火薬花の教官と擬態兵団

火薬花の教官と擬態兵団 第8話「第7章」

鋼板で覆われた橋の残骸に、夜風が煤と焦げた花弁のような粉を撒き散らした。月は薄く割れた雲の隙間から覗き、瓦礫の谷間に冷たい銀を落とす。ルカは息を吐くたびに、鼻腔の奥に硫黄の匂いと金属の生温さを感じた。火薬花の粉は、まだ空気の中で微かに光っているように見える。誰かが運んだ灯りが低く揺れ、そこで人々の影が波打った。

鋼板で覆われた橋の残骸に、夜風が煤と焦げた花弁のような粉を撒き散らした。月は薄く割れた雲の隙間から覗き、瓦礫の谷間に冷たい銀を落とす。ルカは息を吐くたびに、鼻腔の奥に硫黄の匂いと金属の生温さを感じた。火薬花の粉は、まだ空気の中で微かに光っているように見える。誰かが運んだ灯りが低く揺れ、そこで人々の影が波打った。

「――どうしてこうなったんだ」

声は出たが、ルカ自身にも責める言葉か尋ねる声か分からなかった。瓦礫の中に横たわる担架から、肩越しに見えた光景が胸を締めつける。救護テントの外側、地面に落ちた足跡の先に、黒い花弁が五弁に開いたような焼痕が幾つも並んでいた。花びらの縁が鋭く欠け、中心にはこげ茶色の粉の塊。火薬花が一度ここで開いたのだ。

戻ってきた仲間たちの顔は、泥と涙と血で汚れていた。ケイは額に深い切り傷を持ち、タセは左腕を包帯で縛っていた。だがもっと重いのは、彼らの表情だ。急いで着替えを済ませた様子の若者が、腕組みをして立っている。マユだった。彼女はルカを見下ろして、言葉を先に投げつけた。

「あなたが動かないから、私たちがやった。待っていられなかったんだ、ルカ。避難民は待ってくれない」

ルカの手はまだ拳を作っていた。肺の中で何かが熱く燃えた。彼女は喉を潤し、冷静に声を作ろうとした。

「勝手に――合意も取らずに?」

「合意って、いつまで皆で話し合えばいいの? 橋の向こうで子どもが泣いているのに。あんたの条件——あんたの"共有"が必要なんて、言ってくれるのはいいけど、時間がないの!」

その言葉が最後まで届く前に、ケイが口を挟んだ。彼は顔を伏せ、肩で荒く息をしている。

「やったんだ、ルカの技を――俺たちなりに真似して。粉を撒いて、作戦を投げた。だけど……向こうが真似してきた。こっちの動きを全部先回りされた。合意がないと、あいつらにも作用するんだってさ。そうは伝えたつもりだったけど、遅かった」

その瞬間、ルカの胸の中の空気がひとつだけ引き裂かれた。言葉が意味を帯びて跳ね返ってくる。合意がないと、能力は敵にも作用する。今その "作用" が、瓦礫の上に残るならず者の靴跡のように、ここに焼き付いている。

「どうして伝えなかった」とルカは低く言った。「なぜ私に知らせなかった、全員の声を聞かなきゃならない理由を――」

マユの顔が一瞬硬直した。誰も答えない。夜の風以外の音が、ここにはなかった。だがそれが、本当に静寂だったわけではない。遠くで、誰かが瓦礫を掘り返す音、誰かが小さな声で嘆くように泣く声。生の音と死の残響が混ざり合っていた。

「向こうが先に動いたんだ」タセが言う。「俺たちのやり方は違う。だが、誰もそこに選択肢を残してくれなかった。ルカ、お前は常に"慎重"で、それが命取りになる時がある」

ルカの心臓がきゅっと縮むのを感じた。慎重であることはいつも正解ではない。だが、それが仲間の命を分ける線でもある。彼女は結局、口を結んだ。

「今は後悔を言ってる暇はない。どれだけの人が避難できた?」

「半分もいない」ケイが唇を噛んで吐き出す。「向こうが待ち伏せした。あの擬態兵団が、俺たちの動きをそっくり真似してねじ曲げた。合意の痕跡を追って、計画を突き崩してきたんだ。避難民を盾にして」

