深海槍の修理師と天井評議会

深海槍の修理師と天井評議会 第1話「序章」

古びた海底工房の天井から、海の青が差し込んでいた。直径二メートルほどの丸窓越しに、上層を走る光の筋がゆらゆらと揺れ、錆びた鉄板に青い斑点を描く。レンはその青の中に身を沈めるようにして、槍の先端を布で磨いていた。指先に伝わる金属の冷たさと、極小の塩結晶が皮膚をざらつかせる感触。工房には古いポンプの低いうなりと、壁を伝う水滴の音があった。

古びた海底工房の天井から、海の青が差し込んでいた。直径二メートルほどの丸窓越しに、上層を走る光の筋がゆらゆらと揺れ、錆びた鉄板に青い斑点を描く。レンはその青の中に身を沈めるようにして、槍の先端を布で磨いていた。指先に伝わる金属の冷たさと、極小の塩結晶が皮膚をざらつかせる感触。工房には古いポンプの低いうなりと、壁を伝う水滴の音があった。

「まだ光ってるぞ、レン。磨きすぎじゃないか」

声の主はミオ。細長いラジオ端末を抱え、工房の入口で足を組んで立っていた。煙草の代わりに口にしているのは甘い煮豆の匂い。ミオの目は、レンの掌に収まる槍の先端に釘付けだった。先端の金属は黒いと青の混じった色をしていて、浅く脈打つように光が走っている。まるで生き物だ。

レンは手を止め、脈動を感じ取る。槍の根元には細い導線が何本も巻かれ、古い工具で繋がれている。前世で危険な現場を支えた修理師としての所作は、無駄がない。彼らの世界で「修理師」と呼ばれていたものは、壊れたものをその場で生かす術を知っていた。レンはそれを、今の身体で差し出すしかなかった。

「合図は二秒の同時。指で触れて、目で見る。覚えてるだろう?」ミオが言う。声はからりと乾いているが、そこに含まれる緊張は確かだった。

レンはうなずき、槍を二人分の掌の高さに掲げた。深海槍――彼らはそう呼んでいた。仲間と共有した作戦だけを一度だけ現実へと押し出す働きをする器具。だが、その使い方は簡単ではない。約束を守ること、合意を尊重すること。それがこの道具と自身を守る最初の鉄則だった。

ミオはゆっくりと前に出て、槍の付け根近くに手をかけた。レンも同じ位置に手を置く。導線の継ぎ目からはうっすらと暖かさが伝わってくる。空気は静止し、遠い外洋からの低いうねりだけが残る。

「三、二、一、触れて。」ミオの声が合図になる。二人は同時に指先を導体に触れた。掌から静電が流れ、槍の内側で脈動が強まる。針先の青い光が鋭くなり、視界の端が波打った。レンの視界は一瞬、海底の向こう側へ引き伸ばされるような感覚に襲われる。だがそれは一瞬で戻り、目の前の空気が微かに歪んだ。

「やったな」ミオが息を吐いた。二人の小さな合意――ほんの一瞬の共同の意志が、工房の外、試験装置の小さな流路に届いた。流路の水圧が一度だけ変動し、閉じていたハッチのシールが弾け、内部からの圧力がぴたりと止んだ。小さなメンテナンス用の換気口が開き、詰まったゴミが押し流されていく。機械が静かに呼吸を取り戻した。

「これが共有の操作だ」レンは言った。胸の奥で、あの時の景色がちらつく。前に使ったときも、合意があった。仲間と共に立つことで、深海槍の力は望む方向へ働いた。しかし、その力は厳格だった。片手でそれを握れば、片手分の代償を払わせる。

ミオがレンの顔を覗き込む。「今日はまだ大丈夫そうだな。感覚は?」

レンは軽く目を閉じ、集中する。聴覚、触覚、視界――すべてがいつも通りにある。昨夜の後遺症は消えていた。だが心のどこかで、鋭い不安がぬめりついている。先に起きた、忘れられない失敗の記憶が脳裏を掠めた。

