眠りを失う王子は神を告発する

眠りを失う王子は神を告発する 第22話「第20章」

赤い朝焼けが市門の石畳を覆っていた。空気は冷たく、焼けた鉄と香の混ざった匂いが喉に絡みつく。広場の中央に組まれた高台は血の色の布で覆われ、簾の裏に神殿の祭服を纏った者たちが列を成していた。人垣はぎゅうぎゅうで、誰かの息づかいが肩越しに伝わる。王子エリアスは黒い外套の裾を握り締め、息を吐いた。眠れない夜がまた一つ、彼の視界を鋭くしている――まるで世界が眠りを失った本人を見張るように。

赤い朝焼けが市門の石畳を覆っていた。空気は冷たく、焼けた鉄と香の混ざった匂いが喉に絡みつく。広場の中央に組まれた高台は血の色の布で覆われ、簾の裏に神殿の祭服を纏った者たちが列を成していた。人垣はぎゅうぎゅうで、誰かの息づかいが肩越しに伝わる。王子エリアスは黒い外套の裾を握り締め、息を吐いた。眠れない夜がまた一つ、彼の視界を鋭くしている――まるで世界が眠りを失った本人を見張るように。

「名誉裁判、開廷!」

大神官アザルの声が振り子のように広場を震わせ、鉄の鎖が軋む。処刑台の上で、首謀者の名を呼ばれたのは、赤い鬣を編んだ青年ではなかった。マリカ――エリアスの側にいつも居た女剣士が、自ら書類に署名して歩み寄っていた。群衆のどよめきと同時に、エリアスの胸が崩れるように痛んだ。

「マリカ、やめろ」

彼は叫んだ。声は通らなかった。マリカは、肩越しに小さく笑って、指先でエリアスの手に触れた。それはいつもの、いたずらっぽい触れ方ではなく、決意を宿した短い接触だった。

「エリアス。私の意思よ。あなたの盾になるためじゃない。皆に見せたかったの。私たちが選べるってことを」

処刑長トールが長い刃を掲げる。アザルが参列者に向けて手を上げ、群衆が一瞬静まる。マリカは自らの首に布を当て、笑ったまま目を閉じた。

エリアスの掌が痺れた。彼の能力が疼く――呪いが見せる真実を、当事者の証言として束ねる力。ここで使えば、マリカの最後の瞬間を広場の誰もが「当事者」として同時に聞くことができる。彼女が訴えるなら、神殿が隠してきた事実を、この場で暴くことができる。だが代償はいつも厳しい。彼は知っている。証言を武器に変えるほど、彼自身の記憶が像ごと溶ける。さらに、もし彼が「救済」を強制するためにその力を使えば――つまり、民衆や執行者の意志を上書きしてマリカを救おうとするなら――呪いは反動して増幅し、眠りを奪うだけでなく、周囲の者たちの眠りすら引き裂く。甘い選択は、より多くの人々を呪いの下に投げ込むことになる。

刃が振り下ろされる寸前、エリアスの中で二つのイメージが同時に走った。マリカと笑い合った夜、市井の薄暗い居酒屋で肩を並べたあの肘。母の指が彼の髪を整えた柔らかな記憶。どちらも鮮やかで脆かった。彼は力を使えば、そのどちらかが消えると分かっていた。

「エリアス!」

誰かが叫ぶ。だが叫んだのは、王子を庇うための声ではなかった。群衆の中から、ひとりの少女が前に出てきて、両手を広げた。彼女はマリカの幼なじみで、顔に泥と涙を混ぜていた。「私が代わりに」と訴えるが、兵が瞬時に囲んで押し留める。群衆の視線が次々と刺さる。空気が千切れるように引き伸ばされる瞬間、刃が、落ちた。

マリカの身体が震え、そして小さな音が広場に散った。群衆の叫びが波になって押し寄せる。だが、瞬間の後に来たのは静寂だった。まるで世界がひとつの真空になるように、エリアスは周囲の音を切り取った。彼の能力は目をひらく。

彼は心の中で呟くように呼びかけ、マリカの最後の思考を受け取った。それは生々しく、火照った呼吸と共に流れ込んだ――神殿が民の眠りを「収穫」し、醒めぬ忠誠を買ってきたという告発。夜ごとに夢を抜き取り、安眠を鉄で替えた日々。故郷の薬師がいつしか眠り薬を売るようになった理由。マリカの声は群衆の中で重なり、瞬く間に数百の断片が一つの言葉として結晶した。

