虚数弓の測候士と砂時計軍

虚数弓の測候士と砂時計軍 第3話「第2章」

風が砂を裂いて通り過ぎると、金属の匂いと細かな潮のようなざらつきが口の中へ入ってきた。検問はいつもより厳格で、鉄の門の向こうに立つ哨兵たちは砂時計の紋章を白い布で胸に結んでいた。午前の空は薄く濁って、陽光が鋭い刃のように道を割る。上空では哨戒ドローンが十字の影を落としている。群れの中にいる子どもたちが小さな歌を口ずさむたび、緊張が少しだけ揺らいだ。

風が砂を裂いて通り過ぎると、金属の匂いと細かな潮のようなざらつきが口の中へ入ってきた。検問はいつもより厳格で、鉄の門の向こうに立つ哨兵たちは砂時計の紋章を白い布で胸に結んでいた。午前の空は薄く濁って、陽光が鋭い刃のように道を割る。上空では哨戒ドローンが十字の影を落としている。群れの中にいる子どもたちが小さな歌を口ずさむたび、緊張が少しだけ揺らいだ。

「ここで止まるのか?」エリナが前に出た。彼女の肌は日焼けで浅い皺が刻まれ、目は真っ直ぐにこちらを見据える。指先には常に小さな鎖が絡んでいる。彼女は前に出て哨兵の一人を睨みつけ、声を張った。「正面突破よ。短時間で抜けるしかない。ここで膠着したら、砂時計軍が編成し直して全滅だ」

「分散だ」トールは低く、冷静に言った。彼の声はカラカラと乾いた器がぶつかるような音で、計画を道具のように扱った。地図をめくる指先で、彼は脇道の一本一本を示す。「人数を小分けにして三つのルートに分ける。哨戒は密集を狙う。散れば見逃す確率は上がる」

避難民たちがざわつく。どちらも筋は通っている。だがどちらも欠点がある。正面突破は威力あるが犠牲を伴う。分散は生存率を上げるが高齢者、手足の不自由な者が混乱で道に迷う危険がある。ミナが小さな声で言った。「分散って……お母さんは走れないよ」

悠希は虚数弓を背負っていた。細く軽いフレームが背中に沿い、布で包まれたその弓は遠目には古びた器具に見える。だが彼が指先で布を撫でるたびに、そこから冷たい気配が伝わってくる。虚数弓はただの武器ではない。彼らの中で、それを扱える者は数少ない。だが扱い方には厳格なルールがあった。

「話をまとめよう」悠希は息を吸って、砂の匂いを深く吸い込んだ。喉の奥で小さな鈍い鳴りがある。彼はそれを無視するように笑ったが、左耳の奥にまだ残る高音が、過去に自分が取った決断の代償を思い出させる。彼は無言で掌を開き、虚数弓の包みをほどいた。薄い光が弓の輪郭をなぞる。糸のような虚像が風に揺れて、鳥の羽のように細い影を作った。

「虚数弓を使う。だが条件は守る」悠希は言葉を選んで、群れの顔を見渡した。「この弓が果たせるのは、合意された一回限りの作戦だけだ。全員の意思を繋げて、同じ意思で動くこと——それを一度だけ現実化する」

小さな沈黙が落ちた。エリナが急に前のめりになった。「一回って……それじゃ追撃できないじゃないか」

「一回で十分な計画にするしかない」トールが答えた。「それが君の弓の条件だろう。では、その一回でどうする」

悠希は指先で弓を弾くようにして、淡い波紋を起こした。波紋は手のひらを通って胸まで伝わるような錯覚を与えた。彼は声を落として続ける。「この場で二つの動きを同時に現実にする。小部隊が正面を突くフェイントを作る。そのフェイントに全哨戒を引きつける間に、避難民を三つに分けて脇道から脱出させる。合意があるなら、この弓は全員に『同期』を与えて、一瞬だけ動きを一致させる」

