骨笛剣の配達員と硝子騎兵団 第7話「第6章」
光帯が裂ける音が、ホールの中心で鳴った。硝子の天井を貫いたわけではない。人の意思が、ぎゅうと圧されて砕けるような音だ。葵景(あおい けい)はそれに振り向かず、骨笛剣を握りしめた右手の鼓動だけを聞いていた。掌に伝わる冷たさが、いつもより鋭い。
光帯が裂ける音が、ホールの中心で鳴った。硝子の天井を貫いたわけではない。人の意思が、ぎゅうと圧されて砕けるような音だ。葵景(あおい けい)はそれに振り向かず、骨笛剣を握りしめた右手の鼓動だけを聞いていた。掌に伝わる冷たさが、いつもより鋭い。
「避難通路3は塞がれてる。向こうの列が…もう動けない!」ミナの声が、瓦礫と悲鳴の間で震えた。彼女は簡易医療バッグを背負い、瞳に血の気が混じっている。周囲の避難民は薄布を被り、硝子の光を反射する壁に追い立てられていた。ホールの柱は細いガラスの管のようで、昼の陽光が無数に割れて迷路を作っている。そこに硝子騎兵団の兵が配置され、白い装甲の継ぎ目から冷たい機械音が漏れていた。
「こっちからの突破は無理だ。外から援護が来るまで時間がない」拓(たく)が低く言った。彼は元配送の護衛で、今は景の実働部隊の一員だった。肩に食い込むショルダーバッグの縫い目が、いかにも頼りない。だがその目は冷静だ。景はその目にうまく合わせられない。見えない部分——先日の救出で失った視界の黒い欠片が、時々景の判断をすり抜けるように存在していた。
「じゃあ、やるしかない」景が言う。骨笛剣が掌で微かに震え、陶のような、しかし骨そのものの匂いが鼻腔をくすぐった。笛の穴に指を置くと、かすかな共鳴が指先を伝った。共有計画の起動条件はいつも冷たい。仲間と合意を重ね、声に出してそれを共有し、同じ音を出すこと。その一連の合意が、骨笛剣を媒介に戦術を物質化させる。だが同時に、それは重い取り決めだ。使えば必ず、代償が返ってくる。景はそれを知っているから、いつも慎重であろうと努めてきた。
「全員、聞いてくれ」景は集まった四人に向き直る。ミナ、拓、サト――通信器からの音声だけが届く技師のサト。最後にノア、薄茶の髪の少年が恐怖で震えながら拳を握っていた。避難民の列から一人、二人と彼らの顔が見え隠れする。無力だと拒む目、誰かに委ねたいと差し出す手。合意はここで生まれるか否かで、死と生が分かれてしまう。
「計画を共有する。三秒、私が笛を吹く。笛の波はホールのガラスに沿って——」景は言葉を切り、骨笛剣の穴に息を流し込むつもりで口を開けた。その瞬間、ノアが乱暴に手を伸ばしてきた。
「待って!」声は必死だった。「僕たち、強制で…僕は——選びたいんだ!」
その声は他の何よりも重かった。避難民の一人として、ノアは自分の意思を明確に示した。だが時間は無慈悲だった。背後の硝子騎兵の一隊が、角柱の陰から歩を進める。白い装甲が光を受けて氷の帯のように反射する。もしあそこで止まれば、列は撃たれ、砕かれる。景はノアの目に映る選択の叫びを見た。自分はかつて配達員として、現場で選べる状況を作るために走り回ってきた。だが今、目の前にいる人々は「選ばれる」ことを拒む。彼らの拒否を尊重すれば、死ぬかもしれない。
「ノア、聞いてくれ」ミナが手を伸ばした。だがノアはその手を振りほどき、後ろに下がろうとする。裂けそうな息遣い。時間が削られていく感触。景の指先に汗がにじんだ。骨笛剣が決意を求めるように鳴った気がした。
景はそのとき、選ぶことの重さを初めて恐れた。合意を得る倫理と、命を選ぶ実利の間で、刃の先は細く揺れている。もしここで全員の明確な合意を取れなければ、骨笛剣を「無断で」使うことになる。規則――仲間の合意を無視すれば、能力は敵にも作用する。過去に聞いた断片の言葉が耳の中で反芻する。能力が「敵にも作用する」ということは、敵を無差別に操作したり、戦果を不均衡にする可能性がある。だが逆に、無差別に効果が及べば、置かれた人すべてを救えるのかもしれない。景は手の震えを押し殺した。
