銀河鉄拳の侍従と石英軍 第5話「第4章」
冷たい風が搬送列車の屋根を叩いた。澪は手甲をはめた右手の甲をもう一度確かめる。黒い革の上に、先日の訓練で刻印した「作戦フォーマット」が光彩を薄く帯びていた。細い線の交差点に沿って、まだ乾かない油の匂いが残る。
冷たい風が搬送列車の屋根を叩いた。澪は手甲をはめた右手の甲をもう一度確かめる。黒い革の上に、先日の訓練で刻印した「作戦フォーマット」が光彩を薄く帯びていた。細い線の交差点に沿って、まだ乾かない油の匂いが残る。
「準備はいいか?」ハルが低く囁いた。彼の息が白く、ヒゲの先に小さな氷の粒がついている。口調は平静だが肩先は震えていた。後ろのコンテナに隠れている避難民たちの顔が、月明かりの中で恐怖と疲労に引きつっているのが見える。
「手順を確認する。合意のサイン、刻印の同期、カウントの共有。三、二、一で発火だ」澪は短く言った。声は冷たくも温かくもない、事務的な響きでチームをまとめる。前世で侍従として危険な場を支えた訓練が、彼女の声と動作に染みついている。
「カナ、シン、サインは?」澪が横にいる二人を見る。カナは小さく頷き、左手の手甲の内側に「承認」と刻んだ。シンだけは顔を伏せたままだった。彼は避難民の一人で、年は若い。昨日の破産通告と石英軍の徴用令に怒りと恥が混ざった表情だった。
「俺は――」シンがかすれた声で言った。「いやだ。あんなこと、俺にはできない。人の動きを奪うなんて……」
「作戦は、味方の合意が前提だ」ハルが言った。「一人でも欠けたら、能力はどう作用するか分からない。今回はやめるか、別の案を出すかだ」
澪の心臓が一瞬早鐘を打った。能力の決まりは皮膚感覚のように覚えている。共有された作戦だけを一度だけ実現する銀河鉄拳。合意なしに無理に発動すれば、その作用は敵にも及ぶ。敵に作用するというのは、言葉の通り「相手の動きや感覚まで」影響を与える可能性がある。操ることにも、奪うことにも使える。澪はそれがどういう意味を持つか、完全に分かっていた。
「シン、君が拒否する権利はある」澪は静かに言った。「でも、ここにいるみんなの選択も尊重したい。君は――」
シンは俯いたまま額に手を当てた。息が震えている。「俺は、誰かを従わせる手伝いなんてしたくないんだ。たとえ、それで仲間が助かるとしても……」
静寂が辺りを包む。遠くの監視塔から鈍い足音が響いてくる。石英軍のパトロールが定時に巡回してくるのはわかっていた。時間はない。
「選択は個人のものだ」カナが言った。「でも、誰かを殺すためじゃない。避難民を動かす。逃がす。それだけよ。私たちは守る側で、奪う側にはならない」
「分かってる」シンはかすかに震える声で言った。「だけど……」
ハルが手を差し出した。その指先にうっすらと油の光が残る。彼は、かつて兵站で負った傷があって、声が少し擦れていた。「じゃあ、もう一つの選択だ。俺たちだけでやる。君はここで待っていてくれ」
シンの顔に一瞬哀しみが浮かんだ。だが彼は首を振らなかった。澪はハルを見る。彼は自分の意思で、仲間の合意とは別に発動を選ぼうとしている。澪はそれがどういう結果を招くかを知っている。合意の欠如があると、銀河鉄拳は敵にも作用する――機械的に、法則のように。
「ハル、駄目だ」澪は手を伸ばした。だが同時に、監視塔の灯りが瞬きをして消え、鉄の櫓を伝う足音が近づいた。時間が限られている。彼らに残された猶予は数秒だった。
ハルは一瞬振り返り、澪の目を見る。そこには命令口調でも説得でもない、ただ一つの問いがあった。澪は考えを巡らせる。仲間を守ることと、他者の意思を尊重すること。どちらも、彼女の守るべきものだ。