「彼らは夢を食べる」

それは呪いの真実を示す言葉となって広場を裂いた。人々の顔から徐々に安堵が消え、怒りが顔を覆う。兵士たちの目に戸惑いが走る。処刑台の周りで、いくつかの手が震え、剣を握る腕が下がった者もいる。神殿の計算にはなかった反応だ。

だが同時に、エリアスの中では何かが崩れ落ちていった。マリカの証言を束ねた瞬間、幼い日の約束が霞み、母の指先の温度が遠のく。彼の記憶の縁が淡くなり、指先に空白ができる。顔の中にあった母の笑みが、写真の一部のように平坦になる。息が浅くなる。眠りの奪われ方が前よりも鋭かった。

「王子様!」近くでセドルが呼ぶ。エリアスを護る騎士長の声だ。だがエリアスは答えを返せない。彼の中で、マリカの最期が民の怒りを生み、神殿の掌を揺るがせる一方で、自分の中から幾つかの灯火が消えた。

耳の端で大神官アザルの声が掠れた。「呪いを民に晒すのは危険だ。王子よ、あなたは己を滅ぼす気か」

「彼らに選ぶ力を返すことが、滅びなら止むを得ない」エリアスは低く言った。言葉に迷いが混じる。力を使ったことで、群衆は動き始めた。兵の一部が槍を下げ、ある者は祭服の官吏を見返した。だが動きは断片で、全体が傾くほどの力ではない。大量の証言を一気に暴露すれば、確実に人々は立ち上がるだろう。しかしそれはエリアスの記憶をさらに削り、眠りを失う代償を増幅する。強制的な救済——この場で全てを止めるために能力で意志を上書きする選択肢はある。だが、それは神殿の呪いを反動的に解放させ、民の眠りをより深く奪う危険な賭けだ。

群衆の中、マリカの幼なじみが血に濡れた手で帽子を掲げた。涙が頬を伝う。「彼女の意思で――」と嗚咽を含んで告げる。誰かが「真実を殺したのはおまえだ!」と大神官に投げつける。アザルの顔が硬くなる。祭服の裾を握る手に、明らかな動揺が走った。

エリアスは頭の中で秤を動かすように考えた。記憶か、人々の選択か。どちらも等しく重い。だが一つだけ確かなことがある。マリカは自分の意思でここに立った。彼女は自らを犠牲にして、民に「選ぶ」材料を残したのだ。

「覚悟を決めろ、王子」セドルが低く言う。「今動くなら、あの神殿の儀式を止められるかもしれない。しかし何を失ってもお前の選択だ」

エリアスはその言葉を胸に押し込む。広場はざわめき、火花のように意見が飛び交う。神殿側は軍を動かすだろう。今夜、王宮で一斉に行われるという噂——「眠りの収穫」の準備が進んでいるとの情報が、仲間の一人を通じて彼の耳に入っていた。それはただの噂ではなく、神器庫に積まれた布袋や深夜に運ばれる香炉の列を見た兵の証言で裏付けられている。神殿は、まだ人々が目を覚ましたままでいるうちに、眠りを一網打尽にするつもりかもしれない。

エリアスは手を握った。指先が硬くなる。眠れない目の奥で、薄れゆく何かが光る。マリカの温度を、彼は抱きしめるように感じた。真実を武器にして一度に暴けば、もっと多くの記憶が消える。だが待てば、神殿は夜の闇に紛れてもっと大きな収穫を始める。選ばねばならないのは彼一人ではない。だが、その選択を下すのは、今、彼だった。

「夜だ。今夜だ」彼は低く呟いた。言葉は冷たく、しかし決意を帯びていた。「神殿の儀式を止める。だが僕は自分のすべてを賭けはしない――代わりに、仲間たちに選ぶ余地を作る。力を全面で振るうつもりはない。だが行く。行って、真実をもっと集める」

セドルは黙って頷き、残された者たちも目を合わせた。群衆のざわめきが次第に固まり、地方からの人々が声を上げ始める。広場には、きしむような決意の空気が立ち上る。

エリアスは片手で外套の内側にある小さな木片を探した。それはマリカが最後に彼に渡したもの——約束の目印だ。指先に触れた瞬間、木の温度