影を売る修道女は赦しを拒まない

影を売る修道女は赦しを拒まない 第16話「第14章」

蝋燭の炎が、頁の端を撫でるように揺れた。古い台帳は濡れたように黒光りし、頁の隙間から薄い匂いが立ち上ってくる。鉄と古紙と、消えかけた線香の混じった匂いだった。イレナは息を詰め、指先でその頁をなぞる。触れた指先に、微かに冷たい感触が帰ってくる——まるで影の縁が指の腹に残るような、羽毛の薄さの冷たさ。

蝋燭の炎が、頁の端を撫でるように揺れた。古い台帳は濡れたように黒光りし、頁の隙間から薄い匂いが立ち上ってくる。鉄と古紙と、消えかけた線香の混じった匂いだった。イレナは息を詰め、指先でその頁をなぞる。触れた指先に、微かに冷たい感触が帰ってくる——まるで影の縁が指の腹に残るような、羽毛の薄さの冷たさ。

「ここだ」と、アナベルが囁いた。彼女の声は乾いていた。薄手の手袋の先で示された欄には、小さな符号と日付、そして何人かの名が不親切に並んでいる。名はゴシック体のように硬く、けれどどれも空気を吸い込むと消え入りそうな文字だった。

「売却記録ではない。登録だ。『影の移譲』——そう明記してある」アナベルの指が、頁の真ん中で止まった。そこには誰もが持っている筈の「選択」が、証書のように扱われる図版が添えられていた。図版の漆黒は、蝋燭の光を吸い込み、そこから小さな動きが生まれる。像の輪郭が、まるで脈を打つように震えた。

イレナは息を吐いた。胸の奥が鋭く締め付けられる。選択を奪われた人々の名が、ここに「管理番号」として並べられている。彼女の能力は——当事者の証言を束ね、否定不能の合唱に仕立てる。だが、その度に奪われるのは、彼女自身の記憶だ。それは約束され、戒められている。力は救済を強制してはいけない。強制したとき、呪いは増幅する。

「公の場でこれを示せば、帳が裂けるかもしれない」ローザが言った。彼女は傷だらけの革手袋を擦り合わせながら、安定しない眼差しで頁を見下ろす。外では夜の町が微かな物音を送り、遠くで馬の嘶きがひとつ跳ねた。

「私が——」とイレナは言いかけて、止めた。喉の奥に何かが詰まる。強制してでも証言を引き出せば、瞬時に欺瞞は崩れる。だが同時に、自分の中の何かが煙のように消える。忘却は痛い。愛した人の顔が、呪符のように輪郭を失っていく。それを思うと、彼女の手がわずかに震えた。

アナベルがぽん、と台帳の縁を叩いた。「司法が目を向け始めるには、あなたの合唱が必要だ。否定はできない——人々の『声』がまるで一つに束ねられて、証書より確かな証拠になる。けれど、イレナ、あなたは知っているはず。強制すれば、影は暴走する」

「強制と、暴走。どちらを選べと言うの?」イレナの問いは、ほどよく冷たい。彼女は自分の信念を口に乗せるまでに時間を要した。「私は赦しを拒まない。けれど、赦しを与えるのを強制することはしない。それは私のやることではない。だけど——」言葉が途切れた。

足音が近づいた。鋲の音が石畳に当たり、断続的に廊下を渡ってくる。外部からの監視は厳しい。もしここで声を上げれば、官吏の刃が、あるいはもっと巧妙な網が落ちるだろう。時間はない。

「ロクスを助けるなら、私たちは選ばなければならない」ローザが短く言った。ロクス。名はここにも記されている。自分の影を買われ、移譲された少年。彼は今、円環区画の下水路の一つで息を潜めているという情報がある。時間が経てば彼は『選択』を失って、無感覚な従順に変わる。救いか、放置か。どちらが赦しの拒否で、どちらが赦しの強制か——イレナはそれを見極める必要があった。

彼女は頁に手を伸ばし、ゆっくりと息を吸った。外套の裾から影が伸び、石の冷たさを帯びて床に落ちる。その影を自らの掌に引き寄せるように、イレナは静かに唱え始めた。言葉は柔らかく、古い祈りに似ていた。影と声とが、ひとつの糸で結ばれていく。台帳の紋様が滲み出し、白い文字が闇の中で浮かび上がった。漆黒の絹で編んだような音声群が、部屋の空気を震わせる。