「やるなら、共に責任を取る」澪は言った。決断は彼女の胸の中で固まっていた。「合意は取れなかった。だが俺たちはこの場にいる全員のために動く。敵に影響が行くなら、その後で説明し、修復を試みる。理解は得られないかもしれないが、私はそれを受け入れる」
ハルは苦い笑みを浮かべて、手を差し出した。カナも、僅かな躊躇の後に手を合わせた。シンはまだ唇を震わせていたが、逃げ遅れた老人と子供たちを見て目を閉じる。彼らは全員、各々の意思でその場に留まるという選択をした。澪にはそれが、合意とは違う何かに思えた。強制ではない。自発的な覚悟だ。
澪は深呼吸を一つした。手甲が微かに温かくなる。作戦フォーマットの線が光を帯び、周囲の空気に小さな振動が走る。彼女は声を出してカウントを始めた。
「三、二、一――発動!」
瞬間、世界が歪んだ。澪にはそれが機械のクリックのように感じられた。目の前の空気がスローモーションになり、雪片が針のように遅く落ちる。避難民たちの呼吸音が増幅され、同時に遠くのパトロール隊の足音が逆に遅れて聞こえる。不思議な調律が行われ、彼女たちの動きは完璧に同期した。荷車の横に寄せられていた鉄板が揺れ、皆が一糸乱れずにそれを跳躍台として使い、狭い間隙を抜けていった。
だが、同時に――
澪の右耳に突き刺すような金属音が鳴った。喉の奥に金属の味が広がり、視界の右縁が微かに揺れた。彼女の手甲の刻印が短く閃光を放ち、次の瞬間それは静まった。仲間は無事に列車から離れられた。避難民のうち年配の一人が涙を流し、子供が澪の袖をぎゅっと握った。
「成功だ」カナが息を吐いた。「奇跡のようだよ」
だが喜びは長くは続かなかった。すぐに、彼らが通り抜けた監視線路の向こうで、石英軍の一人の少尉が足を止めた。彼女の動きは不自然にゆっくりで、その瞳には驚愕と、どこか他人の意思に操られているような緊張が見える。彼女の腕に光る手甲が、澪の胸に重くのしかかった。
「止めろ!」その少尉の声は、鉄のように硬かったが、口調の奥に迷いがあった。彼女の手が勝手に動き、発射ボタンを押す振りをしたのち、止めた。動きが途中で止まる。まるで誰かがその体を途中で引き戻したかのように。
澪は凍り付いた。能力が敵にも作用した。機能としてはその通りだ。敵の意思の一部を捻じ曲げ、動きを抑制した。だがそれは同時に、彼女たちが尊んできた「選択の尊重」を侵すことでもあった。澪は胸の内で嫌な熱が広がるのを感じた。成功の喜びが薄れてゆく。
「申し訳ありません、少尉!」ハルが手を差し出して声をかけた。だが少尉の顔は冷たく、しかし瞳はどこか悲しかった。
少尉はゆっくりと胸元から何かを取り出した。石英の光を帯びた小さな装置。手甲の類似点は、澪たちのものとは違う――それは制度的な物品のようで、機能を標準化していた。装置の側面に彫られた文字は、澪の手甲の刻印と驚くほど似ていた。だがその周囲には、規格番号と府令章が刻印されている。
「あなたたち……同じようなものを使うのか」少尉は呟いた。彼女の声が震え、涙が一粒こぼれ落ちた。「私たちは命令でやっているだけ――市民の秩序を守るため。誰も悪くないの。だけど、時々自分が何をしているのか分からなくなる」
その一言が澪の胸を深く刺した。石英軍は個人の悪意というよりも、制度として人々の選択を奪っている。少尉の手甲は、制度が同じ力を管理・配布している証拠だった。
「これは……」カナが小声で言った。「同じ技術を、違う目的で使っているのね」
澪は息を整えようとした。だが右手の指先に冷たいしびれが走り、耳鳴りが続いていた。視界の輪郭がまだぼやける。先日の模擬で感じた小さな異常よりも、今回のダメージは明らかに大きかった。合意の欠如と、敵