それは三か月前、レンが一度だけ、合意をとらずに槍を使った夜のことだった。避難区の狭い通路を塞ぐ瓦礫を何とかしようと、急いでいた。敵ではなく、時間が敵だった。レンは独断で行動し、深海槍を振った。効果は瞬時に現れ、瓦礫はずれるどころか、近くにいた人々の居場所まで一瞬だけ変わってしまった。壁の向こうにいた子供の声が、戸外の空気とともに消え、幾つかの物が同時に壊れた。被害は局所的だったが、手元の計画が狂ったために、誰かの選択肢が奪われた。効果は敵味方を区別しなかった。

レンはそのとき、左耳の高域を失った。聴こえていた蝉の声の一部が、そこから欠け落ちた。以後、右からの音が偏って届く。医者に言わせれば、代償は回復しにくいらしい。だがそれ以上に、レンの胸を締めつけるのは、あの日、ミオに謝れないまま残した壊れた笑顔だった。

「忘れるな。合意を飛ばすな」ミオが低く言った。言葉には怒りはなく、確かな戒めがこもっていた。ミオは槍から手を離し、レンの肩に軽く触れる。彼女の掌は荒れていて、触れるだけで温度が伝わる。

レンは黙って頷いた。言い訳は途中で息切れしてしまう。彼は何度も自分を戒めてきた。仲間の選択を奪うことは、敵と同じ構造に手を貸すことになる。天井評議会が作る制度は、弱い人たちから選択肢を削る仕組みだ。レンが一人の修理師として、どんなに早くても、どんなに的確でも、それで人々の選択を奪ってはならない。

工房の外から、古い通信端末が断続的なノイズを乗せて鳴った。ミオがそれを拾い、しかめっ面をした。画面には避難区の簡易マップと、赤い点滅が表示されている。点滅の傍らに、二つの文字が浮かんだ。

「査察」——天井評議会。

ミオの指が震えた。レンもそれを見た。天井評議会の査察は通例、秩序の名の下に物資を差し押さえ、住民の登録を厳格化する。査察官の到着は避難区の人々にとって針が刺さるようなものだ。強制移動、拘束、適合証の照合。多くが怯え、密かに抵抗を試みる者もいる。レンが守ろうとしている人々の多くは、選択肢を日常的に失っている者たちだった。

「時間はどれくらい?」レンが訊く。声は思ったよりも冷静に出た。

「三時間以内に最初の小隊が着くって。事前通知だ。人数と範囲も細かく出てる」ミオは端末を指差した。スクロールする文字は速く、様々な条件を列挙している。査察には、機材の検査や個人の所属確認のために工房や倉庫の扉を叩く権限が含まれている。

レンの心臓が早鐘を打った。三時間でどう動くか。撤収するか、隠すか、迎え撃つか。だが彼が一番に考えたのは、深海槍のことだった。あの槍があれば、都市の外れにある密輸ラインを一度だけ改変して、必要な物資を避難区に送り込めるかもしれない。しかし、改変は一度限りだ。加えて、合意がなければ代償がある。代償はレン自身の感覚を奪う可能性がある。誰かの同意を無視すれば、効果は敵にも味方にも作用する危険がある。

「僕がやるべきか?」レンは自分に問いかけるように言った。だがミオは答えなかった。代わりに、工房の外で小さな足音が走るのが聞こえた。仲間の一人、トオルが階段を駆け上がってきた。息を切らしながら、目を見開いて二人を見る。

「チームリーダーからだ。避難区の代表たちが集まるって。話し合いをするらしい。全部ここで決めるわけじゃないけど、案内役は必要だって」トオルは言葉を途切れさせながら伝えた。彼の目には決意と戸惑いが混じっている。

選択はレンの肩に重くのしかかった。彼は深海槍を台に戻すと、古いコートのボタンをはめた。手袋をはめる時、指先が槍の残り香をまだ追っていた。ミオがコートの襟を整えてくれる。二人の手が触れ合った瞬間、短い合意がそこにあった。

「いくよ」レンは言った。声には迷いが滲んでいたが、足は確かだった。工房の扉を開けると、外は深海の青ではなく、避難区の薄曇りと機械の匂いが広がっていた。遠く、上層の航路に検査船の灯が点滅する。

ミオが息を詰めた。「もし……必要になったら、みんなで合意する。絶対、一人で使わせない。約