虚数弓の測候士と砂時計軍 第4話「第3章」
検問は、砂の音で動いていた。
検問は、砂の音で動いていた。
地面に置かれた金属の台座から、ゆっくりと砂が落ちる。取っ手のついたガラス筒の中で、細粒が線を描き、落ちるたびに小さなカチリと乾いた音が鳴る。兵士たちはその音を合図に、人々の書類をめくり、手のひらに印を押し、通過を許すか否かを示した。印は小さな砂時計の刻印。許可のある者は刻印の砂が赤く光り、通行証が出る。拒絶された者は、刻印に黒い線が走るだけで終わった。
「次だ、書類を寄こせ」
准尉カルマは低い声で言った。肩のワッペンに描かれた砂時計のシルエットが、午後の斜光を受けてやけに冷たくきらめいた。彼の横には長い棒を持った下士官が並び、列の端で震える者を押さえつけている。風が吹くたび、砂の粒が布に擦れる音が混じった。人々は息を殺し、財布や懐中物を差し出した。
レイナは虚数弓を背中で感じていた。薄布で包んだ弓身が肩に当たり、微かに振動する。それは見る者にしか見えない——というより、見ることと選ぶことを媒介するものだった。彼女は弓に触れず、ただ指先で包みを撫でるだけにした。弓を使えば、共有した作戦を一度だけ現象化できる。だが、それは仲間の意思を「合意」として確かに集めなければならない。合意がないまま単独で引けば、代償が来る。肉の感覚の一部が、持ち主から剥がれていく。さらに、仲間の合意を無視すれば、作用は敵にも回る──という話を、彼女は知っていた。
「迂回路がある。こっちから行けば検問は避けられる」
ソウタが低く囁いた。彼は地図の隅に描かれた破線を指でなぞって見せる。レイナの隣にいるミホは医療袋を抱え、顔に疲労の線が刻まれていた。補給物資はぎりぎりの量だ。検問で止められれば、慰める余地はない。
「補給はあそこで半分持ってかれる。通れるなら――」
ソウタの言葉がそこで止まった。列の前方で、男が突然泣き崩れたのだ。子どもの手をぎゅっと握るその声は、砂の音にかき消されて薄くなった。カルマが男に近づき、目を冷たく光らせる。何かが、制度という名の鎖を鳴らしている。
レイナの手が弓の包みに触れた。触感は冷たく、ゆっくりと波紋のように広がる。指先に過去の感覚が戻ってくる——いや、戻るというより、警告が来る。彼女は半年前、ソウタとともにある倉庫の扉を開くとき、弓を一度だけ使おうとしたことを思い出した。合意はなかった。彼女は引いた。光が裂け、扉は消えたように開いた。だが同時に、右耳の中で遠くなっていく感覚があった。聞こえが薄れ、色が鈍くなり、夜に夢の中で方向を失う。助かったはずの一瞬に、彼女は何かを失ったのだ。
そのとき、隣でダンが小さく笑った。彼は左手を胸の前で動かし、指の先に感覚のない白い斑を見せた。
「やめとけって言っただろ。俺は見た。強引に使ったやつが、兵の方にまで効果を及ぼして、向こうの男が倒れた。味方の一人も同じ感覚を失った。儲けにはならねえ」
ダンの声には、怒りでも哀しみでもない、事務的な冷たさがあった。彼は自分の手を裏返して見せた。そこには薄い瘢痕が光っている。仲間の合意を得ない使用が引き起こすことは、彼の身体が語っていた。
レイナは弓を離した。呼吸が浅くなる。目の奥がざわついた。使えば道は開ける。だが、代償はぬぐえない。仲間の同意がなければ、作用が制御されない。もし敵にも及んだら、どうなるか──その不確定が、最も恐ろしかった。
「迂回でいこう。補給は失うかもしれないが、ここで賭けを打つ理由はない」ミホが静かに言った。彼女の目は冷静で、誰よりも冷たかった。医療袋のファスナーが微かに鳴る。誰かが怪我をすれば、その手当てが必要だ。必要なものがあるなら、リスクを最小化するのが医者の判断だ。
