光導斧の航海士と図書兵器庫 第10話「第9章」
雨は細く、しつこく屋根を叩いていた。瓦とトタンのリズムが小刻みに響く屋根裏で、ミオは光導斧の柄を抱きしめるようにして座っていた。斧身は薄い乳白色に発光し、触れる指先に微かな振動が伝わる。湿った空気に混ざって、金属の匂いが鼻腔の奥をつついた。
雨は細く、しつこく屋根を叩いていた。瓦とトタンのリズムが小刻みに響く屋根裏で、ミオは光導斧の柄を抱きしめるようにして座っていた。斧身は薄い乳白色に発光し、触れる指先に微かな振動が伝わる。湿った空気に混ざって、金属の匂いが鼻腔の奥をつついた。
「来たか」レイが低く言って、盗んできた小さな装置を差し出した。ルカがそこに入っていた。彼のコートの裾は泥で濡れ、目は落ち着きを失っていたが、手には確かな確信があった。
「これが内部の索引だ。図書兵器庫の生成ログ、投影アルゴリズムの骨格、同意のキャッシュ。全部、抜いてきた」ルカは息を弾ませるように言った。彼が装置を置くと、薄いホロマトリクスが天井に投影された。青白い線が河のようにうねり、都市の地図上を流れる。点々と灯るのは、選択提示を受けた地区だ。
ミオは斧を膝から少し離して、その映像を見上げた。映像の流れは、実在の川のように街角を覆っていた。光の帯は家々の屋根に滴り、通行人の頭上を滑り、目に見えない手で意志を編み替えていくようだった。
「見えたか?」ルカの声に、ナオトが近づいてきて頷いた。「彼らは記録から最短の“選択列”を吐き出す。過去の履歴、統計、既存の結果。そこに入れられた多数のノードは、選択肢を切り詰めていく。人は“最適”を与えられる代わりに“曖昧さ”を失う」
「それは結局、意思を短絡させるだけだ」サキが言った。サキの手は震えていた。医務所の記録を見てきた彼女は、選択を奪われた人間がどれほど壊れるかを知っている。
ミオは光導斧の柄をぎゅっと握りしめた。斧によって発現する能力のルールは、これまでの行動で何度も確認してきた――斧は、仲間と共有した具体的な作戦だけを一度だけ“現実化”する。だが単独で発動すると、代償は体の感覚を削る。仲間の合意を無視して使えば、その“現実化”は敵にも作用し、味方と市民へも非選択的に及ぶ。
「それで、どうするんだ?」レイがストレートに訊いた。屋根裏には雨音と、投影の低いハム音だけが残った。
ルカが深く息を吸った。「書記棟の中枢に“同意キャッシュ”という領域がある。図書兵器庫はそこに一時的な“合意のサンプル”をためておく。外部からの疑問や抵抗があっても、キャッシュされた“合意”を再生すれば街全体に即座に最適解を押し出せる。そこを書き換えれば、提示の形式を変えられる。選択肢を残す提示にできる」
「でも、端末は閉ざされてるんだろ?」ナオトが眉間に皺を寄せる。「物理的にアクセスするには、署名が必要だ。航海士の航跡コードと呼ばれている。航海士――ミオ、お前の斧の反応が唯一、インターフェースを合うっていう噂は本当か?」
ミオの胸が締め付けられた。光導斧はかつて彼女が危険な現場で仲間と道を切り開いた記憶の結晶だ。だがその力は、条理にも重い代償がある。
「噂じゃない」ミオは小さく頷く。「斧は航跡(トレース)を伴う。図書兵器庫の端末は、その航跡を“合意の署名”として読む。だが、それは仲間の合意とセットで初めて正しい動作をする。単独では俺(私)は――」
言葉が切れた。ミオは手の平で斧の柄をさすった。周りの瞳が彼女に集中する。もし彼女が一人で端末に触れれば、その代償は感覚の一部の喪失だ。端末を起動しても、それが“合意”でなければ、提示は敵対的にも作用する。都市の住民に対して強制的に何かを押し付けることになる。
