黒潮砲の潜水士と錆びた王国

黒潮砲の潜水士と錆びた王国 第24話「第22章」

潮風が鉄の棚に巻き付いた布切れを鳴らした。旗はまちまちの色で、縫い目は荒かった。避難民たちの手作りだ。布の端は塩で固まり、指にざらつきが残る。海緒は黒潮砲の台座に片手を置き、冷えた金属の感触を確かめた。砲身は夜光虫のように鈍く光り、そこに差す朝日を吸い込む。背後では「錆びた王国」の執行隊が編隊を整え、行進靴の金属音が梯子状に崖へ伝わっていく。

潮風が鉄の棚に巻き付いた布切れを鳴らした。旗はまちまちの色で、縫い目は荒かった。避難民たちの手作りだ。布の端は塩で固まり、指にざらつきが残る。海緒は黒潮砲の台座に片手を置き、冷えた金属の感触を確かめた。砲身は夜光虫のように鈍く光り、そこに差す朝日を吸い込む。背後では「錆びた王国」の執行隊が編隊を整え、行進靴の金属音が梯子状に崖へ伝わっていく。

「こっちに来るわよ」隊旗を掲げた中隊長の声が金属の反響で割れた。露出したネジと滲んだ油の匂いが混ざる。隊長は平然とした表情で、マイクロフォンを通して遺失届や収容先の番号を読み上げる。集められた人々はお互いの顔を見て、目が泳ぐ。狼狽と辛抱が交互に膨れては沈む。

潮見が海緒の横に寄り、低く囁いた。「合図は断固として拒否するつもりか。黒潮砲で一気に覆せる。計画を共有して、瞬間的に行動を揃えれば、隊列は崩れる。避難路もつくれる」

潮見の眼は油の入ったランタンのように明るかった。思いつきは速く、逃走経路のイメージを一瞬で組み立てる。海緒は潮見の手を見る。彼の指には泥が入っていて、爪の先に小さな切り傷がある。仲間もまた、実行を望んでいた。だが周囲には、同意を取りまとめるための余裕はなかった。合意は、ただ「はい」と言うことではない。目に見えないものを共有するということは、決定を下す責任を分かち合うことだ。

「黒潮砲を使うのは、君たちと共有した作戦だけだ。それが原則だ」海緒は静かに言った。声は海の底から持ち上げた石のように重かった。「同意を無視して私が独りで発動したら、私の感覚の一部を代償に捧げる。聞こえなくなるかもしれない、海の深さがわからなくなるかもしれない。使う相手の合意がないまま発動すると、作用は味方だけに留まらない。敵にも作用する。──それがこの砲の仕組みだ」

灯が反射的に手を伸ばし、負傷者の頭を押さえた。包帯の摩擦音。彼女の瞳は怯えと怒りを同居させている。「代償は私たちにとって致命的になりうる。海緒が感覚を失ったら、私たちは次の選択肢を失う。戦えなくなる人間が一人増えるだけじゃない、未来の決定権を独占する力が消えるの」

背の高い老人が、弱々しいがはっきりした声で言葉を挟んだ。「自分の体を賭けて皆を救う──それは美談に見える。だが私たちが合意を奪われることの方がもっと恐ろしい。決めさせてくれ。誰かの判断に従うのではなく、自分で」

海緒は老人の手の皺を見た。皺の一本一本が、鉄くずの堆積のように積み重なる時間を示している。視線を上げると、執行隊の先頭に立つ男がスピーカーを近づけた。やつの声は整っていて、憲法論の引用のように事務的だった。「ここにいる者は全員、帰還と再登録に合意したと見なす。合流地点へ移動せよ。非協力的な行為は──」

「合意したと見なす?」潮見が吐き捨てるように笑った。「彼らの合意はいつも“見なす”だ。署名もしない、説明もされない。それが錆びた王国のやり方だ」

隊長が腕を伸ばし、担架の一人を押しのけた。担架が倒れ、布から血が地面を黒く染める。子供が母親の袂を掴んで泣き出す。群衆のうめき声が、海面に小石を落としたときのように広がる。海緒の胸の奥で、古い習慣のように潮の流れが示すものを聞こうとする。だが彼女は砲の引き金に指をかけない。

