骨笛剣の配達員と硝子騎兵団 第18話「第16章」
倉庫の鉄扉が低い唸りを立てて閉じられると、外の世界の音が一瞬で遠ざかった。コンクリートの床に並べられた古い毛布と段ボールの間を、ミオは素手で骨笛剣を拭った。白濁した刀身の表面は、冷たく、骨の微かな凹凸が指先に刺さるように伝わる。彼女の呼吸に合わせて、骨の縁に刻まれた小さな穴が囀るように鳴るのを、彼女はいつもより鋭く感じた。
倉庫の鉄扉が低い唸りを立てて閉じられると、外の世界の音が一瞬で遠ざかった。コンクリートの床に並べられた古い毛布と段ボールの間を、ミオは素手で骨笛剣を拭った。白濁した刀身の表面は、冷たく、骨の微かな凹凸が指先に刺さるように伝わる。彼女の呼吸に合わせて、骨の縁に刻まれた小さな穴が囀るように鳴るのを、彼女はいつもより鋭く感じた。
「いいか、手順は三つ。合意、同期、解放。声と指先を同時に出す。間違えたら全員に迷惑がかかる」
リクが背中越しに言った。彼は修理士だから、手順書の項目を決める役目を担っている。読み上げた紙の端には、細かい書き込みと、耳を守るための指示が添えられていた。セイは情報班として倉庫の隅で端末を走らせ、外の索敵網と電波ノイズの状態を監視している。ハルは外の扉を睨み、カナエと呼ばれた避難民の代表が一列に並んでいた。そこに一人、サユが座り込み、両腕を抱えて顔を伏せていた。
「私、あれを…信用できない」サユの声は小さかったが、倉庫の空気を切った。「硝子騎兵団が使うみたいに、人を動かすための道具でしょ。私の意志を奪われるなら、嫌だよ」
その言葉にミオは息を飲んだ。彼女は骨笛剣を、単独で使ったときの代償を知っている。あのとき、誰の合意も取り付けられず、ミオは自分の嗅覚を二週間奪われた。今もときどき匂いの記憶が薄くなる。合意を無視して使えば、力が敵にも作用する――その可能性も、いつも頭にあった。だが今は合意を取るための儀式を設けたのだ。ルールブックに書き付けたのは、ただの儀礼ではなく、能力の安全装置だ。
「サユ、無理強いはしない。だけど説明は聞いてほしい」ミオは膝をつき、相手の目を見る。倉庫の薄暗さが二人の顔を半分だけ照らし、骨笛剣の白が鈍く光った。「これはコントロールのための道具じゃない。私たちが互いに『これをやる』って約束するときにだけ働く。あなたの意志を尊重するための儀式なんだ。合図は三つ。名前を呼ぶ、掌を合わせる、呼吸を刻む。声がでない人は、指で同意を示す。強制は、ここじゃ通用しない」
サユは顔を上げた。その目にはまだ恐怖が残っているが、小さな震えが止まっていない。リクが紙の束を差し出す。そこには鉛筆で書かれた「儀式の手順」と、それぞれの署名欄があった。セイが脇から端末を見せる。モニターには外の広場の映像と、硝子騎兵団の哨戒ルートが薄い線で示されている。午後の日差しが七分ほど先の影を作り、彼らが着手すれば多くの避難民を安全に渡せるはずだ。
「……ここに名前を書くの?」サユは震える指で紙を触れた。ほんの一秒の逡巡。周囲の空気が固まる。
「書いて。だけど書きたくなければ、待つ。強制はしない」ミオの声は静かだった。ハルが短く頷く。カナエが歩み寄り、サユの手を取って優しく握る。その温度が、サユの固い表情を少しだけ緩めた。だが、彼女は立ち上がらなかった。署名欄は空いたまま。
「なら、行く」ミオはためらわずに言った。合意は取れた人間に限る。儀式は多数の同意を必要とする。今回は、三十名の避難民のうち二十三人がサインを済ませている。ミオはその数を見て、決断した。だが一つだけ条件を設けた。
「リク、耳栓は? この一回で感覚を失うのは俺一人でいい。みんなには負担をかけない」
