星獣牙の救助士と忘却艦隊 第25話「第23章」
夜風が広場を擦り抜け、ランタンの炎が揺れる。布で繕われたテントと瓦礫で組んだ簡易の防壁が、かすれた星空の下にひとまとまりの影を落としていた。リオは石段に腰を下ろし、膝の上で白い包みを抱えていた。包みの端から覗くそれは、牙──星獣牙だ。骨のように薄く光る表面には、星座のような青い線が走っている。触れれば冷たく、まるで遠い空の冷気が伝わってくるようだった。
夜風が広場を擦り抜け、ランタンの炎が揺れる。布で繕われたテントと瓦礫で組んだ簡易の防壁が、かすれた星空の下にひとまとまりの影を落としていた。リオは石段に腰を下ろし、膝の上で白い包みを抱えていた。包みの端から覗くそれは、牙──星獣牙だ。骨のように薄く光る表面には、星座のような青い線が走っている。触れれば冷たく、まるで遠い空の冷気が伝わってくるようだった。
「まだ…いいのか?」サヤが、背後から静かにリオに問うた。彼女の声には計算と不安が交じっている。サヤはこの共同体の戦術立案を担ってきた女で、外套の裾に細い工具の束をぶら下げている。その腕には、選ぶということの重さを何度も引き受けてきた者の痕がある。
リオは包みを開き、牙をそっと取り出した。荒い彫りの模様が薄光を帯び、見る者の心拍に合わせて微かに脈打つように見える。指先に伝わるのは冷たさだけではない。胸の奥で、ずっと消えない記憶の影りが疼いた。
「私、これで──」リオは言葉を途切れさせ、指先で牙の根元をつまんだ。その瞬間、広場に居合わせた者たちの呼吸が揃うように止まった。遠く、海の方で機械が低く唸る。忘却艦隊の気配が、暗色の風と共に近づいている。
「確認したいんだ。全員の意思で動かせるのか、それとも…」トオルは静かに言った。彼はエンジニアで、油の匂いがまだ手に染み付いている。工具箱の上に肘をついて、リオを見下ろす。トオルの瞳は真っ直ぐで、強い。だが今夜は、その真っ直ぐが揺れていた。
「そうだ。一度だけ。仲間と共有した作戦だけを実現する。条件はそれだけだ」リオはそう説明した。言葉にしたことで、他の者の視線が牙に集まる。皆、それぞれに理由があってここにいる。守るべき者たちの皺寄せ、仲間の顔、寝床を失った子らの震える呼吸。それらが重なり合って、選択の輪をひとつにする。
だがサヤが眉を寄せた。「単独で動かした時の代償は、やっぱり本当なのか?」
それは禁忌の核だ。リオは小さく頷き、牙を膝に押し当てるようにして言った。「単独だと、反動で感覚の一部を失う。前に――少し使った時、耳鳴りが消えなくて、匂いも薄くなった。長くは続かなかったけど、不意に世界の一部が切り取られる。俺(私)はそれを知っている。」
言葉を受けて、広場に沈黙が降りる。この沈黙は仲間の了承を待つ時間でもあった。誰かが口を開くたびに、決断の重みが波紋のように広がった。
「それだけじゃない」カイトが、肩越しに静かに言葉を継いだ。彼は医療班の長で、包帯とやけど痕の匂いが手に残る男だ。「合意を無視して牙を使えば、効果は制御を失って、周囲の心にまで波及する。敵にも作用する可能性がある。つまり、こちらの意図しない結果が出ることもあり得る。」
「敵にまで作用する…?」ミナが、肌寒さで肩をすくめながら訊ねた。避難民の少女である彼女の声には恐れが混じっているが、それでも瞳は堅かった。選ばれる側のひとりとして、彼女は自分の言葉に責任を持っている。
「そうだ。合意がない状態で発動すると、牙の‘共有’の仕組みが暴走する。仲間とどの情報を共有し、どの行動を協調するかを牙が決めようとしてしまう。場合によっては、敵が我々の思考に触れるような形で作用し、逆に混乱を招くこともある。」カイトの声には、かつてそれで痛い目を見た者の警告が滲んでいた。
