裂空旗の回収屋と無音伯 第3話「第2章」
風が裂空旗の破片を揺らした。灰色の空から落ちてきたかのように、布はゆらりと舞い、露天の明かりに薄く光った。断片は縫い目が不揃いで、誰かの叫びの跡だろうか、鋭く割れた切れ端が指先に触れるとざらりとした感触があった。
風が裂空旗の破片を揺らした。灰色の空から落ちてきたかのように、布はゆらりと舞い、露天の明かりに薄く光った。断片は縫い目が不揃いで、誰かの叫びの跡だろうか、鋭く割れた切れ端が指先に触れるとざらりとした感触があった。
リオは手袋越しにそれを撫でながら、周囲の声を遠くに感じていた。歓声もため息も──厚い布越しに聞こえるような、輪郭の薄い記憶のようで、どこか現実味がなかった。目の前の子どもの顔が、いつの間にか継ぎ目のように欠けている。左の頬が、視野からぽっかり抜け落ち、リオはそこで初めて自分の視界が欠けていることに気づいた。
「リオ、まだ平気か?」ミカがテントから顔を出した。顔をしかめている。ミカの声は近い。近すぎるほどだ。
リオは瞬間、笑おうとして引きつった。「大丈夫……たぶん。ちょっと、見えにくいだけだ」
ミカは片手でアオイ──泥だらけの小さな女の子を抱き上げた。アオイは目をぱちくりさせて、裂空旗の小片をじっと見つめる。その布の縫い目に、なにかを感じ取ろうとしているようだった。
「これでまた使えるのか?」ハルが言った。斜めに組んだ腕の筋がぴくりと動く。彼はいつもそうだった。簡単に「押す」ことしか考えない。
「できる。でも代償が大きい」リオは布を握りしめる。裂空旗は彼女の能力の媒介であり、その作用はゆっくりと体の中で波紋を描いていた。共有した作戦を一度だけ──それが旗の基本動作だ。仲間と計画を共有すれば、そのときだけ現実が糸で縫い合わされ、意図通りに動く。だがその一度が、いつも安寧をもたらすわけではない。
ミカが息を吐く。「視力を失ったんだろ。どれくらい?」
リオは左目を押さえてみる。暗闇の縁が薄く広がり、そこから世界の輪郭がにじんでいった。痛みはない。ただ、そこに何かがないという確信だけが残った。「半分──それとも、部分。距離で言うとここから先が薄い」
ユウが手帳をめくりながら近づいてきた。小さな機器を持っていて、薄い光をリオの掌に当てる。機械は静かな数字を吐き出し、軽く眉をひそめた。「神経の反応は変だね。視野の欠損が出てる。俺の解析だと──視覚の一部を代償にした痕跡がある。けど、この先、また使うとどうなるかはわからない」
「わからない、か」ハルの声に苛立ちが混じる。「目が見えなくなるのを待つわけにはいかない。無音伯の連中が、東区全体を囲ってる。今、門が閉まれば──子どもたちも老人も、問答無用で『静区』に強制移送される。あそこで帰ってくるのは難しい」
「『静区』」という言葉に、キャンプの端で物乞いをしていた老婆が顔をしかめた。彼女は手に紙を握っている。白い紙に黒い印が押され、そこには整然とした文字が並んでいた。無音伯の支配は、恐怖でなく制度でやってくる。署名一つで日常が消える。それがいちばん厄介だった。
静かな足音が近づき、空気がひんやりと締まった。無音伯の代理人──白いマスクを被った男が三人、重たい書類の箱を抱えてやってきた。マスクの目の部分は鉄のように光り、誰の表情も透けない。彼らが発するのは声ではなく、携えた端末の指示音だけだった。そこから流れる合成音が、場内の人間たちの話をさっとかき消す。
「避難の手続きを。静区への移送が最善です。自宅被害は最小限に抑えられます。合意がない場合は収容の対象です」合成音は平坦で、説得を目的とした柔らかさがあった。
