逆光銃の護衛と凍結政府 第8話「第7章」
屋上の風は、いつもより冷たくて鋭かった。日向梓は逆光を背に立ち尽くし、手袋越しに小さな銃身を撫でた。金属は冷えていて、刻まれた溝に朝露が入りこんでいた。正面の街路はまだ薄靄に包まれている。だが梓の視界の右下には、黒い穴がぽっかり空いている——前回の使用で出来た欠落。そこには色も輪郭もなく、世界の一部が欠け落ちているように見えた。
屋上の風は、いつもより冷たくて鋭かった。日向梓は逆光を背に立ち尽くし、手袋越しに小さな銃身を撫でた。金属は冷えていて、刻まれた溝に朝露が入りこんでいた。正面の街路はまだ薄靄に包まれている。だが梓の視界の右下には、黒い穴がぽっかり空いている——前回の使用で出来た欠落。そこには色も輪郭もなく、世界の一部が欠け落ちているように見えた。
「もう動き出したよ。芽衣は民間列をまとめて横道に回す。黒田は行政ビルに差し入れを仕掛けた。佐久は通信塔の方へ行った。俺は列の護衛だ」
トーマが息を整えながら踵を鳴らして近づく。彼の息は白く、声は低い。梁の影が二人の顔を割った。
「一緒に来ないのか?」と彼。梓は逆光銃を指で転がし、銃口を覗かないように下げた。
「私がいると足手まといになるかもしれない」梓の声は、朝の風に消えかけた。「一度だけじゃ済まない。私が決めると、――代償が増えるのをみんなに押しつけることになる。」
トーマは顔をしかめた。彼は梓を仲間だと認めていたし、同時に梓を守る役割も背負っていた。「代償ってのはお前のことだろ。俺たちの合意があれば、使えるって言ってたじゃないか。今回は、芽衣が全員の承認取ってる。動け。」
その言葉は刺さった。芽衣が承認をとった——それは、梓の能力が作動する条件だった。逆光銃は、複数の意志が同じ作戦に同意したときだけ、その意図を「実在化」させる。だがそれは一度きり。さらに単独使用は、梓の感覚の一部を奪う。合意を無視して撃てば、作用は敵にも向かう——単独の暴発が誰にどう効くかは予測がつかない。
「私がいても、君たちの足を引っ張るだけなら、ここにいる意味はない」梓は屋上の縁に杖のように手をついた。風が髪を撫で、目元の欠落が黒く浮かぶ。トーマは黙って頷くと、短く「気をつけろ」と残して階段を下りていった。仲間たちはそれぞれの仕事に散った。梓は、まだ決めかねていた。
下に降りる際、梓は無意識に逆光銃を身に抱いた。冷たさが手のひらに伝わる。街は徐々に騒がしくなり、遠くでエンジンの唸りがふくらむ。凍結政府の装甲車だ。車輪が氷結舗装を噛む音が、廃ビルの谷間に反響した。赤いランプが、霧を切り裂いて押し寄せる。
路地で避難民の列が詰まり、年老いた女性が杖をついて転びかけた。子どもが泣き、若い母親が叫んだ。そのとき梓の胸の内で、なにかが切迫して弾けた。合図は無かった。芽衣の合意は今あの路地の外だ。だが時間はない。
「……駄目だ、黙って見てられない」梓は無意識に言葉を発した。手袋を外し、指先で引き金を触れた。冷たい金属は温かくなり、銃身の先に薄い光の縁が浮かんだ。逆光銃は梓の呼吸に同期する。
引き金を引くと、世界が反転したような光が胸の奥から溢れた。反動は、びりりと頭蓋を震わせる痛みだった。目の奥を氷の針が走る感覚。次いで、周囲の音がふっと遠のいた。子どもの泣き声が、既に遠い別世界から流れてくるように薄まる。とはいえ効果はあった──装甲車の前に展開した凍結障壁が、一瞬だけ歪んだ。隊列の兵士が一斉に足を止め、手にした検査端末が揺れる。路地の重い鉄扉が不意に開き、避難民の一団が押し通る隙が出来た。
