心臓を借りる兵士は生まれ直さない

心臓を借りる兵士は生まれ直さない 第9話「第8章」

潮の匂いと揚げ物の香りが混じる夕暮れの港町で、ユウマは人混みの端に立っていた。青い布を幾重にも重ねた屋台の明かりが、彼の胸に吊した小さなガラスの器を淡く照らす。器の中の黒い物は心臓の形をしていたわけではなかった。だが街の人々は——ときに冗談めかして、あるいは本気で——それを「借りた心臓」と呼んだ。器の中からは、低い鼓動が確かに届いた。器の縁に触れると、冷たく、少し粘るような感触がした。

潮の匂いと揚げ物の香りが混じる夕暮れの港町で、ユウマは人混みの端に立っていた。青い布を幾重にも重ねた屋台の明かりが、彼の胸に吊した小さなガラスの器を淡く照らす。器の中の黒い物は心臓の形をしていたわけではなかった。だが街の人々は——ときに冗談めかして、あるいは本気で——それを「借りた心臓」と呼んだ。器の中からは、低い鼓動が確かに届いた。器の縁に触れると、冷たく、少し粘るような感触がした。

「来てくれてよかったわ、ユウマ」
ミラの声が背後から来る。彼女はいつもの革のコートに細い銀の飾りをつけ、目の端にいつもの自信がある。だがユウマには、彼女の顔を見ても以前ほど明確に思い出せなかった。記憶の端々が紙のように薄く、指で触れるとすぐに破れてしまうような感覚がある。

「子どもは?」ユウマは訊いた。声が震えるのを必死に抑えた。守る対象を欠くことを恐れている—それは彼が立ち上がった理由だった。

ミラはサコッシュから小さな手紙を取り出し、折りたたんだ写真を差し出した。写真の上で、夕陽のオレンジが踊る。そこに写るのは、五つの指を丸めて笑っている女の子、サラだった。ユウマは写真の中のサラに目を走らせた瞬間、どこかで聞いた声が地鳴りのように胸の中で鳴った。しかしその声がどの記憶に属するのか、どの約束に結びつくのかは、指の隙間から落ちていった砂のように分からなかった。

「役所が今夜、徴収を出す。領主は『再仕立て』を口実に、あの女の子を連れるつもりよ。母親は力がない。証人はいる、でも散り散りになれば全部無かったことになる。ユウマ、あなたの能力を。証言を束ねて、公共の場で示せば——」ミラは言った。

「束ねる」という言葉はいつも通り冷たかった。ユウマは知っている。彼の能力は、目撃した者たちの断片を繋ぎ合わせ、ひとつの動かぬ真実にする。声は重なり、嘘が剥がれ落ちる。しかしその作業は、彼の内部から何かを削ぎ落としていく。削るのは使い古された武器でもなければ、誰かの名前でもない。大切な記憶、つまり彼が「守ろう」と決めた理由の情景までもが薄れていくのだ。

「やる」ユウマは短く答えた。答えを出すまでの時間はおそらく一瞬だったが、彼の胸の中で何かが崩れる音がした。

証人たちは市場の並木道に集められた。店主、職人、魚売り、安宿の女将らは目を伏せながらも口を揃えて証言をする。誰もが心臓を借りたかのように、どこか乾いた光を帯びている。ユウマは一列に並んだ声を、ひとつずつ耳の中に入れる。足元の石畳が冷たく、遠くで波が砕ける。証言は互いにズレ、言い回しも違う。ある者は夜の訪れを語り、ある者は荷車の軋む音を覚えていると言い、また別の者は子どもの母が必死に手を伸ばしたとだけ言った。

ユウマがその声を受け止めると、重なり合った糸が彼の胸の中で絡まり、一本の太い綱になるように、真実が形を取り始めた。身体の中心で何かが痺れ、唇の裏に金属の味がした。光が後頭部から胸へと流れ、そこにある「借りた心臓」が強く脈打つ。彼は目を閉じ、ひとつの映像を組み上げる——母が子の腕を掴まれ、役人の足が踏み込む。役人は領主の命令書を掲げ、再仕立ての烙印を押すための手続きを示した。場面は鮮明になっていく。集まった人々の声は合唱となり、疑いの余地を残さない事実へと収斂していった。

