月刃機の巡回員と魔導庁 第4話「第3章」
床に敷かれた毛布の間を、金属の靴底が規則正しく鳴った。ライエルの一行は、照明の薄い体育館の奥へと進み、囲まれた避難民たちの顔を順に、細い光のように撫でていく。彼の目は冷たく、そこに感情を混ぜる余地はなかった。白いマントの裾が床を擦る音が、何度も反復される。
床に敷かれた毛布の間を、金属の靴底が規則正しく鳴った。ライエルの一行は、照明の薄い体育館の奥へと進み、囲まれた避難民たちの顔を順に、細い光のように撫でていく。彼の目は冷たく、そこに感情を混ぜる余地はなかった。白いマントの裾が床を擦る音が、何度も反復される。
「記録に基づけば、ここは過剰に散漫です。分散管理は人的資源の浪費に他なりません。統合した避難所に移して、医療と食料を集中配備すれば──効率的に救える命は増える」
ライエルの声は抑制されているが、周囲の空気を押し潰す力があった。後ろに立つ数人の制服は、魔導庁の識別帯を光らせている。彼らは「効率」を徽章のように胸に掲げ、それを説教台に立てていた。
ルイは、胸の奥で冷たくなるのを感じながら立っていた。月刃機は左腕の革ベルトに固定されている。小さく振るうと、装置はかすかに月光を吸ったように青白く震えた。今はまだ動かない。本来は仲間と共有し合意した作戦だけを、一度だけ現実にするための器具だ。仲間の掌や意志を認識する刻印――その確認がない限り、起動できない。
だが、ラインの背後で小さな混乱が起きた。幼い男の子が騒ぎ、誰かが短い悲鳴を上げた。体育館の外、配管の継ぎ目から黒い煙が細く立ち上り、電力系が弾けた音がした。魔導庁の一人が身を乗り出して廊下を見た。彼らの計画は「統合」だが、そのための人の流し込みが、混乱を招いていた。
「ここで待て」とルイが言った。声は震えていたが、燻る覚悟が混じっている。「人を移動させる前に、ここの人たちに選択肢を与えろ。危険を押し付けるだけの効率など、守るべきものではない」
ライエルは微かに笑った。「選択肢は理想論だ。選べる時間があるなら、決断は官がするべきだ。あなた方巡回員は情緒的になりすぎる。統合すれば混乱は減る。命が優先です」
その言葉に、体育館の端で炊き出しをしていたハナが震えた割れた皿を握りしめる。隣のカイトは激しく息を吸った。ミナは、俯いたまま指先を噛んでいる。彼女には幼い娘がいる。選択の圧力は、個々の生存戦略を引き裂く。
──そのとき、外側の扉が重く閉まる音。魔導庁の制服が一歩前へ出る。彼らは移動の合図を掛けるための端末を掲げ、案内放送のような冷たい音声を流そうとする。秩序を作るための「効率」は、既に動き始めていた。
「もう時間はない」とカイトが低く言った。彼の手は震えていたが、まっすぐにルイを見る。彼らは巡回のチームだ。だが、チームの合意が今、危うく崩れそうになっている。月刃機は、合意のための触媒でもあった。全員が掌を合わせ、計画を声に出して共有することで、機は一つの奇跡を起こす。一度だけ、物理法則に裂け目を作り、人の流れを変えることができる。だがその代償も、禁忌もある。
「ミナ、やれる?」ルイが尋ねる。彼女の瞳は乾いている。娘の顔がよぎる。ミナは小さく首を振った。
「ごめん……できない。私、あの『集中所』なら医療が確実に受けられるって言われたら、怖いけど行く。娘が熱を出したら、私一人でなんとかできない。私は……選べない」
場が一瞬静まった。ルイはその言葉の重さを指の先で感じた。選べない、ということは、制度によって選択の余地を奪われていることと同義だ。ミナの恐怖は合理的だった。ライエルの言う「効率」は、恐怖と引き換えに安全を約束する。だがルイは知っている。安全の名目で人の選択を消すことがどれほどの害をもたらすかを。
