記憶を凍らせる薬師は自分の罪を数え直す

記憶を凍らせる薬師は自分の罪を数え直す 第3話「第2章」

石畳の隙間から冷たい風が這い上がり、ユエンの肩に絡みついた。追手の足音が二つ三つ、路地の奥で波立った。彼は呼吸を整え、薬袋を探る代わりに手の平を握りしめた。掌の皮膚の下で、いつもの違和感がざわつく。穴の開いた記憶の場所――そこから何かを差し出すと、何かを奪われる予感がいつも伴った。

石畳の隙間から冷たい風が這い上がり、ユエンの肩に絡みついた。追手の足音が二つ三つ、路地の奥で波立った。彼は呼吸を整え、薬袋を探る代わりに手の平を握りしめた。掌の皮膚の下で、いつもの違和感がざわつく。穴の開いた記憶の場所――そこから何かを差し出すと、何かを奪われる予感がいつも伴った。

「来るな。」

彼の声は風にかき消され、返事は影だけだった。影が白く結晶化していく。見上げた先で、路地の灯りが瞬間に氷を纏ったように、周囲の陰がシャープな白い縁取りを帯びる。追手の一人、腕に傷痕のある男の顔が一瞬、透明になった。瞳が空洞のガラスのように透け、彼の中に入った記憶がそのまま向こう側を透かして見えた。

ユエンは手を差し出した。掌の中の冷たさが、遠い夏の夜の手の温もりを削ぎ落していく。彼はその痛みを飲み込み、男の肩に触れる。触れた瞬間、男の胸の奥から断片が裂けるように出てきた――火花のように白く、指先で掬える結晶体の粒子。彼はそれを受け取り、目の前に持ち上げると、粒子は光を放って膨らみ、短い絵が空中に再生された。戦場の路地、刃の閃き、金貨のやり取り、そして女性の嗚咽。男が今ここにいることの理由が、観た者の胸の中で瞬間的に現れ、揺らいだ。

「証言を束ねる。」彼は低く呟いた。証言は一人称の痛みだ。他人の痛みを「見せる」ことで、聞く者に確かな当事者性を与える。だがその代わり、彼の個人的な何かが霧散する。男の吐き出した結晶は、彼の中の一枚の写真を溶かした。暖炉の前で眠る子どもの横顔。母親の唇がふっと薄くなり、輪郭だけが残る。ユエンはその欠落に喉が焼けるように痛んだ。

「逃げろ!」片方の追手が叫んだ。声の角で、男の記憶の断片が引っ張られる。自分が何をしに来たのかを思い出せなくなった追手は数歩躓き、そこで動きが止まる。街灯の光は相変わらずだが、追手の顔が白いガラスになっている。ユエンは唇を噛んで、残りの証言を自分の袋に押し込んだ。これを外に出せば、誰かの罪は公共の真実になる。それは重い武器だ。だが同時に、彼の記憶はまた一片、薄れていく。

路地の入口で足音が止まった刹那、黒いローブが影から現れた。年端もいかぬように見えるが、瞳に古びた聖典を焼き直したような冷たさがある。ミール――元聖職者だと噂される女が、肩越しにユエンを見つめた。

「ユエン・アル=サイ、だね?」彼女の声は柔らかく、それでいて石のように確かな輪郭を持っていた。「そんなところで何をしている。役所の懸賞は高いよ。」

「逃げている。」彼は短く答え、背後の路地をもう一度確認した。追手はまだ動けない。彼が触れた証言の影響は完全ではなく、時間が戻れば追手は記憶を取り戻す。時間の余裕は短い。

ミールはゆっくりと歩み寄り、ユエンの掌に残る冷気を見て眉を寄せた。「まだやっているのか。あれは――救済じゃない。統治のための鎖だ。」

「治療でも統治でもいい。真実を出すことだけが、俺のやり方だ。」言葉は強くしたかったが、声はわずかに割れた。自分の手のどこが温かかったのか、今でははっきりとは言えない。

