白炎剣の交渉人と偽勇者団 第11話「第10章」
「こっちを通して! 早く、早く!」
「こっちを通して! 早く、早く!」
瓦礫の隙間から聞こえた声が、薄暗い路地に跳ね返った。ランタンの光が揺れ、偽勇者団の紋章入りの盾が白く瞬く。団員たちは列を作り、避難民ごとに封のされた紙片――救済証を確認している。紙片を持たない者は待機、あるいは連行される。子どもの泣き声が胸に刺さった瞬間、結城紅葉(ゆうき もみじ)は剣を握った。
「約束はこうだ、合意があってのみ効果が発動する――」歩が低く言った。彼女の右奥に立つ霧島歩(きりしま あゆむ)は、いつもより声が硬い。仲間たちは全員、白炎剣を中心にした短い作戦を共有していた。だが、その作戦は「全員の合意」が前提だ。剣の力は一度きり、共同で描いた形だけを現実にする。紅葉はそれを知っている。だからこそ、手が震んでいた。
だが瓦礫の下で誰かが息を切らしている。小さな手が、少しだけ見えていた。時間が潰える――
「紅葉、やめろ!」ミナが叫んだ。彼女は紅葉の左手を掴み、引こうとする。だが紅葉は断ち切るようにミナの手を振り払った。光が彼女の中心で蠢(うごめ)く。白炎剣の柄は、冷たい金属ではなく生き物のように暖かくなっていった。
「みんなに言った。だが……もう無理だ。子どもを見ていられない」
刃先が空気を裂いた瞬間、世界が高い音に包まれた。耳鳴りのような鋭い振動。白い炎が鞘を割いて、路地の空気を焼くように走った。その波は精密機械のように瓦礫を動かし、固定された梁を熱で膨らませ、崩れかけの板を押し上げる。砕ける木屑、遠くで叫ぶ団員の声、そして――小さな手がすっと抜けた。
救出は成功した。小さな身体を抱え上げたのは、救援の市民のひとりだ。歓声ではなく、呆然とした息が路地を埋めた。紅葉は剣を戻そうとして、眼前の光が歪むのを感じた。視界が、ゆっくり溶けていく。
最初は輪郭が溶けただけだった。街灯の輪郭が波打ち、色が白へと引き寄せられる。次に、白いノイズが視界を占めた。雪の降る夜に見える街の残像のようなものが、彼女の視野を断続的に横切る。光と暗が交互に反転し、形は残像になってはちぎれて消える。
「紅葉、大丈夫か!」ミナが叫ぶ。声は近いが、輪郭の先だ。手が紅葉の肩に触れ、ざらりとした布の感触。息の匂い。鉄の匂いが鼻腔を突いた。指に伝わる重み。だが目は殆ど見えない。白い残像だけが揺れている。
「見えない……」声は砂を噛むように、彼女の喉から出た。それは本当に視覚を失う感覚だった――時間と空間の繋がりが、視覚の欠如によって薄くなる。足下の石のぬくもり、風に混ざる煤(すす)の匂い、誰かが叫ぶ靴音。聴覚は増幅され、世界は細かい音へ濃縮された。
「これは、単独使用の反動だ」歩が低く吐いた。誰もが知っているルールの顕れを、そこに見た。紅葉の両手で剣の柄を握る感覚が、ぴくりと小さく震えた。――代償は目を奪う。だが、その代償よりもっと深刻なものが、周囲で起きていることに気づいたのは、視覚を取り戻せないまま耳で拾った言葉だった。
「なんだこの光は……! 人を奪え! 押し出せ! 受け取れ!」
偽勇者団の団員たちの声が、単調な歓声と化した。ひとりの団員が刀を振り上げると、その刃先が白く燃え、彼の目は遠い一点を見据えている。白炎の残滓が、彼らの装具に纏わりつく。合意を取らずに発動した結果、能力は味方だけでなく周囲にも「波及」した。紅葉は、それが「敵に作用する」ことの意味を、皮膚で感じた。