リオはその言葉を聞いて、胸の奥が冷たくなるのを感じた。合意がない場合は収容──それは選択を奪うやり方だ。無音伯は声を奪う代わりに、選択の入口をこじ開けないように取り計らう。人々に「選ばないことが最も安全だ」と繰り返させる。
ハルが唇を噛んだ。「俺たちが介入しなきゃいけない。今度こそ旗を──」
「今度こそって、何度も使えるわけじゃない」リオは声を押し殺した。裂空旗は共有の誓約を伴う。それが仲間の合意なら安定して作用するが、強引に合意を無視して使えば、その作用は敵にも波及するという危険な性質がある。敵にも作用する──言い換えれば、敵の意思も計画に縫い込むことができるということだ。それは魅力的で、恐ろしく、規則を破ることを意味した。
ミカが眉を寄せる。「敵にも作用するって、具体的には?」
ユウが端末の画面を指でなぞりながら説明する。「理論上は、合意の範囲を外すことで『計画の参照点』が広がる。通常は共有者の意図だけが実現されるけど、合意を強引に外すと、周囲の意志まで干渉する。つまり相手の動きをこちらの計画に合わせることが可能になる。ただし、代償は使用者に返ってくる。反動が強く、感覚の一部を奪うっていう報告が過去に——」
ユウはそこで言葉を切った。過去の報告を僕たちは知らない。リオはそれを知っている。自分の左の世界が欠けたのは、その反動の一端だ。だが、もし強引に使えば、無音伯の部隊を一網打尽にできる可能性もある。敵をこちらの絵の中に閉じ込めれば、人々を守れる。
アオイが小さな声で言った。「あの人たち、こわい」
彼女の指先が裂空旗に触れ、布がふわりと揺れた。アオイの手のひらに布のざらつきが刻まれる。周囲は静まり返った。小さな女の子の選択が、ここでどれほど重いかを、誰もが瞬間的に理解した。
「避難証を渡してもいい。静区は安全だ、と」白いマスクの代理人が、合成音で続ける。「強制収容は、秩序維持のためです」
老婆が指を震わせながら首を横に振る。その唇は震えているが、声が出ない。マスクの代理人は不快そうに首を傾げ、箱を開けて署名用のペンを差し出した。周りの人々がざわつく。誰かが足を踏み外し、隣の子どもが泣き出す。
「ここで決めるのは、被害を最小にすることだ」と代理人の合成音は言う。しかし「決める者」自身が選択の外に立っているように聞こえた。
ミカの目が潤む。彼女はアオイを見下ろし、そっと手を伸ばした。「アオイ、君はどうしたい?」
アオイは小さな手を裂空旗の端に絡め、少しの間考えてから顔を上げた。目は真っ直ぐで、子供らしい怖さと同時に、確かな意志がそこにあった。「ママのところにいたい。ここで待ちたい」
その言葉を聞いた瞬間、リオの心臓が跳ねた。待つことを選ぶ──それは同時に、無音伯の圧力と対峙するという意味でもあった。もし仲間全員がこの計画に合意するなら、旗を使ってアオイたちを守ることはできる。しかし、周囲の大人たちの多くは、もう恐怖に染まり、合意を拒む可能性が高い。彼らは「安全」を選びたがる。そうなると、計画の共有に必要な合意が得られない。
ハルが地面を蹴って立ち上がった。「合意が得られないなら、無理やりでもやるしかないだろ!」
「無理やりって、どういうことだ!」ミカが声を荒げる。「無理やり計画を押し付けると、その作用は敵にも及ぶって言った。敵にも作用すれば、人々の意思が犠牲になるかもしれない。私たちが選択権を奪うのと、無音伯が奪うのと、何が違うというの?」
「違うに決まってる。俺たちは守るためにやる!」ハルの拳が震えた。「誰かが痛みを負うのは当たり前だ。リオだって目を──」
リオはハルの言葉を遮った。「代償が私一人で済むなら、俺はいい。でもそれで他の誰かが、声や意思や——そういうものを奪われるのは違