光導斧の航海士と図書兵器庫 第8話「第7章」
モニターの群れが、街の断片をばらばらに映している。小さな四角い窓が十数個、異なる角度の路地、屋根、焼け跡を覗かせ、窓ごとに斧の光が、ほのかな青白い灯火のように残滓として漂っていた。蒼井瑠璃は肘をつき、柄の短い光導斧を膝に抱える。柄は手の中で暖かく、微かな振動を含んでいる。航海で何度も頼った舵ではない。だがこれも、進路を指し示す装置の一つだと彼女は思った。今は「支援役」に徹するだけだ――と。
モニターの群れが、街の断片をばらばらに映している。小さな四角い窓が十数個、異なる角度の路地、屋根、焼け跡を覗かせ、窓ごとに斧の光が、ほのかな青白い灯火のように残滓として漂っていた。蒼井瑠璃は肘をつき、柄の短い光導斧を膝に抱える。柄は手の中で暖かく、微かな振動を含んでいる。航海で何度も頼った舵ではない。だがこれも、進路を指し示す装置の一つだと彼女は思った。今は「支援役」に徹するだけだ――と。
「瑠璃、透が動くって。三つ目の拠点の路地で救出をかけるって、今」
無線の、結の声。息が荒い。エンジニア恩田結(おんだ ゆい)は手元の機材に追い込まれながらも、ずっと瑠璃の背を押してきた。だが彼女も、今は別のことに手が取られている。図書兵器庫の監視網を短時間遮断する彼女の装置は、起動準備にまだ数秒を要する。
「透は聞いてる?」瑠璃が訊く。映像の一つに、薄暗い路地を走る男の背が映っている。常盤透(ときわ とおる)。小さな背丈に長いコート、後ろで乱れた髪。元は港の先で雑務をこなした男だが、戦場ではとにかく体を張るタイプだ。
「聞いてるわよ。自分の判断でやるって。瑠璃、君は遠隔で指示だけしてろって。……でも、正面突破するってさ」
透の口調には、怒りでもなく、焦りでもない、決意が混ざっていた。瑠璃の胸が収縮する。彼女は視界の端で、斧の光が小さな軌跡を描き、各モニターに消え入りそうに残るのを見た。合意の灯火、それはいつも仲間の声と重ねて初めて温まる。
「待って、結のジャマーが入るまで……」
瑠璃は制止した。だが無線は途切れ途切れで、透の単独行動はもはや始まっていた。男は角を曲がり、路地の奥へ踏み込む。そこは図書兵器庫が巡回に使う「索引塔」の一つ――紙で覆われた機械が、読み取りと選別を繰り返す場所だ。映像越しに、薄い紙片が風に舞う。呼吸が詰まるような匂い、油と埃と薬品が混じったような匂いを瑠璃は想像した。海の匂いではない。だが彼女は舵の感覚で道筋を描き、味方にルートを示すことには慣れている。
「瑠璃、あの角に待ち伏せだ。図書羽が三枚、目録槍が一基。選択封印を使ってる。……人が、動けない」
結の声が細くなる。映像の中心に、布で目隠しされた人々の群れが見えた。彼らの腕には小さな紙札――「選択符」とでも呼ぶべきものが縛られている。紙の上には細い文字で『承認済』と印が押されていたが、その文字は誰の承認かを示していない。図書兵器庫の攻撃は、物理を壊すだけでなく、決断を封じる。そこに居る者たちが、選ぶことを許されていない。
「透、戻れ!」瑠璃の声が震える。が、無線の向こうで銃声が一度、乾いた破裂音になって消えた。透の苛烈な息が聞こえる。カメラがふらつき、倒れる黒い影。路地が赤い閃光で照らされ、次の瞬間、無線が途切れた。結のジャマーはまだ、起動していない。
「瑠璃、行けるのか?」返ってきたのは、いつも冷静な薬師の澤村草(さわむら くさ)。彼は傷の手当と応急処置を一手に引き受ける。だが映像を見たその顔は硬い。多数の避難民の命が、分岐点にある。