「こいつら――拘束されてる。意思が、どこかに吹き飛ばされてる!」ミナが叫ぶ。だが瞳孔の奥の光は空虚で、言葉は命令語のように繰り返される。瓦礫の上で手を伸ばす市民を、何人かの団員が無理やり押し戻した。救済証を持つ者だけを受け入れるという制度が、肉体の動きとして押し付けられている。
「ごめん!」紅葉は目の前が白い雪のようにちらつくのを感じながら、拳を震わせた。救出は成功したが、その代価は重かった。仲間たちは混乱している。ミナは紅葉を睨み、歩は無言で周囲を固める。市民の不安は、瞬く間に怒りへと変わる。誰かが叫ぶ――「もう騙されない!」
その時、路地の端にある古い配電柱が、微かな光を放った。ランタンの灯りとは違う、冷たい白の振動。それがまたたき、周囲の街灯が連動して点滅する。白い模様が壁に映り、点と線で構成された地図のように見えた。紅葉には形は見えないが、音と震えが示していた。誰かが、地図を見るように指をさす。
「中枢……ここからではないか?」歩が言葉を絞り出す。ミナがじっとその指先を見つめ、そして低く呟いた。「白炎の共鳴だ。偽勇者団のシステムが、白炎の周波数で同期している」
その一言が、空気を切り裂いた。紅葉は剣の柄に触れていると、冷たい振動が指先から胸に伝わるのを感じた。ほんのわずかだが、剣の中に残る「痕跡」が外へ広がり、配電柱の回路と重なった瞬間、街は選択の網目を露呈した。灯りが繰り返し点滅する度に、路地の壁に小さな窓が浮かび上がるように見える。避難所、登録所、集配センター――白い線がそれらを結んでいた。
「つまり――」ミナの声が歪む。「偽勇者団は『救済』を名目に、この街の選択を管理している。救済証は、その正当性を示すだけじゃない。紐で拘束するための鍵だ。中心となる装置が、街の至るところに周波を撒いてる」
歩が地図を指で追う。音だけの紅葉には形はわからないが、振動が増し、頭の奥に冷たい影が走る。剣の発動が、偶然にもその網目を照らし出し、今や彼らはそれを見てしまった。だが見えたことは、二つの道を残した。
「中枢を叩けば、一覧になってるすべての拘束が切れるかもしれない。だが一斉に解放されれば、制御の崩壊で混乱は避けられない。――それが市民にとって本当の『選択』を取り戻すことになるかは、分からない」歩の声は冷静だが掠れる。
ミナは紅葉の側に屈み、白炎剣の刃の反射を見つめる。紅葉の視界はまだ白の残像の海だ。ミナが指先で剣の柄に触れ、そのまま唇を噛んだ。「でも、私たちが今、武力で中枢を壊したら、偽勇者団は潰しに来る。しかも――」彼女は言葉を切った。「紅葉、あなたは今、単独で使った。信頼が落ちてる。あの剣の能力で中枢に何か起こすには、みんなの合意が必要だ」
沈黙が路地を覆った。救出された子どもは、誰かのケープにくるまれて震えている。団員たちは指揮系統のない混乱の中にあり、街のあちこちで不満の火種が燻っている。
紅葉は白いノイズの中で、指先に残る剣の冷たさを確かめた。視界を失ったせいで、彼女は世界の小さな予兆をより敏感に感じている。誰かの躓き、遠くの鐘の余韻、呼吸の乱れ。彼女の胸の中に、見えない痛みと共に一つの決意が燃え上がる。
「強行じゃなくて、選択を取り戻すために動こう」紅葉は声を振り絞る。言葉はかすれていたが、彼女の意志は真っ直ぐだった。「私たちが剣で全部を壊すのは簡単だ。でもそれは『また一人の英雄が決めた選択』になる。あの人たちが求めているのは、選ばれることじゃない。選べることだ」
ミナは一瞬、紅葉を睨んだ。怒りと安堵が混ざった表情。歩は目を細め、地図の方向を再確認する。「ならば、準備する。選挙の場を作る。情報を出して、避難民に選ばせる。中枢は――ただし時間がない。