星獣牙の救助士と忘却艦隊

星獣牙の救助士と忘却艦隊 第8話「第7章」

下水道の暗がりは、時間が溶けたかのように鈍く湿っていた。鉄の蓋を開けたときに立ち上る硫黄の匂いと、足先を冷たく撫でる水滴の感触が、夜の空気を地上から切り離している。リオは肩にかけたバックパックの重みを、背骨で確かめるように歩いた。星獣牙――小さな牙型の金属片が、夜闇の中でほんのりと青白く息をしている。その光が、石の継ぎ目やコンクリートの裂け目に沿って道標のように映る。

下水道の暗がりは、時間が溶けたかのように鈍く湿っていた。鉄の蓋を開けたときに立ち上る硫黄の匂いと、足先を冷たく撫でる水滴の感触が、夜の空気を地上から切り離している。リオは肩にかけたバックパックの重みを、背骨で確かめるように歩いた。星獣牙――小さな牙型の金属片が、夜闇の中でほんのりと青白く息をしている。その光が、石の継ぎ目やコンクリートの裂け目に沿って道標のように映る。

「静かに。声を立てると連中に合図が行く」セナが低く囁いた。声には震えが混ざっている。彼女は避難民優先を何よりも心に掲げる者で、今夜もユウナを腕で抱えていた。震える小さな体がセナの前腕を吸い込むように委ねる。ユウナの髪は下水の匂いに濡れて、額には泥が張り付いている。

タオはヘッドランプを極限まで絞り、手袋の指先で配線図を確かめるようにして先頭を行く。彼の顔には、技術を用いることへの根深い恐れがある。忘却艦隊が残していった遺物は、制御不能になりやすい。タオはそれを身体感覚で知っていた。

「ミヤさん、本当にこれでいいんだな。住民の合意は取れたんだろう?」リオは振り返る。背後には七、八人の避難民が続き、彼らの影が壁に不規則な群れを落としている。ミヤは小柄だが、夜の市では評判のある人望を持つ。彼女はうなずき、唇を噛んだ。

「投票した。誰もがわかってないけど、代表が判断した。これ以上待てないって言ったのは、多くが今夜のうちに動くしかないから。私たちも協力する」

「合意があるって証明はどうする?」タオの問いに、ミヤはポケットから古い紙の切れ端を出し、指で表面をなぞった。そこには、住民の名が走り書きになっている。下水の中で、それがどれほど脆い証左かをリオは知っていたが、今はそれを糧にするしかない。

通路は狭く、足音は板一枚のように伝わる。誰もが静かに、呼吸を抑えるように歩く。牙の光が時折水面に反射し、まるで海の底を渡っているかのようだった。だが、下水には生き物がいる。ラットが木片をかじる音、向こう側の鉄扉が小さくきしむ音。音が一つでも増えれば、監視者の索敵に引っかかる。

「小さな音だった。あれで余計なパトロールが来るかもしれない」タオが言った刹那、向こうの曲がり角から金属的な鳴動がこだました。赤い瞳のような監視灯が、通路の先端でゆっくりと動く。滲んだ白い光が、湿った壁に晒される。

ユウナがひどく怯え、小さな手でセナの袖をぎゅっと掴んだ。体が硬直するのがリオにも伝わる。監視灯は二つ、三つ、規則的に点滅を繰り返して、やがて彼らの方向へ近づいてくる。振動が床板を通して伝わり、リオの胸の鼓動はその微かな地鳴りに合わせて速くなる。

「もう駄目かもしれない」タオの声は切羽詰まっていた。彼はバックから小さな端末を取り出す。監視網の信号を干渉してかく乱する装置だ。しかし、使ったことのない回路をこの場所で稼働させれば、予測不能な反応が起きる可能性がある。タオはその恐れを顔に刻んでいる。

リオは牙をぎゅっと握った。金属の冷たさが掌に染みる。牙には彼の前世の記憶と同じように、救助の匂いが残っている。だが使い方の条件は彼の頭の中で鳴り続ける――仲間と共有した作戦だけを一度だけ実現する。合意がなければ――。

