骨笛剣の配達員と硝子騎兵団

骨笛剣の配達員と硝子騎兵団 第6話「第5章」

雨はまだやまなかった。瓦礫の山肌から垂れる水が、薄暗い路地を細い滝のように滑り落ちる。ユウは背中に背負った配達袋の重さよりも、胸の奥に残る重さを意識していた。袋の中には、昨日必死に取り戻した薬と、誰かのための乾いたパン二つ。だが今、彼の目の前にあるのは、もっと切実な選択だった。

雨はまだやまなかった。瓦礫の山肌から垂れる水が、薄暗い路地を細い滝のように滑り落ちる。ユウは背中に背負った配達袋の重さよりも、胸の奥に残る重さを意識していた。袋の中には、昨日必死に取り戻した薬と、誰かのための乾いたパン二つ。だが今、彼の目の前にあるのは、もっと切実な選択だった。

「じいちゃんが捕まったって。本当に、そこに置いていくのか?」

ミナが荒い息で言う。毛先から落ちた水滴が彼女の頬を伝い、暗い目が鋭く光る。路地の入り口の方からは、硝子騎兵団の足音と、低い金属音が断続的に響いていた。騎兵団の甲冑は雨を受けてチリチリと音を立てる。硝子という名に違わず、薄く青白く反射する装甲の縁が、街灯の残り火を細く裂いていた。

「温存すれば、次の大きな機会で一気に……」コウタの声は理性的だった。彼の手は骨笛剣の柄の方へ無意識に伸びる。白く縦孔(あな)が並んだ奇妙な剣は、ただの刀身ではなく、吹き口のように見えた。風が通ると、時折、骨のような乾いた音が漏れる。

ユウは骨笛剣を握る手に力を込めた。冷たい。柄の感触は骨の温度そのものだった。彼は配達屋だった。前世(という言い方をすれば)の危険現場で培った勘と、誰かの選択を一秒でも稼ぐために動く癖が身体に染みついている。だが骨笛剣のことは彼ら全員が知っている──「共有した作戦だけを一度だけ実現する」道具。条件は常に明確だ。全員の合意でのみ作用する。だが代償も、口にするだけで味が消えるように生々しい。

「一度だけ。誰かの同意を無視して強引に使えば、敵にも同じ“響き”が届くって、あの時の記録にあった」サラが言う。彼女は記録端末の項目を頭の中でなぞる癖がある。端末に残された過去の報告には、骨笛剣を独断で用いた者が――その場では成功したように見えたが、それが逆に敵の動きを整え、味方の分断を招いたと記されていた。

「じゃあ……」ユウの声が途切れる。雨音がその隙間を埋める。捕らえられた老人の顔が、視界の片隅に浮かぶ。よろよろとした足取りで、避難民の列から遅れ、硝子騎兵団に囲まれている姿を最後に見た。彼は揺れる明かりの下で、杖を頼りにしていた。選択を奪われた年寄りの表情は、どこか遠くを見ていた。

「次を待てば確かに大きな勝負はできるかもしれない。だが、ここで死ぬ人を見殺しにして、後で勝てる保証はない」ミナは拳を握りしめる。若者たちの目が、戦いの前のわずかな光を映していた。彼らは硝子騎兵団に怯えつつも、避難民の傍にいるという選択を自ら望んだのだ。

議論は短かった。声は鋭いが、内容は単純だった。「守る」か「温存」か。守ることを選んだのは、大半が年寄りや子どもと距離が近かった若者たちだった。コウタは指を一本立て、渋々うなずいた。

「全員の同意、か……ユウ、やるなら手順を決めろ。俺たちにできることを正確に割り振れ」

ユウは深く息を吸った。骨笛剣の柄が手に馴染む。彼はいつも、作戦を言葉にして相手に確かめる。骨笛剣は“共有”を媒介する。言葉を交わし、顔を合わせ、互いの意志をぶつけ合って初めて、その刃は計画を現実に引き寄せる。

「俺が門の方へ引きつける。ミナ、屋根伝いに居場所を作ってくれ。サラは煙幕を。コウタは裏口を殴る。全員、"今"のために同意するか?」ユウの声は静かだが確信に満ちていた。ひとつひとつ、若者たちは頷いていく。合意が出来上がっていくと、骨笛剣がわずかに温度を上げ、縦孔から微かな息の痕が滲んだ。