「認めさせるんだ。ここに立っているという事実。それが合意だと」男が言った。観衆を、集計をとるカメラが囲む。光が乾いた表情を照らし、記録する。海緒はその言葉に寒気が走った。合意の定義を書き換える機械。声だけで、人々の意思を帳消しにする制度。

潮見が前に出た。彼は刀を持っているわけでもなく、通路を開く力もない。だが彼の口はいつも通る。潮見は群衆の代表者たちを見回し、素早く声をかけた。「本当に合意するかどうか、三秒で手を挙げてくれ。挙げた人は投票に参加したとみなす。やり直しなしだ」

人々はぎこちなく手を挙げる者、挙げない者、祈るように目を閉じる者に分かれた。海緒はその光景を見ていて、胸が締め付けられた。合意というのは、誰かが決めた「見なす」ではなく、そこで暮らす個々の声が自分の手で出されるべきだ。だが時間は残酷に短い。隊長が一歩前へ出て、彼らの不穏な笑顔を露わにした。

「三秒だ」潮見が数を数える。人々の指先に震えが走る。手が上がるたびに布の旗が揺れ、光がそこに当たって瞬く。海緒の胸は波立つ。もしここで黒潮砲を使って、全てを一度で終わらせれば、その場は静かになるだろう。だが静寂の代償は何なのか。彼女の耳が、先に聞いたのは海の声だったのか、誰かの叫びだったのか、わからなくなる。

投票の最後の瞬間、少年が前に出てきた。シャツは汚れ、足は素足でひび割れている。彼の瞳は大きく、決意を孕んでいた。「僕たちで選びます。誰かに決められたくない」少年の声は小さかったが、群衆の中で不思議なくらい響いた。老人の手が震えながらも握られ、母親が子供の頭を撫でた。

隊長は冷笑した。「それならば話は別だ。貴様らが『自分で』選ぶというなら――」

話の途中で、隊長はマイクを叩き、執行隊が一斉に前進の姿勢を取る。突入の気配が空気を切る。群衆が後退し、足元の砂や錆粉が舞い上がる。灯は急いで負傷者を厚手の布で押さえ、潮見は即席の遮蔽物を作るために鉄板を引き抜く。避難経路は即座に必要であった。

潮見はふと海緒の顔を見た。「撃つんだろう?」彼の問いは肯定を求める。だが海緒は首を横に振る。指が引き金に触れかけて、冷たさが戻る。胸の奥が裂けるようで、彼女は手を引いた。

「違う」海緒は声を絞り出した。「私は一度で全部を決めるために、誰かの声を奪うつもりはない。もし私が独りで撃てば、たとえ目の前の悲劇を止められたとしても、私は海の声を、潮の指針を失う。私の失った感覚は戻らない。私一人の判断で、ここにいる人たちの未来まで決めたくないんだ」

その瞬間、隊長の側近が前に飛び出し、黒潮砲の周囲に手を掛けた。金属の爪先が砲座の縁に引っかかる。彼の手は滑らかで、長年規律に鍛えられた動作だ。背後の執行隊が密集して、いかにも「これで決着をつける」という顔をしている。男は砲身を覗き込んで、ニヤリと笑った。「合意があると見なされる以上は誰の手でもいい。君が使う必要はない」

潮見が動いた。だが灯が彼の腕を掴んだ。「やめて。触らせるな」灯の声は絞られ、怒りと恐怖が交じり合っている。「もし彼らに操作させたら、彼らは“合意”を簡単に定義してしまう。記録に残して、『我々は協力を得た』とねじ曲げる。これが彼らの得意技よ」

隊長は冷たく笑い、腕を伸ばした瞬間、群衆の中から別の声が響いた。小さな女が立ち上がり、布の旗を高く掲げた。手は震えているが、顔は決意に満ちていた。「ここで私たちがどうするか、私たちで決めます。誰かに押し付けさせないで」

その言葉に群衆の空気が変わる。誰かが手をぎゅっと握り、誰かが大きく息を吐いた。小さな合意が、ばらばらの意思をつなげる糸になっていく。海緒はそのとき、何かが砲の内部でゆっくりと動いたのを感じた。機械は古いが、記憶を抱えている。もし合意が本当に共鳴すれば、黒潮砲は――とはいえ、その共鳴は強制ではない。

隊長が苛立ちを隠せず、手を引