だが代償は逃げなかった。梓は視界の右下の穴が広がるのを感じた。色がこそげ落ち、輪郭が消え、そこに黒い膜が広がっていく。耳鳴りが始まり、まるで世界の一部が切り取られていく感覚だった。さらに悪いことに、ソレが周囲の誰かにも作用した。幼い男の子が、突然その場で言葉を失い、泣き止んだかと思うと足元でぐらりと倒れかけた。芽衣が咄嗟に手を伸ばして支えた。彼女の顔が、怒りと恐怖で歪む。
「梓! 何をした!」芽衣が叫んだ。声はかろうじて届いた。梓は答えられず、ただ銃を押さえる手が震えた。単独で撃った結果、敵の動きに波及したと同時に、近くの味方や避難民にも予期せぬ影響を及ぼしたのだ。そのことが、梓を打ちのめした。
「よかった、通れたわ」芽衣の声には救いが混ざっていたが、それは薄い。芽衣はすぐに避難民を指揮し、子どもを抱き上げて列を引っ張る。梓はその背中を見て、胸の中に小さな針が刺さるのを感じた。救えた。だがその代わりに誰かの一部分を奪った──それは梓がずっと恐れていたことだ。
黒田が走り寄ってきた。彼はぬれた手袋で梓の腕をつかみ、銃を確認すると顔を曇らせた。「望まない連鎖を起こすな。合意のない使用は……本当に厄介だ。俺たちだけじゃ済まない」
そこへ佐久が汗だくで戻ってきた。通信塔のハックは成功したが、彼の顔は塗り替えられたように青ざめている。ポケットに詰め込んだ端末を差し出すと、そこには解析結果の文字列と、捉えた電波の地図が並んでいた。
「見てくれ。装甲車が展開していたのは、ただの掃討隊じゃない。やつらは\"選択封鎖\"ビーコンを持ち歩いている。あれは合意シグナルを感知して、逆光銃みたいな意図媒介装置を妨害するためのものだ。しかも、今日の隊列に向けて同期させてた。俺が通信の一部を割り込んで見た。政府は我々のやり方を調べて、抑止する仕組みを実装し始めてる。」
言葉が、屋上から一気に下へ落ちてきた。梓は逆光銃を抱え直し、寒さで指先が震えるのを感じた。芽衣は子どもを膝に抱え、眉間にしわを寄せた。「じゃあ、今後は合意があっても効かなくなるってこと?」
「場合による」佐久は首を振る。「ビーコンが近くにあると、共有意図の”同期”を崩すような妨害電磁が出る。数人の同意があっても、ジェネレーターが同期数を上書きする。時間稼ぎはできるけど、根本的な連携の実効性が下がる。要は、次に同じことをやろうとしても、政府側が準備すれば無力化される。」
トーマが短く息を吐いた。彼は右手で梓の肩に触れ、軽く押した。「お前には選ばせたい。ここでお前一人が勝手をするか、仲間と本当に向き合うか。俺たちはそれぞれ、自分の選択に責任を持つ覚悟でここにいる。」
芽衣は梓の黒い欠落を見つめ、静かに膝をついた。「梓、今回は助かった。けど、私たちはもうあなたの背中を黙って見ているだけじゃない。私たちも選ぶの。あなたが負うはずの代償を、みんなで分かち合う方法だって考えられる。だけどそのためには——私たち全員が、本当に合意しないと。」
その言葉は、梓の胸をぎゅっと締め付けた。彼女は何年も、誰かを守るために一人で決めてきた。前世から続く護衛としての習性は、今も体の奥に根付いている。だが芽衣の手は温かく、仲間の表情は固い決意に満ちていた。単独の英雄でいることは、もう通用しない。梓は握りしめた逆光銃の冷たさを、存在の確かさとして感じた。
「もし私が使うなら、もう一度だけ、みんなで同じ意志を合わせる。代償は分け合う。誰か一人に押し付けるんじゃない」梓の声は掠れていたが、確かな決意が漲っていた。
「分かってる」芽衣は梓の手を取り、他の者たちも輪になった。黒田は眉を少し下げてから頷き、佐久は小さく笑ってみせた。「でも、待ってられないかもしれない。あのビーコンの配置が増える前に、一度だけ夜の間合いで動けるかもしれない。政府が次の手を打つ前に、我々のやり方を一つ通すか、それともまず遮断装置を壊しに行くか──選択がある。」
トーマが地図を開き、点を