列を離れ、村外れの廃道へと入った。風景は灰色に溶けていた。破れた看板、崩れかけた塀、曲がりくねった配管が空を裂いている。ソウタの示した逸路は遠回りだった。最初は静かに進んでいたが、やがて地面が落ち、古い倉庫の残骸に差し掛かった。仲間たちは一列になって進む。後ろからは、検問で押し戻された者たちの呟きが徐々に大きくなってきた。
「そこだ。箱がいっぱいに積んである」ハルが指差した。崩れた倉庫の隅に、補給箱の山が見えた。木箱には業者のスタンプ――砂時計の紋章。誰かが笑った。だが喜びもつかの間、足場が崩れた。古い床材が軋み、木箱の一つが斜面を転げ落ちた。仲間が必死に手を伸ばす。箱は泥の中へと落ち、重みで泥水がはねた。蓋が外れ、布袋が水を吸い込んで重くなった。誰かが叫んだ。手は届かなかった。流れに逆らっても間に合わない。
「止めろ!」ダンが指示したが、声は遮られた。ミホが膝に手をつき、咳をする子どもを抱きしめた。レイナの胸に冷たい砂粒が落ちたような気がした。虚数弓を使えば、あの箱を取り戻すこともできただろう。しかし一度の開放のために、仲間の一部の感覚が奪われることを許せるのか。誰だって、自分の目や耳を賭け金にしてまで箱を取り戻すべきではない。だが箱の中には、消毒薬や包帯、それに小さな薬のビンもあった。誰かの命を保つためのものだ。
避難所に着くと、空気が変わっていた。人々の顔に疲労が刻み込まれ、怒気が滲んでいる。誰かが箱の盗難を嘆き、誰かが検問の冷酷さを呪った。燃料の匂いと汗の混じった空気。小さな電気ランプが群衆の影を壁に映し、その影は砂時計のシルエットと重なるように見えた。映像は一瞬、モノクロになった。兵士たちの砂時計のシルエットと、避難民の細長い影が重なり、互いに押し寄せあう。音も色も削ぎ落とされ、カチリという砂の音だけが残る。
「誰かが行動しないと、このまま規律のままに組み込まれる」年配のハジメが言った。彼は震える声で、手帳を取り出した。そこには家族の名前が並んでいる。刻印の場所が赤に変わっている者がいれば、生き残れる。黒く塗りつぶされた者は、配給から排除される。制度は無慈悲に、人々の選択肢を削いでいく。
仲間たちはそれぞれ自分の恐怖と判断を露にした。ソウタは怒りを押し殺し、声を荒げた。「検問を強襲する。短時間で箱を奪えば、誰も失わない」ダンは低く首を振った。「一人でやるなら弓を使え。だが知ってるだろ、代償が来る。集めて使うなら別だが――」ミホはそれでも反対した。「私は命を救う。誰かの感覚が奪われることで、他の命が救えなくなるなら私は容認しない」
言葉はぶつかり、やがて静かになった。沈黙の中で、レイナは自分の手を見た。弓の包みの端が膝に当たり、微かに震えた。彼女は決断を先延ばしにできないと分かっていた。箱の中の薬は、足りないと言っていた老女の手に必要だ。ハルの弟は呼吸が浅く、夜を越せるかどうか分からない。
「選択肢を増やす方法があるんじゃないのか」レイナは小さく言った。自分の声が喉の奥で割れるのを感じた。「弓を使うなら、一度だけ、全員の合意を得てやるべきだ。独りよがりは、誰も救わない」
だがそこに、新たな事実が差し込んだ。彼女の隣に立っていたハルが、ふと懐から何かを取り出した。それは検問で落ちていた小さな金属片。砂時計の刻印に、見慣れない細工が施されている。ハルはそれを掬い上げ、光にかざした。刻印の中の砂が、ほんの一瞬、逆流したように見えた。
「これ……