服を着た職員たちが前に立ち、つめたい紙をめくるように名前を読み上げる。読み上げられるたびに、呼吸がどこかで詰まるように人の列が動く。リオは裂空旗をたぐり寄せ、片手で布の縁を握った。旗は裂け目の模様が入った薄い帆布で、風にふるうと真ん中が空に引き裂かれたように見えた。触れるといつも少しだけ電気のような感触がある。指先に小さな刺が走る。
アナウンスの合成声が低く折れた。会場の蛍光灯はむらがあり、光の波が人の顔にざらついた影を落とす。グレーの制服を着た職員たちが前に立ち、つめたい紙をめくるように名前を読み上げる。読み上げられるたびに、呼吸がどこかで詰まるように人の列が動く。リオは裂空旗をたぐり寄せ、片手で布の縁を握った。旗は裂け目の模様が入った薄い帆布で、風にふるうと真ん中が空に引き裂かれたように見えた。触れるといつも少しだけ電気のような感触がある。指先に小さな刺が走る。
「番号三四七五、移送候補。移送確定まで三分。」
読み上げる職員の声は冷たく、画面に映る説明映像は整然とした統計と笑顔のないイラストを繰り返す。合理化、効率、負荷の最小化。無音伯の言葉が先の大画面から波のように伝わる――選択を減らす合理化。それは正義でもなく慈悲でもない、秩序づけられた切断の言葉だった。
端末兵が姿を見せたとき、会場の空気が固まった。外皮は無表情な金属光で覆われていて、胸部に小さなスクリーンを持つ人型の機械だ。脚の関節のひとつひとつから低いハム音が漏れ、床に影を引いた。端末兵は無造作に群衆を眺め、視線の先で指先が微かに光る。小さな光が触れた人々は、動きを止める。選ばれた者は、秤にかけられたようにたしかな手続きへと誘導されていく。
「あの子を見て」マヤがリオの隣で囁いた。小柄な少年が列から外され、母の腕を離されて歩かされている。少年の膝に泥が固まっている。目が合った瞬間、リオは少年の顔にこびりついた恐れを見た。彼らは保護を求めてここへ来たはずだ。だが無音伯の制度は、重なり合うリスクの計算で人を選んだ。
ジンが旗に触れないでいいのかと詰め寄る。サラは手袋の上から旗の裂け目を軽くなぞり、明るい気配で言った。「今なら、作戦を共有して一斉に動けば端末兵を突破できる。どこに動くか、誰を抱えて逃がすか、全部同時に実行する。裂空旗のやり方よ。」
裂空旗の力はいつも限定されていた――味方と合意した作戦だけを、物理には不可能でも一度だけ実現できる。旗を媒介にして互いの動きが同期し、あらかじめ決めた動作と位置取りが現実に再現される。それは救出のための切り札であり、同時に賭けでもあった。合意を得ること。合意の内容を破れば、作用の範囲が曖昧に広がり、敵にも及ぶ。ひとりで使えば代償が必ず跳ね返る──感覚の一部を失うのだ。失った感覚は、戻るのが遅ければ遅いほど、戻らないかもしれない。
だが意見は割れた。数を減らして全体の安全を守れという者と、目の前の少年を見殺しにはできないという者。職員の読み上げが次の番号へ進む。端末兵が次の標的へ向かって歩を進める。
「作戦案、宣言するよ」サラが小声で、しかし確かな声で言った。「私が前に出て、端末兵の視線を引きつける。ジンは裏口の装置を切って経路を差し替える。マヤは群衆の列を操作して出口を作る。リオ、君は旗で同期を取って、我々の動きを一回だけ確実に再現して。全員がタッチして合意すれば、それで行ける。」
ジンが歯を食いしばる。マヤだけが目を細めて二つ返事で頷いた。「全員一致じゃないとダメだ。端末兵に作用が広がるのはごめんだ。敵に同じ動きを与えるようなものになる。」彼女の言葉に、リオは旗の裂け目を握る手に力を入れた。掌に汗がにじむ。旗の布は冷たかった。