その説明が、妙に生々しかった。擬態兵団――彼らは単なる戦闘員ではない。彼らの力は真似ることで成立する。だがこの夜は、真似る以上の冷たさがあった。仲間の不在――合意の不在は、敵に"参加"の権利を与えてしまった。

ルカの脳裏に、ひとつの光景が強く浮かぶ。仲間の誰かが荒く火薬花の粉を振った瞬間、夜空に小さな花がぽんと咲いた。花は一度だけ、真っ白な閃光を放ち、空気を引き裂くように波紋を作った。だがその波紋は、見る者すべてに影響を及ぼした。合意があるべきところで、裏返された合図が敵にも届いた。結果、避難民の列は迷路に誘い込まれ、救援の線は断ち切られた。

そして今――残された者たちが血を流し、火薬花の粉は砂のように地面に溜まっている。

ルカは立ち上がると、無意識にポケットを探った。小さな布包みがあった。火薬花の粉を携えたものだ。これは彼女の能力の媒介でもあり、約束でもある。普段は仲間と"合意"して同じ作戦を共有する時にだけ、彼女は布包みを開く。だが今、選択は迫られていた。救えなかった人々が、この場所でまだ生きているかもしれない。もし彼女が一度だけ――単独で布包みを開けば、ここで起きた失敗を少しは挽回できるかもしれない。だが代償がある。単独使用は感覚の一部を奪う。

ルカは一瞬、考えた。感覚の一部を失う――それが何を意味するのか、彼女は知っていた。前世で危険な現場を支えた者として、犠牲の代償を幾度も見てきた。だが守るべき人が目の前にいる。選ぶ余地は、ほとんどなかった。

布包みを鷲掴みにして、彼女は指先で縫い目を引き裂いた。粉は夜の空気に吸い込まれるように舞い上がった。火薬花の粉が指先からこぼれると、空気が振動した。彼女は目を閉じて、仲間の顔を思い浮かべた。ケイの焦燥、マユの怒り、タセの傷、その下に横たわる避難民たちの顔。彼ら全員の合意を、心の中で呼び起こすように、ルカは手を広げた。

火薬花が開くとき、世界が一瞬だけ硝子のように澄んだ。光は味方の位置を把握させ、動線を同期させ、倒れた人々に一度だけ奇跡のような時間を与えた。瓦礫が揺れて、幾つかの倒壊が止まり、負傷者が力を振り絞って立ち上がれるようになった。ルカはその光景を見て、胸の奥がしぼむほどの安堵を感じた。

だが効果が消えたあと、世界は別の色をしていた。耳鳴りが先にやってきた。最初は高く、金属がこすれるような不快な音。次第に音は消え、最後には大きな綿の塊が頭に被さったかのように、声が遠くなる。助けを呼ぶ誰かの声は、ルカの鼓膜を経由せずに骨の中に響いた。だが言葉の輪郭は消えた。彼女は人々の声を聞けなかった。

「ルカ!」

マユの叫び声が、唇の動きだけで伝わる。ルカは口を開けて、「聞こえない」と言おうとしたが、音は出なかった。恐怖が膝まで冷たく包む。彼女は尻もちをついて、手で耳を掴んだ。熱と冷たさが同時に襲う。世界は視覚だけで成り立つものではないと、改めて知らされた。

仲間が彼女を支え、誰かが水を口に押し当てた。風に混じる硫黄の匂いはくっきりと残り、指先に付いた粉は冷たくてざらついていた。感覚の一部を失ったという事実は、言葉以上に重かった。ルカはそれでも、視界に映る人々を守るために、ゆっくりと立ち上がった。

夜の暗がりに、もう一つ気配が滑り込んだ。影織。黒いローブの裾が瓦礫に擦れる音が小さく、だが確かにあった。影織は擬態兵団の一員であった者。今はここに立ち、粉の瓶を手にしていた。彼の手は白く細く、水ぶくれのように粉を掬っては、掌で軽く触れていた。その指先が粉に触れる接写が、ルカの視界に焼き付いた。粉は指の溝に入って黒く滲み、光を受けて粒が瞬く。指先の皮膚が粉の冷たさを感じるのが、まざまざと見える。

影織は静かに話し始めた。声は耳の中で振動を届かせることが出来ないルカにも、彼の唇の動きで伝わった。

「合意のサインは、観測するものすべてに波及する