ミナが顔を上げる。サイという女性が手をつないでいる年寄りの肩を叩き、顔をしかめる。「でも『同期』ってどういう感覚になるんだい?」

悠希は少しだけ身体を丸め、過去の傷に触れる。彼はこれまでに二度、虚数弓を「独り」使おうとして、感覚を削られそうになった。最初の時は左の嗅覚が薄れ、次には聴覚に長い鈍い残響が残った。彼は視線を逸らさず言った。「仲間の同意があれば、弓はお前たちの意図だけを結ぶ。皆が『やる』と言えば、足並みも視界も呼吸さえ合う。単独で扱うと、反動で感覚の一部が奪われる。合意を無視して使おうとすれば……弓は敵にも同じ作用を及ぼす。つまり、誰の意思かを弓が選ばない限り、範囲は増える」

「敵にも作用するって?」エリナの顔が険しくなる。「それって、敵を傷つけられるってことじゃないのか?」

「――確かにそう取れる」悠希は静かに首を振った。「だが『敵にも作用する』というのは、敵の側にも弓の『同期』が誤って及ぶということだ。言い換えれば、弓の影響は範囲を無差別に拡張する。哨戒が弓の波紋に触れれば、彼らもまたその一瞬の意思に染まる。何を生み出すかは、どの意思が強かったかで決まる。場合によっては、避難民を敵側の意思に近づけてしまう。だから合意が要る」

一瞬、ミナの足元を小さな砂の虫が這う。誰かが息を呑んだ。分裂か団結か。喉元まで出かかっていた言葉を、悠希は一呼吸で飲み込む。決めるのは彼ではない。彼ができるのは合意を形にする手伝いだけだ。

「よし、同意を取る」トールが言った。「我々の小隊、医療班、家族の代表——それぞれ、『正面のフェイント』『三分散』『待機と合流』の三案に挙手で合流する。全員が自分の意思で選ぶ。やらされるのではなく、自分で選ぶこと。手を挙げてくれ」

手が上がり始める。年寄りのサイがしわだらけの手でゆっくり挙げる。ミナは母親の手に拳をかけてから、震える手を挙げた。エリナはまだ迷っている。彼女の唇はきつく噛み締められ、瞳が乾いた炎を宿している。彼女の周りの者たちが息を詰めた。

「俺たちは——」悠希は言葉を区切って、はっきりと言った。「この弓でフェイントを作る。正面の小部隊が哨戒を引きつける。残りは分散して三ルートで抜ける。合意する者だけが弓の『同期』に入る。いいか?」

一斉に、手が上がる。声が重なり、揺らいだが強さを持つ。エリナだけが手を下ろしたままだった。彼女は歯を鳴らして、黙って前方を指差す。言葉が出ない。だが眉間の深い皺が、彼女の決意の揺らぎを物語っていた。

「いいか、エリナ」悠希は歩み寄った。「この弓は誰かに強制されて動くものじゃない。お前の意思がないままに入れることはできない。無理に入れれば、先に言った通りのことになる」

その言葉が風に吹かれて消えた瞬間、エリナの手が鋭く動いた。彼女は悠希の肩を掴むと、包んであった弓の布をはぎ取った。指先が金属の冷たさを瞬時に把握し、彼女の瞳が大きく見開いた。

「ふざけるな!」彼女は囁くように叫んだ。「こんなときに言い訳するな!弱い者を見捨てるつもりか!」

エリナは弓を身体の前に構えた。彼女の息が速くなり、熱が頬を染める。群集の中、ざわめきが走る。悠希は思わず手を伸ばしたが、その瞬間、弓の弦がひとりでに唸りをあげた。薄い光が弾け、空気が一瞬歪んだ。

どこからともなく、小さな切れ端のような砂が空中に浮かび、エリナの耳元で鳴る。続いてエリナの視界の片側がぼやけ、色が抜けていく。叫び声が出る。彼女は右手で額を押さえ、膝をついた。群衆が一歩引く。トールの顔が青ざめ、ミナが小さな悲鳴を上げる。

「何を——!」トールが叫んだ。だが悠希の心臓は早鐘のように打っていた。弓は彼の掌から離れていた。何が起きたのかを理解しようとする前に、哨兵の一人が通信機を叩き、鋭い笛が検問全体に鳴り渡った。哨戒ドローンが旋回し、検問のランプが赤く点滅する。砂時計の紋章の下で、何かが作動した。

「弓の波形を捕捉した」哨兵が叫ぶ。無線の声が工場の機械のように冷たく、計画的に響いた。「周辺の監視網、こちらへ!」

エリナは右目を押さえたまま、床に座り込む。彼女の左手は感覚を失ったらしく、物を掴もうとしても空間