リクが頷き、厚いフェルトの耳栓をミオに差し出す。セイが電源を切り、倉庫内のノイズを最小限に抑える。ミオは耳栓を詰め、骨笛剣を両手で掲げた。刃の中の小さな穴から、彼女の息が刀に伝わる。冷たい音がぴたりと止まり、次の瞬間、骨から低い笛音が生まれた。それは風鈴のようではなく、もっと古い、骨の内側で鳴る鼓動のようだった。
儀式は音と光を同期させる。ミオはゆっくりと声を出す。彼女の声は低く、規則正しい。「ハル、セイ、リク。私とともに――選ぶ」。掌を合わせる。それぞれの掌が触れると、掌の線が白く細く光った。骨笛剣から放たれた光の糸が、同意した者の胸骨に絡みつく。それは見る者の目にはほとんど見えないほど細い糸だが、肌がひんやりとした感覚を通じて伝わる。
スローモーションのように、時間が伸びた。倉庫の埃が舞い、光の糸を透かして踊る。ミオの耳栓の奥で、笛の音は澄んでいた。音は各人の心拍とぴたりと同期し、彼らの呼吸に合わせて高低を変えた。セイの瞳が潤み、ハルの肩の力が抜ける。合意の線が完成するのを、ミオは手のひらの振動で感じた。
「同期完了」セイが囁く。端末のメーターが緑を示す。外の映像に映る影が、一瞬、動きを止める。誰もが同じ瞬間に同じ決断を共有し、同じ行動をとる。その奇妙な感覚は、以前ミオが単独で使ったものとは違っていた。今回は共有された選択だ。計画が、彼らの内部に正確に書き写される。
ミオは一歩前に出て、骨笛剣を掲げる。光の糸が伸びて、扉の外の広場へと伸びた。そこにいる哨兵たちの視界が一瞬揺らぎ、彼らの動きがやや鈍る。合意した群れは、まるで一つの機械のように動き、瓦礫の間を縫って進む。扉はゆっくりと開き、午後の光が倉庫の床に長い影を落とした。
だがそのとき、サユが倉庫の口で牙を剥いたように叫んだ。「待って! あれ――!」
外から近づいてきたのは、硝子騎兵団の斥候の一部だった。ヴィジョンの端にガラスの装甲がきらりと光る。誰が見ても、そこにいるのは敵だ。彼らは何か奇妙な振動を感じ取ったようで、手を止めて辺りを見回した。セイの顔が急に曇る。端末の画面の波形が歪み、外から微かな逆位相の音が混ざり始めた。
「そいつらが、同期信号を探知した!」セイが叫ぶ。「追跡器の残響を返している。ここにいる合意の線に——」彼は言いかけて喉を詰まらせた。
ミオはその瞬間、判断を迫られた。サユの拒否が空隙を作った。儀式は同意した者にだけ働くはずだった。だが空隙があると、力は“代替”を求めて広がる性質がある。合意の輪郭を満たすために、力は近くの意志を探し出す。最も近かったのは、硝子騎兵団の斥候だ。彼らの装甲に織り込まれた微細なガラス線が、骨笛剣の音の周波数に共鳴した。
「ミオ、離せ!」ハルが叫んだ。だがミオの手は動かなかった。骨笛剣の柄が彼女の掌に食い込む。齧られるような痛みが走り、耳元で低い笛音が割れた。
その割れた音は、合意を探す波となり、敵の側へ流れた。斥候の一人の顔が、一瞬硬直した。光の糸が彼の胸に絡みつく。彼の瞳に、「躊躇」ではない何か新しい意志が浮かんだ。彼は銃を握る手を一度だけ、宙で止めた。斥候の上官が怒声を上げ、装甲の小さなノイズフィルムが微かに震える。何かが、彼の中で改変されつつある。
「ちくしょう!」ミオは自分の耳に血が流れるような錯覚を覚えた。耳栓の奥で、何かが割れる。音が遠ざかり、世界の輪郭が欠ける。右耳の音が薄れ、周囲の声が籠るようになった。代償が訪れたのだ。単独での使用たる代償は、彼女の感覚の一部を奪う。今回は合意を取っていたはずだったが、誰かの拒否が力の配分を乱し、発動者としての代償がミオのみに集中した。
「ミオ!」ハルの声が遠い。ミオは視界の端で、骨笛剣の刃先から伸びた光の糸が、斥候の胸の中で淡く点滅しているのを見た。その瞳は遠くを見ているようで、しかしそこにあったのは彼の個人的な意志ではなかった。儀