「景、決めて」拓の声も穏やかではなかった。「時間はない。もし君がやると言うなら、俺たちはついていく」
ノアの瞳が揺れた。薄い皺が眉に寄る。彼は震える声で言った。「僕、自分で…それでもいいの?」選ぶことを怖がりながらも、選びたいという気概がそこにあった。景は、その意志に触れてしまったらもう躊躇いは許されないと知っていた。
「やる。合意は、ここにある」景が言い、骨笛剣の柄を三人の手の内側に向けた。ミナと拓が掌を重ねる。サトの手も滑り込む。誰もが口をつぐみ、同じ計画を頭の中で描く。避難通路の確保、硝子の沿いを裂いて短時間だけ「別の現実」を作り出すこと——計画は単純だが、共有されることによって実現する。ノアも、震える手で小さく頷いた。名目上、合意は取れた。だがノアの顔には後悔と安堵が混ざっていた。それは、景にとって予期せぬ重さをもたらした。
景が吐く音は笛というよりも、尖った鈴のようだった。骨笛剣の穴を通った空気が、小さな音波となってホールに広がる。硝子が息をするように波打ち、光の縫い目が歪む。避難民の体温が揺れとなって伝わる。景は笛を押し付けるようにしてもう一度、三つの指を重ねた。
その瞬間、視界の中央から黒い切れ目が走った。音は断続的に耳鳴りへと変わり、世界の輪郭が喪われる。景は足元で誰かが叫ぶのを感じたが、声が遠くなり、語尾が消えていく。重力の向きが一瞬変わったように思えた。ミナの手が景の手を握りしめ、拓がノアを引っぱった。ホールのガラスが裂け、光が線となって空間を切り替える。割れた硝子は鋭い波紋となって避難路を形作り、人々はその波紋に沿って転がるように動き出した。
避難は、奇跡のように成った。だが景の視界の黒い部分は、そのまま残った。最初は小さな点、次第に半径を広げていく。誰かの顔が輪郭だけになり、表情が読み取れなくなる。音も左右でずれ始め、右側の静寂に左側だけが叫んでいるような錯覚に陥った。胸に空洞ができたような気分がした。代償だ。景は背筋に冷たい痛みが走るのを感じた。
救助が完了すると、仲間たちは息をついた。裂けたガラスの間を抜けて、避難民たちは薄暗い裏通路へと押し出された。誰も死ななかった。景はその事実に、ほんの少しだけ安堵した。しかし同時に、体内に残る鈍い喪失が、他人の安堵を曇らせる。ミナが景の顔を覗き込み、言葉を飲み込む。
「景、大丈夫か?」拓が訊く。その声に、景は右側の空白が答えないのを感じた。返事をするつもりで口を開けたが、言葉は喉でつっかえた。
そのとき、ホールの端に人影が現れた。硝子騎兵団の中堅将校だ。彼の名は矢原慶(やはら けい)。剣のように細い顔立ちに、幾分年齢がにじむ。装甲は他の兵士と違って、透明な硝子のような板が縫い合わされている。その板に、微かな骨色の欠片が埋め込まれていた。陽光がそれに当たって、閃光のように反射する。
矢原はゆっくりと拍手をした。音は不気味にホールにこだました。彼の周囲の兵は密やかに整列している。彼の笑顔はまるで、誰かの既成事実を確認するかのようだ。
「感心したよ、配達人さん」矢原は言った。「よくやった。だが、驚いたな。君たちの骨笛と同種の欠片が、我々の装備にも使われているとは」
景はその言葉に、冷たいものが背筋を這うのを感じた。骨笛剣の欠片──景の中ではそれは個人的で、仲間とだけ交わす秘密の道具だった。だが矢原は平然と、その類似点を指摘する。彼は胸の硝子板に指をやり、そっとその欠片を触れた。欠