「同意する」ミナの声が一つ。

「同意する」サラ。そしてコウタも。

合意は行為に変わる。ユウは刃の根元に唇を寄せ、低く息を吐いた。骨笛剣は応えるように、薄い音を立てる。音は雨に溶けて、しかし固い。骨の内部を舐めるような低域の共鳴が、ユウの胸を震わせた。

その瞬間、世界が歪んだ。屋根の雨粒が沈み、風が止み、硝子騎兵団の足音が一拍遅れる。ユウは自身の内部から何かが引き出されるような感触に襲われた。剣が奏でる音が、彼らの意思を紡ぎ、時間を束ねる。決められた動きが、まるで一つの機械の歯車のように噛み合っていった。

ミナは屋根を滑り、軋みを立てずに柱へ着地する。サラの投げた布が瞬間的に煙に変わり、騎兵団の視界を曖昧にする。コウタが裏口を突き破って叫び、騎兵団の注意を引く。ユウは自分でも制御しきれない勢いで駆け出した。身体は重力に逆らうように軽く、足取りは精密な機械のように一拍で決まる。

彼らの動きは、計画が描いたとおりに正確だった。人間のずれは最小限に抑えられ、互いの空白を埋めながら、じいちゃんに向かう。硝子騎兵団の一人が振り返る、その刹那。ミナが飛び込んで、老翁を抱え上げた。腕の中で、老人の肌は冷たく、震えていた。杖が床に滑り、鉄と硝子の光が雨に散る。

ユウは老人の手を掴んだ。細く乾いた指先。握り返してくれる力はほとんどない。だが彼らの決めた作戦は救出を完遂し、老人は短い喘ぎの後、目を開けた。目には驚きとも感謝ともつかない濁りが浮かび、そしてユウの顔を見た。

その時、世界の色が剥がれ落ちた。

まず匂いが消え、雨の鉄の匂いが掴めなくなった。次に、遠ざかる足音が薄くなる。ユウは自分の右手の感覚が鈍いことに気づいた。骨笛剣を握る左手は熱さを失い、振動だけが残る。視界の端から色が抜け、屋根の赤い瓦が灰色に沈んでいった。ユウの頭の中で、音の層が崩れ、世界はひとつの平坦な画面になった。

「ユウ、大丈夫?」ミナの声が遠い。唇の動きは見えるが、言葉が届かない。サラが叫ぶとき、口の形は震えるが、音はない。彼は胸の奥に小さな空洞を感じた。そこにあった匂い、声、色の情報が突然、糸を切られたように消失していく。

代償だと分かった。骨笛剣は彼らの合意を現実へと引き寄せる力を放った。だが毎回、何かを交換に差し出させる。ユウは目の前の世界から、いくつかの感覚を差し出したのだ。単独で使えばもっと酷い──使い方のリスクは彼の中で形になっていた。今は合意の下で使ったから、被害は最小限だったはずだが、それでも十分に厳しい。

老人の手はまだユウの掌にあった。冷たい。指に伝わる微かな震えが、ユウに痛みとも温かさとも取れる感触を残す。彼は自分が確かに握り返しているのを感じたが、その先の音や匂いは、断片的にしか認識できない。色は薄まり、世界は水彩画に晒されたように輪郭だけで成り立っている。

「ユウ!」サラが駆け寄る。彼女は老人の肩を支えると、低い声で言った。「やった。間に合った……でも、ユウ──!」

彼女の顔は焦燥と安堵で乱れている。ユウは口を開けて何かを言おうとするが、言葉はうまく形をなさない。代わりに、彼は老人の掌を強く握り返した。暖かさが伝わる。握られた指先のしなやかさが、彼の本能を呼び戻す。

「ありがとう、若者よ」老人の声が聞こえた。だがそれは遠くて薄かった。ユウはそのひびの入った声に反応して、ゆっくりと眼を凝らした。老人の目の中に、何か光るものがある。記憶の端に触れるような、古い地図をめくるような感触。

「なに?」ミナが訊く。老人は唇を震わせ、言葉を選んだ。

「……硝子騎兵団は、あの通りの裏に、古い回線を作っておる。人の選択を機械的に分断して、順序立てて処理する。選べぬ者は