「俺たちは選ばれる側が選べるようにしたいだけだ」レイが静かに言った。「押し付けるのはダメだ。だが、正面から“合意”を集めるのは時間がない。監視は強まっている」
その時、外で金属が擦れる音とドローンの低い空鳴りが聞こえた。図書兵器庫の巡回、選書官の小隊だ。窓に映る青い光が屋根裏の木材に乱反射する。
「来た」ナオトが呟き、素早くボルトランプを落とした。全員が息をひそめる。足音が階段を伝って近づき、低い声で何か無機的な命令が通達される。窓の外に見えたのは、滑らかな外装の巡回ユニットと、薄い縦帯の光を下ろす選書官の装具だった。
合意の問題は待ってくれない。ナオトが小声で「脱出ルートは三つ、真っ直ぐ行けば中央通り、曲がれば倉庫区。俺は裏口を塞がれるリスクがある」と言う。
「ナオトを連れて逃げるつもり?」ミオが訊く。ナオトは首を振った。「いや、守るべきは市民だ。だが、もし……」
窮地で人は判断を求められる。ミオは瞬間、決意を固めた。仲間の一人であるナオトが選書官に押さえられ、拘束されるところを見たら、彼は命を失うかもしれない。走る血の音が耳に届く。手の中の斧が軽く震えた。
「あいつらを――」ミオは言いかけた。レイが静止の手を差し伸べる。「待て。全員の同意は?」
サキが、震える声で首を振った。屋根裏の空気が重くなった。外では選書官のランプが窓に近づき、影が四角く伸びる。
ミオは目を閉じ、思考を鋭く研いだ。状況は二つに割れている。仲間の合意を得るか、ナオトを救うために自分一人で行動するか。どちらも代償がある。時間はなかった。
「やる」ミオは静かに言った。言葉は小さかったが、意志は揺るぎなかった。彼女は斧を抱え直し、足の裏が木の板に吸いつくのを感じた。合意の声はまだ整っていない。レイの手はミオの袖を掴んだ。「ミオ、待て。合意がないと――」
ミオはレイの手を振りほどいた。雨音が高くなり、薄いホロの河が頭の中でうねる。彼女は斧を掲げ、力を込めて声に出した。「ナオトを取られるわけにはいかない。ここで止める」
空気が振動した。乳白の光が柄から刃先へと流れる。屋根裏の影が淡く踊り、ホロマップの流れに触れる。斧は――作戦を“実現”しようとする。だがその実現は、彼女の単独の判断であり、仲間の合意は不完全だった。
外の鉄扉が叩かれる音と同時に、ミオの周囲が揺れた。光の流れが屋根裏の隙間を抜け、窓を割って外へ溢れ出す。通りでは巡回ユニットのシグナルが乱れ、選書官たちの動きが一瞬停滞した。だが同時に、通行人の一部も立ち止まり、体の動きがぎこちなくなった。ミオの心の奥で、嫌な感触が波打つ――何かが奪われていく。
斧の代償が後から襲ってきた。最初に消えたのは匂いだった。雨の匂い、木の匂い、ナオトの汗の匂い。世界から匂いが引かれてしまい、ミオは喉元に空虚を感じた。次に、視野の片端が暗く沈み、周辺視野がぼやけていく。数歩先の輪郭は残るが、脳が細い縁取りを引いたように景色を切り取る。
「ミオ!」レイの声が遠くて、切実だった。ミオは声に引かれて反応し、必死に刃を振った。術は働き、選書官の装置にノイズの波が入る。巡回ユニットは動作を停止し、数名の選書官が地面に崩れ落ちた。だが同時に、近くの無関係な住民も硬直し、道端の老人が小さく呆然と立ち尽くした。子供が泣き出し、抱かれたまま動かない。
「何をしたんだ!」サキが叫んだ。怒りと恐怖が混ざり、声は震えた。ミオは周囲からの視線が刺さるのを感じる。彼女の行為は確かにナオトを助けたが、代わりに無垢な人々の即時の“選択”を奪ってしまった。しかも、自分は感覚の一部を失い、世界が以前のように完全には見えない。
屋根裏はすぐに混乱に包まれた。選書官の一人が立ち上がり、無線で命令を送る。機械が再起動を