ミールは目を細め、指先で何かを弄った。ローブの下から古びた符章が光った。それは聖堂で見た戒律を改訂した痕のようで、彼女が「聖典改訂」に関与していたことを匂わせた。「あなたのやり方は不完全ね。『証言を束ねる』術は、呪いの一形態だ。王権と教団はそれを利用して、反逆を封じ、同時に民の選択を奪ってきた。読み替え――それが聖典改訂。信仰を制度へと書き換えることで、人々の抵抗を合法化するんだ。」

「その証拠が何処にある?」ユエンは問い返す。路地の冷気が指先に染み、彼は忘却の苦味を飲み込むように堪えた。

ミールは薄く笑った。街の外れ、官が管理する場所を指さす。半ば廃れた倉庫群、公式に「強制収容区」と呼ばれる場所だという。「あそこには、かつての聖堂の記録と、改訂のために差し替えられた原稿が保管されている。傭兵の証言が表に出たのはあなたの仕事かもしれない。でも、本当の創り手はそこにいる。改訂の草案、署名、施策に絡む軍書類――全部が、封印されている。」

ユエンの胸に小さな衝動が跳ねた。確かめられれば、自分が追われる理由も、傭兵の証言が狙われた理由も見えてくるかもしれない。だが同時に、強制収容区は「封印」の場所だった。そこに入れば彼はより大きな仕組みに触れる。仕組みが見えれば、彼の選択はより重くなる。選択は記憶を消費する。記憶は、彼の目的――「自分の罪を数え直す」ために必要な燃料だ。

ミールは続けた。「ただし、一つ忠告する。あなたがそこで見つけるものは、証言を束ねただけでは済まない。『救済』を強制するような仕組みがそこで育まれている。誰かに真実を見せて、彼らを無理やり変えようとすれば、あなたの呪いは増幅する。記憶の喪失が加速し、時には取り返しのつかない代償を払うことになる。」

言葉は風の中で震えた。ユエンは自分の胸の内部にある、まだ炎だった記憶を探した。母の名前、最初に弟に触れた時の手の感触、かすれた歌――どれも彼の意志より早く溶け出している。彼は知っていた。己の力を「武器」にしてしまえば、救済を望む者の抵抗を奪い、自由な「選択」を潰してしまうかもしれない。

「もし行くなら、単独では行けない。」ミールが言った。彼女の声が明確な命令口調に変わる。「あそこは監視と暴力が混ざった場所だ。情報だけではなく、人も、『修復』という名目で消される。あなた一人では、真実を掘り出す前に体と記憶を削り尽くされるだろう。」

ユエンは街外れの闇を見た。追手はまだ路地の端で立ち尽くしている。時間は彼らのものであると同時に、彼の能力が作る白い裂け目でもある。選択が迫る。

「仲間を増やすか、単独で進むか、だな。」ユエンが言葉にすると、ミールは頷いた。「仲間がいれば、あなたの代償を分配できることもある。だが誰かを巻き込めば、その誰かも呪いの連鎖に触れる。逆に、君一人で切り裂けば、犠牲は君だけに帰ってくる。」

背筋に冷たい汗が走る。ユエンは自分の胸の中で、まだ確かな小さな声――弟が戦場で笑った声の断片――を探した。指先に残る白い塵の感触が、その声を薄める。彼は手を握り締め、決断を迫られた。

「誰を?」ミールが訊いた。問いは簡潔だが、その重みは深かった。仲間という言葉は救いでもあり、負債でもある。ユエンは目の前のミールから目をそらし、路地の向こうにある小さな屋台の灯りを見た。そこに、一度だけ取引をした泥棒がいる。顔を知らずとも、足並みの揃った者がいる。あるいは、昔の連絡係――黒い帳面を持つ男ハアト――が思い浮かんだ。彼らは己の欲と恐れで動くが、有用だ。

「ミール。」ユエンの声は低かった。「君と行く。だが一人じゃない。ハアトを呼べ。あの男なら、扉を開ける鍵になる。」

ミールは半分驚き、半分納得した顔をした。「ハアトか。いい選択だ。だが彼は代価を取る。知っているだろう?」

「代価なら払わせる。」ユエンの答えに、迷いはあった。だが決めることでまた何かを保てる気がした。自分の記憶は減るかもしれない。だが真実が表に出れば、守るべき者たちに選択肢を返すことができるかもしれない。彼はその可能性に賭けるしか