リオの指先が牙の冷たさに食い込み、小さな白い筋が指の付け根に浮いた。夜風に乗って、遠いスピーカーから誰かの子どもの歌が掠れ聞こえてくる。リオはその歌を聞きながら、牙を試した。
「試すよ」彼女は短く言って、歯車のように噛み合う息を整えると、牙の先端に唇を触れさせるかのようにして空中で構えた。誰にも触れられないように、ただ一度だけ。牙は反応して、青い線がじり、手の平に冷たい震えを届けた。
その瞬間、耳鳴りのような高周波の音が鈍く広がり、リオの周囲の音が遠のいた。サヤの呼びかけがマイクの遠い反射音のように聞こえる。空気の輪郭が少しだけ薄くなり、香りの輪郭もぼやける。リオは咄嗟に牙を下ろした。冷たさは指先から全身へ広がり、胸の奥の何かが引き裂かれるような痛みを伴った。
「やっぱり…」トオルが顔を顰めた。「どれくらい、戻るんだ?」
「数分で大部分は戻るけど、完全には保証できない」カイトは包帯を取り出すようにポケットを探りながら冷静に答えた。「恒久的なものになる可能性もゼロじゃない。だから、単独の発動はしない方がいい。」
――その一度の試しで、理屈は確かめられた。代償は目に見える。だが、時間は残酷に進んでいる。忘却艦隊は今夜、ここを通り過ぎるかもしれない。何かをするなら、今だ。
「私たちは、自分たちで決める」ミナが急に立ち上がった。彼女の手には、母親にもらったという小さな灯りが握られている。火は揺れ、顔を照らし出す。ミナの目には怯えの跡があったが、同時に不退転の色も宿っていた。
「誰かの代わりに、決められたくない。守られるだけの存在には、もう戻りたくないんだ」彼女は低く、しかしはっきりと言い切った。その言葉が、他の者たちの胸に刺さる。守る対象の意思が、守る側の手に戻ってくる瞬間だった。
サヤがゆっくり頷く。「式典にしよう。牙を媒介にする決断は、全員の明確な合意によってのみ有効。『はい』か『いいえ』を一人ずつ言ってもらう。そして、その合意は撤回できない場で行う。押し付けや脅しは認めない。分かるね?」
「分かる」順に声が上がっていく。トオル、カイト、ハナと名乗る年配の女性、そして避難民の代表として数名。皆、それぞれに理由があってここにいる。灯りを掲げ、輪になり、互いの目を見つめる。その光景は戦の前の小さな結婚式にも似ていた。誓いを交わすのは愛ではなく、選択の自律だった。
リオは自分でも驚くほど落ち着いていた。牙を握り締め、彼女は言葉を整える。「俺(私)は、皆の合意があるなら牙を媒介として使う。代償は引き受ける。だが、使い方は皆で決める。私が単独でどんな決断をしてもいいなんてことは、もうさせないでくれ。……約束してくれ。」
輪になった手が、一拍置いて、それぞれの所作で牙に触れられた。ハナはかすれた手で優しく包むように触れ、トオルは一瞬だけ拳を合わせる。カイトは指先で符号を描くようにして、「合意」を示すための合図を作った。ミナは灯りを高く掲げ、サヤは冷たい目で一つずつ確認した。
「私たちは自分たちで決める」ミナが、もう一度小さく、しかし確固たる声で言った。
その声には重さがあり、広場の空気を変えた。星獣牙は、合意の上でかすかに光を増した。リオは牙を胸に押し当て、皆の合意を受け取るように深呼吸をした。指先に残る冷たさが、同時に彼女の任務のための鋭さにもなった。
「式は短くする。時間を決めて、作戦の最終確認をする。牙は共有の起点であって、全てを解決する万能薬じゃない。皆、覚悟はあるか?」サヤが短く言った。
「ある」トオル。カイト。ハナ。ミナ。声は揃っていた。周囲の人々も灯りを掲げ、沈黙の輪が大きくなった。
リオは牙を高く掲げ、目を閉じた。合意は得た。だがその瞬間、空気の向こうから、予期せぬノイズが割り込んだ。スカウト班の送信機が、夜の静寂を裂くように短