「数が少ないんだ。ここに残ればもっと大勢が巻き込まれるかもしれない」一方で職員の方を向いた中年の男が、声を震わせながら訴える。彼の指は震え、名簿の端をぎゅっと握っている。平穏を保つための合理化。リオの内部で二種類の重力がせめぎ合った──一つは仲間と選んだ作戦で動くという倫理、もう一つは多数の命を守るための最も損失の小さな選択を支持する理性。
判断を先延ばしにする余裕はなかった。端末兵が少年に手を伸ばす。少年はすすり泣いた。母は必死に腕を伸ばしたが、制服の職員に押されて制止された。リオの内側で熱が膨れ上がった。旗の裂け目がまぶたの裏でうごめく。
「合意は得られなかった」ジンが低く言った。彼は後ろで無言のまま立ち尽くし、サラの案に同意しなかった。サラは一瞬顔を曇らせたが、やがて小さく舌打ちをして、力強く笑った。「なら、私たちだけでも行くしかない。」
サラが動き始める前に、リオは決断していた。合意が五人中三人分あれば作戦は成立するはずだ――これまでの経験がそう告げていた。だが今、ジンが黙して反対の意思を示した以上、彼らは「全員一致ではない」境界線に立っている。もたつけば、端末兵に少年を連れ去られる。リオは旗の縁をさらに強く握りしめた。
「リオ、待って」マヤの声が震えた。彼女はリオの腕を掴み、真剣な目で見た。「一人でやるなって言ったはずだ。旗を単独で使うと、聴覚を失うって……」
リオは首を振った。「あの子を待たせられない。サラ、行けるか?」
サラは笑みを消し、短く頷いた。「行くわよ。合図は私が出す。」
リオは裂空旗を自分の胸に当て、旗の裂け目を自分だけの意思で通過するような気分で目を閉じた。合意が十分かどうかをはかる心の震えを、彼は無視した。サラの動きに合わせてリオは旗を振る。布が空気を切る音は、会場の騒音に溶け込んだ。手の中で旗がぴくりと震え、次の瞬間、彼は身体の奥で何かが弾けるのを感じた。
そして世界から、音が引かれた。
最初は小さな違和感だった。会場のざわめきが遠のき、アナウンスの合成声がペーパーの裏で消える。リオは耳の奥で空洞が開くのを感じる。鼓膜の裏側が冷たくなり、血の流れが聴覚を押し流す。周りの声が断片になり、リオは仲間たちの言葉を唇の動きで読む羽目になった。聴覚の喪失は即座に襲ってきた。旗を使った代償だった。心臓の鼓動だけがはっきりと、光るように聞こえた。
しかし、それだけでは終わらなかった。サラが前に出て端末兵の注意を引くと同時に、周囲の人々の動きがリオの想定通りに滑り出した。群衆は自然に裂け、ジンは裏口付近のパネルを蹴って扉を開け、マヤは人々を誘導して通路を作る。裂空旗の同期が働き、計画は一瞬だけ現実になった――だが、それは同時に他者にも作用していた。
端末兵の動きが、リオたちの作戦と同じパターンで反復されたのだ。サラが目くらましのために左へ飛び出すと、端末兵は先回りして左へ踏み込み、盾のように群衆を遮った。リオはその瞬間、旗の禁忌の意味を実感する。合意を半分しか得られないままで使ったため、能力は範囲を制御できなくなり、「敵」すらその同期の対象に含めてしまった。敵と味方が同じ振り付けで踊る。計画は両刃の剣になって跳ね返ってくる。
サラが端末兵をかわして少年の側まで駆け寄ろうとしたとき、機械は冷たく腕を伸ばして彼女の動きを封じた。金属の指先がサラの袖を掴む。リオは必死で駆け寄ろうとしたが、耳が聞こえないという軛が判断を鈍らせた。足元の人の叫び声は波紋のように感じられ、だが声そのものは届かない。サラの唇は引き結ばれ、彼女の目がリオを見ていた。目が合った瞬間、彼女ははっとした表情で口を動かした。リオは口の形で「離せ」と読んだが、彼の身体はにぶく動いた。
端末兵は作動音をあげ、スクリーンに小さな表示が流れた。「同一同期検出。相似行動による補正