「——私たちは選んだ。私たちは、彼に言った。赦しを、拒まない。」複数の声が同時に重なり、しかし確かに個別である。個々の痛みと怒りが、一つの線に縫い合わされる。イレナはその中心に立ち、証言の核を成す。

声が強まるにつれて、彼女の頭の中に小さな空洞が出来た。最初は、今朝見た空の色が滑るだけだった。次に指先が、母の小さな木製の十字架を撫でた記憶が淡くなる。彼女は冷たいのに汗ばんだ掌で、自分の胸を押さえた。忘却は音もなくやってくる。言葉が形を失い、香りが糸のように切れていく。

「ストップ!」マルコが床に飛びつき、イレナの祈りを遮った。彼は荒い呼吸で、膝をついたまま彼女の手を掴む。彼の目は血走っていた。「これ以上は駄目だ! 強制すれば、あの呪いはここで跳ね返る。君の記憶が消えるだけじゃない——街全体に影の囚人が増える」

イレナの掌に残る冷気が、じわりと広がる。声の重なりはまだ続いているが、切れ切れになった。彼女はマルコの腕を見た。彼の指に刻まれた古い火傷の跡が、その瞳に映っている。マルコはゆっくりと息を吐いた。

「私は選ぶよ、イレナ。君を止めることはできないが、君を守ることはできる」彼は低く言った。周囲の空気が収縮する。アナベルとローザが互いを見た。廊下の足音はまだ近く、時間は残酷に限られている。

「どういうつもり?」イレナは震える声で尋ねた。忘却が差し込む前に、彼女ははっきりとした輪郭を求めたかった。

「君の代わりに、私が一つの記憶を預かる」マルコは言った。「我々は影を分け合う術を知っている。だが今は簡単に言おう。君が失うものを——私が取る。部分的にでも。君の灯火を消させはしない。私が盾になる」

彼の申し出は賭けだった。彼は自分の影を切り取り、イレナの影と触れさせることで、その一部を引き受けるつもりらしい。だが影の扱いは慎重であるべきだ。誤れば影の寄生が起きる。彼がそれを承知の上で手を出しているのが、イレナには分かった。

「自分で選んだのね」イレナの唇が微かに震えた。彼女はすぐに拒否しようとした。しかし、ロクスが下水路で息を潜めていると想像するだけで鼓動が早くなる。選択の放棄、それを見過ごすことは、自分が何のために祈っているかを裏切ることだ。彼女は深く息を吸い、目を閉じた。

「なら、頼む」イレナは小さな声で言った。そして、彼女は自分の掌から影の端をそっと外して、マルコの掌に乗せた。影は冷たく、粘着くように指の間に流れた。蝋燭の炎が揺れ、部屋の影がひとつ増える。

接触の瞬間、イレナは記憶の一片を手放した。母の笑い、冬の寝室に差し込んだ薄い光、幼い頃の歌——それらが、海の泡のように砕けて消えた。だが同時に、マルコの表情が変わった。彼の額に小さな皺が寄り、唇が震える。彼は一瞬、別の世界を見たように固まった。

「受け取った」マルコは低く呟いた。彼の声に苦味が混じる。彼の目は遠くを見ている。イレナは自分の名前を呼ぶときの音が少しだけ軽くなったのを感じたが、それが代償によるものか、救いの一部なのかは判別できなかった。

「行くわよ」ローザが言った。彼女は短剣を肩に掛け、外套を掴んだ。廊下の足音が深まった——官吏の巡回だ。四人は台帳を包み、火袋代わりの布で紐を縛り、静かに闇へ融けるように動き出した。だが歩き出した直後、アナベルが紙片を手に取って止まった。

「待って」彼女がささやく。手には台帳の端に挟まった薄紙。そこに、誰かが別れ際に残したらしい短い注記がある。インクはにじみ、古びた掌の汗で部分的に擦れていたが、尚且つ明瞭な言葉が読めた。

『原初は、捧げられた者の「意