「やるしかない」ルイはつぶやいた。合理性の論争はもう後回しだ。子供の泣き声がどうにも遮れない。ルイは月刃機の周縁に手をかけ、皮のベルトの冷たさを感じた。叩きつけられるような決意が胸を振るわせる。共有の誓いはない。だが、たとえ代償を払うとしても、今、目の前の命を優先しなければならない。
カイトが掠れた声で止めに入る。「ルイ、待て。単独で起動すると──反動がある。感覚を失うって、あれほど言ってたろう」
「それでもいい。今は誰かを救う」とルイは答えた。彼女は一度深く息を吸い込むと、掌を月刃機の蓋に押し付けた。金属の冷たさが骨へと伝わり、内部から低い唸りが上がる。装置は同調を求める。通常なら仲間の掌が並び、声で作戦を言葉にして共有を確認する。だが今日、そこには合意の輪はない。無いままに彼女が扉を開こうとしていることを、誰も奪うことはできなかった。
磁気のような引力がルイの腕にまとわりつき、月光のような刃影がゆっくりと形成されはじめた。空気が切られる音はしない。だが目の端に、薄い曲面が生まれ、そこを手のひらで押し広げるようにして、体育館の向こう側に光の回廊が伸びていった。青白い刃が風を切り、熱を吸い取る。人々は、そこに一瞬、安全そうな道を見た。
だが同時に、ルイの耳に鋭い断裂音が走った。世界は一瞬、遠ざかる。高音の蝉の鳴くような持続音が耳膜を打ち、色が薄れていく。右腕が鉛のように重くなり、指先の感覚が遠ざかる。月刃機は光の道を維持するために彼女の体から何かを引き出していた。光は確かに人々を導き、子供たちは混乱の中でそれに向かって走った。だがルイの世界は、少しずつ欠けていく。
「ルイ!」カイトの声が大地に響いたが、ルイには届かない。彼女は口を開けて名前を返そうとして、声が出るのを確認できなかった。代わりに、胸の奥で冷たい痛みが走る。掌に残る月刃機の感触は、栓を抜かれたように軽くなり、装置はぶんと音を立てて止まった。
回廊は一瞬のうちに消えず、数十秒の猶予を与えて人々を外へと押しやった。魔導庁の制服がその光の具現に阻まれ、僅かに足を止めた。だがその瞬間、体育館の空気が別の意味で硬直する。装置を単独で起動した結果、ルイの体は感覚を代償にした。耳鳴りが続き、世界の輪郭がいつもよりぼんやりしている。しかしそれだけでは終わらなかった。
ライエルの表情がわずかに変わった。彼の側近の一人が、眉をひそめる。ルイには見えなかったが、外側にいた魔導庁の人間たちの動きが、ぎこちなくなる。制服の男が立ちすくみ、手にした端末を握りしめたまま、まるで見えない力に引かれるように動けなくなった。ライエルの目が、薄く笑みを湛え始めた。
「なるほど、面白い。単独運用は、予想通りの反動をもたらす。しかし――」彼は低く、全員に聞こえるように言った。「先ほどの現象を見て分かるように、この器具は、同意の網を欠いた場合にも、対象を巻き込むことができる。利用者の代償と引き換えにしても、だ」
その言葉は体育館の空気を二重に冷たくした。巻き込まれる、という言葉の響きが、強制の可能性を示唆する。もし魔導庁がこれを掌握すれば、「合意がない者」をも含めて行動を強制できる──効率的に、ためらいなく。
「それを使うつもりか?」ミナが震える声で言った。彼女の娘は最前列で、まだ小さな手を振っている。ルイは手探りで自分の耳を触る。鼓膜の奥で、轟音の波が渦を巻いている。色彩が薄く、冷たい霧が視界にかかる。
カイトはルイの肘を掴み、強く引き起こした。仲間たちは駆け寄り、彼女を支える。避難民の何人かが拍手のように歓声を上げる者もあれば、恐怖で顔を歪める者もいる。光の回廊が作った逃げ道は短命だったが、確かに幾つかの命を救った。だが代償