証言を完成させた瞬間、ユウマは何かを失った。胸の底に、幼い頃に歌ってくれたはずの子守歌があったはずだという感覚だけが残り、旋律は消えた。彼の記憶の棚から、一枚の写真が抜け落ちたように、誰かの顔が消える。自分が何に怒っていたのかは残っている。でも、その怒りに伴う景色、暖かさ、名前——それらが薄れていく痛みは、言葉にならなかった。

「止めて!」人混みの外で、役所の使い走りが叫んだ。だがそれはもはや役に立たない。ミラはユウマの肩に手を置き、目を見据えた。「いい、あなたが張った証言は完璧よ。領主の手先はこの街では通用しない。今夜はこれで阻めるはずだ」

だが音は変わった。港の方角から、器の中の心臓が高鳴りするような、倍音を含んだ鼓動が上がる。通りの先にある納屋の屋根で、いくつもの小さな明かりが不規則に点滅した。借りられた心臓を扱っていた者たちの店先で、ガラス戸が軋む。遠くで誰かが呻き声を上げ、子どもが泣き出した。ユウマはあの感触を知っていた。彼の強引な救済が、呪いを刺激するのだ。

「やった、止められ……」ミラが言いかけ、言葉を呑んだ。辺りの空気が厚くなり、耳鳴りのような高い音が混じってくる。屋根の陰で、領主の標章を掲げた兵士たちが動き出し、だがその動きはいつもと違ってぎこちない。まるで見えない糸に操られているように、ゆっくりと、しかし確実に歩を進める。通りの人々はその異様な歩みに凍り付いた。

「強制された救済が、呪いを呼ぶ」——ユウマの頭に、言葉が浮かぶ。どこから来たか分からないその言葉は、彼の能力を使うたびに増す代償の現れだった。彼は確かに人々を助けた。だが助けを「強制」したと同時に、呪いの応酬を町に呼び込んだのだ。借りた心臓は震え、鎖のように町全体を駆け抜けていく。

通りの角で、サラの母親が崩れ落ちた。影が彼女の背を覆い、母は無意識のうちに子の名を呼んでいる。ミラは咄嗟に彼女を抱き寄せ、周囲の者たちを指差して叫んだ。「分散して! 密集はあの印にとっての餌よ!」

そのとき、ハルトが叫んだ。「図書館だ、署の裏! 記録を持ち出せる奴はいないか! 心房の台帳に手を出せれば——」

ハルトは若い顔だが、決断が速い。彼はすぐに数人を引き連れて古い公文書館へ走った。ミラは迷わずサラを抱えて路地へと走る。修司は教会の屋根に上り、槍のような棒で空を指しながら人々を誘導した。全員が各自の判断で動き出す。彼らの顔には恐れがあるが、それ以上に決意があった。ユウマは彼らの背中を見送りながら、自分の無力さを噛みしめた。記憶が消えていくことが、決断の妨げになる。

「ユウマ、来て」ミラが振り返る。その眼差しは、今までに幾度となく彼を導いたものだ。だがユウマの中で、その目が「なぜ自分をここに呼んだのか」を説明するはずの情景だけが抜け落ちている。彼はひと呼吸置き、言った。「俺は、もう覚えていないかもしれない。でも、止める。止めたいんだ、強制を」

ミラはユウマの手を取る。小さな掌の温度が、彼の中の曖昧な輪郭を一瞬だけ取り戻す。二人は路地を抜け、波が砕ける音が次第に大きくなる埠頭へと急いだ。埠頭の端にある古い倉庫の扉を開けると、そこには小さな集会が開かれていた。人々は既に肩を寄せ合い、ろうそくの灯りが紙に書かれた誓いの文を照らしている。ミラが立ち、静かに声を上げた。

「私たちは、誰かの代わりに生きることを拒む。再仕立てを受け入れるか拒否するかは、本人と共同体の合意だ。強制は拒否する」

声は薄暗い倉庫に木霊した。拍手がわずかに起こり、幾人かの顔に涙が光った。ユウマはその反応を見て、自分が正しかったことを確認したかった。だがまた、胸の内から欠落が広がる。誰かの名、幼い日の約束、詩の一節——どれも彼を固めていたはずのものが、手元から滑り落ちる。

「これが正しいことなら、私はやる」ユウマは静かに言った。言葉は