指が斧の柄に触れた。冷たさと同時に、奥の方から低い振動が伝わってくる。光導斧は「共有」を媒介する。合意の糸を光で編み、仲間の考えと行動を一つの作戦に束ねる。ただし条件がある。斧が実現するのは「味方と共有した作戦だけ」だ。合意がなければ機能は鈍り、あるいは別の作用を及ぼす。もうひとつの代償はいつも胸の奥で脈打っていた――単独で扱えば、瑠璃自身の感覚の一部を反動で失う。さらに、仲間の合意を無視して作動させれば、その作用は敵にも作用する。だが「敵にも作用する」とは、単に無効化する意味だけではない。選択を奪うという、図書兵器庫と同じ種の負の力にも成り得ることは、瑠璃が最も恐れることだった。
無線は沈黙を貫き、彼女は自分で決めることを余儀なくされた。目の前の映像は、戻れない選択を迫る灯台のようだ。航海の夜であれば、嵐の中で一つの舵を選ぶ。それが良い方策かは、上甲板で新たに風が吹いてみないとわからない。しかし今は、人がここにいて、声が届かない。
「瑠璃、行くなら早い方がいい」結が吐き捨てるように言った。彼女の機材はまだ作動していない。だが声は、救いたいと願う者の声だ。
瑠璃は目を閉じ、光導斧を握り込む。一瞬、背後で何かが呼応するような気配があった。航海士としての嗅覚だろうか。彼女は思い描く――透の追い込まれた状況、避難民の混乱、草の包帯が必要な手、結のジャマー、そして自分の手が取るべき航跡。だがそれは、仲間の合意を得たわけではない。無線で承諾を取る時間も、鍵を回す時間もない。
「やるぞ」言葉が出る。自分で決めたことを認めるように、瑠璃は斧を地面に突き立てた。柄から光が束になって跳ね上がる。青白い光は回転し、周囲の空気を振るわせる。金属の匂いが鼻腔を撫で、耳の奥が一瞬、遠のく感覚がした。光は、彼女の意思を媒介に走った。
作用は即座に現れた。路地の空気が変わり、選択符が薄く震え、やがてその墨文字が滲んで消えた。人々の身体がゆっくりと震え、血肉の下に眠っていた自律が戻る。透の体が路地の影から姿を現し、倒れてなお必死に命令を叫んだ避難民の一人が、手を藁にもすがるように伸ばす。機械群は突然、作動を止めた。目録槍は軸を固め、紙翼は風に向かって崩れる。だが同時に、敵の顔のいくつかが、奇妙な切断を見せた。動かぬ瞳の奥に、空白が広がっている。選択が戻る代わりに、どこか不在のような冷たさが宿った者たちがいる。
痛みが遅れて襲った。最初は耳鳴り、次に嗅覚の消失。甘さや塩気を味わうことができない。世界の輪郭がどこか距離を置いたように薄くなる。航海で得た直感が、何かを代償にして喪われていくのがわかった。海の色を見失うように、一部の感覚が奪われた。
「瑠璃!」無線に結の叫び。だが彼女はもう、声が遠い。足元に倒れそうになるのを草の支えで踏みとどめた。透が駆け寄る。彼の手は泥に染まり、額には血が滲んでいた。だが目は生きている。彼は瑠璃に身体を預け、荒い息で、「何をしたんだ」と問いかける。
「救った……選択は戻したつもりだ」瑠璃が言葉を絞る。唇の先で、味が消えている。彼女は嘘は言えなかった。救いはあったのか、奪われたのか。今は確かめる術がない。
結が膝付き、瑠璃の頬に手を当てた。冷たくて、しっかりしている。彼女の目は怒りと安堵が混ざって揺れていた。「何で無線で合意を取らなかったのよ。あなたの力は、私たちの合意の上で機能するように設計されているって、私たちだって知ってる。あれは――」
「時間がなかった」瑠璃はかすれた声で答える。言い訳にも聞こえる。結はそれを聞いて顔を顰めたが、すぐに救急袋を開け、瑠璃の耳元に冷たい包帯を当てる。治療は感覚を完全に戻すものではないが、痛みを和らげた。
透は斧の光の行方を追った。路地の瓦礫にいくつか小さな光の斑点が残っていた。それらは暖かく、消えかけのランタンのようだ。人々の手に触れられた灯火は、しばし残り、その場に小さな安堵を残す。だが無人の表情をする者たち、動きの鈍い機械、壊れた索引塔の回路――全てが一つの疑問符を形作る。
「敵にも作用した」と草が低く言った