監視灯が角を曲がり、先頭の影が明滅する。彼らのすぐ先に、巡回するボットの足音が聞こえ始めた。金属の爪が水面に軽く触れる音。ボットのセンサーが微弱な熱を拾い、方向を定める。ユウナの小さな吐息が漏れる。セナの顔が青ざめる。

「リオ、やるのか?」セナが目を合わさずに聞く。問いは合意の問だ。だがここにいる誰も全員の明白な合意を得ているわけではない。ミヤたちは代表で意思を示しているが、巡回の軌道は予想外だ。時間はない。

リオの脳裏で、死の現場がフラッシュした。前世で、彼は一人で機能を実行して仲間を守ろうとして、代償を払った。あの時、彼は感覚の一部を失った。耳鳴りが永遠に残り、夜の雨音が遠くなった。あの痛みは忘れられなかったが、目の前のユウナの頬に落ちる水滴は、もっと切実だった。

「行くしかないかもしれない」リオは、言葉を呑んだ。彼は牙を口元に近づけ、唇の裏で冷たさを感じた。使えば――単独使用は反動を伴う。だが、もし失敗すればユウナが捕まる。わずかな時間の間、リオは自分が誰であり、何を最後に守るつもりなのかを秤にかけた。

タオが端末のボタンを押しそうになった瞬間、リオは割り込んだように牙を握り直し、短く息を吐いた。「待て。俺がやる」声が震えた。セナが咄嗟にリオの腕を掴む。牙の冷たさが掌から骨に伝わる。リオは目を閉じて、内側で小さな祭壇を作るようにして言葉を紡いだ。だがその言葉は合意ではない。彼は一人で押し切ろうとしていた。

牙の光が瞬間的に鋭くなる。周囲の空気が凝縮して、リオの耳の奥で金属が鳴るような感触が生じた。視界の端で色彩が薄くなる。ボットのセンサーに届く波形が、壁伝いに新しいパターンを描く。効果は瞬間的だった。監視灯が一斉にぐらりと揺れ、ボットは動きを止めた。ユウナの顔が白から少しだけ色を取り戻すのが見えた。

だが代償は即座に払われた。リオの世界は、音の重なりが無くなったかのように変わった。まず、遠くの音が切り取られた。ラットのかじる音が遠い夢になり、滴る水のリズムが薄くなる。次いで、リオの舌から味が消えた。口に含んだ水が、無味の空気のように感じられた。耳鳴りではなく、音の層が剥ぎ取られた感触。胸の中にぽっかり穴が空いたような錯覚が走る。

「リオ!」セナの叫びが、届かない。彼女の声は泡立って見えるだけで、届くべき音にならなかった。タオの顔がゆがむのを見て、リオは手で耳を押さえる。だがそこから何も変わらない。彼の判断力はしっかりしていたが、感覚が一つ減った世界は、戦場の読みを鈍らせる。

さらに、予想外の副作用が現れた。能力は「敵にも作用する」形で及んだのだ。停止したはずのボットのセンサーは、捩じれた覚醒を見せ、あたかも彼らの存在を誤読したかのように乱れたプログラムを起動した。ボットは方向を変え、通路ではなく壁を掘削し始めた。鋭い金属片が飛び散り、振動がリオたちの足元に裂け目を作る。ミヤの隣にいた若者が金属片で脚を切られ、血が黒く光る。

「何をした、リオ!」タオが叫ぶ。声は痛みと怒りに満ちている。セナはすぐにユウナを抱き寄せ、安全な位置へ引きずった。だがリオは、自分がやったことの重さを瞬時に理解した。合意の外で牙を使ったために、効果は敵にも及び、予測不能な反応を生んだ。自分の救護の意志が、仲間を傷つける結果を招いた。

血の匂い。歪んだ金属の音。リオは味のない唾を飲み込んで、世界が遠ざかるのを感じた。だが背後で、低い声が響いた。住民の中の一人が、震えるけれど確かな意思で言葉を発した。

「ここで止めるわけにはいかない。私たちが協力するって言ったのは、こういうことよ。失敗しても、傷ついても、それでも前に進むってこと」

ミヤが血を拭いながら前に出る。彼女の手は震えているが、目には揺るぎがない。住民たちの顔が上がり、それが一つの重なりとなってリオの胸にぶつかる。合意は代表の紙切れではなく、こうして現場で生まれるものでもあった。言葉を