黒架図書航路のルシオラ

黒架図書航路のルシオラ 第10話「第九章 地下砂漠への降下」

廃線は、昼の光すら飲み込むように長く伸びていた。鋼鉄の枕木は半ば砂に埋まり、枕木の隙間には古い背表紙が縦に差し込まれている。ルシオラの下部カタパルトを下ろすと、三人と数名の乗組員は細い貨物車に押し込まれ、歪んだレールに沿って滑り降りた。列車は息をつくように軋み、古いトンネルへと沈み込む。外套の裾に混じるのは、紙の匂いだけではなかった。乾いた砂と、記憶が擦り減ったような金属の匂いが混ざっていた。

廃線は、昼の光すら飲み込むように長く伸びていた。鋼鉄の枕木は半ば砂に埋まり、枕木の隙間には古い背表紙が縦に差し込まれている。ルシオラの下部カタパルトを下ろすと、三人と数名の乗組員は細い貨物車に押し込まれ、歪んだレールに沿って滑り降りた。列車は息をつくように軋み、古いトンネルへと沈み込む。外套の裾に混じるのは、紙の匂いだけではなかった。乾いた砂と、記憶が擦り減ったような金属の匂いが混ざっていた。

「本当にここで合っているのか?」ガロウが低く呟く。操舵席の怒りと疑念が、彼の声音にはいつでも張りついている。

「旧中央館の方角を示す古い索引があった」とユトは肩越しに答えた。索引眼が拾った断片を、彼は慎重に組み立てていった。だが、その声に含まれる確信は薄かった。ユトの頭の中には、ここ数日の使用で少しずつ剥がれ落ちていった幼い日の朝食や母の笑い声の端が欠けている。それでも眼前の任務は、失われた一頁を探すことだった。

ミナは貨車の隅で、手袋の指先で小さな金属片を弄んでいた。彼女が触るものは、いつもどこか生き物のように反応する。彼女の視線が天井の亀裂に落ちると、暗がりの向こうで壁の紙層が微かに光った。

「ここ、反応してる」ミナの声に、近くの乗組員が身をすくめる。彼らはミナのことを危なげなほどに信用していないが、誰もが彼女の能力に頼らざるを得ない瞬間がある。

列車はやがて大きな空洞へ抜け、廃墟の景色が開けた。そこは地下とは思えないほど広かった。目の前に広がるのは、砂漠とも形容できる光景だった。ただし砂と言うより紙の粒子が積もった砂丘で、風に乗って小さな頁たちが舞い上がり、空中で数秒間だけ言葉を浮かべては消えていく。光が届かないせいで粒は銀色に光り、頁面の文字が風の中で短く点滅した。

「……黒架の砂漠だ」ガロウが息を呑む。密輸時代に聞いた伝説が、そのまま景色になっている。

旧中央館は半分、砂に埋もれていた。塔は傾き、巨大な書架が斜めに突き出しては砂の壁に溶け込む。ところどころで、本が羽のように集まって渦をなし、まるで生き物がそこに住んでいるかのように形を変えている。開いた本からは、冷たい風が吹き出し、かつての読者の夢の断片が地面に刻まれた小さな山脈のように一瞬だけ立ち上がった。

「開かれている本が多すぎる。ここは、どれだけ放置されていたんだ」乗組員の一人が呟く。それに答える者はなく、皆それぞれの記憶を守るために沈黙を選んだ。

三人は步を進めるたびに、床の地形が変わるのを感じた。ユトは小さく舌打ちし、索引眼を起動させかけるが、砂漠の空気は彼の能力を揺らす。ここでは断片が浮遊し、どの記憶が誰のものか境界が曖昧だ。誤った結び直しは取り返しのつかない代償を生む。ユトは力を抑え、目で地図を追いながら足を運んだ。

「注意して。開かれた本が地形を造り変えてる」ミナが指差した先で、一冊の本がぱあっと光り、そこから噴き出した記憶の風が、周囲の砂丘を押し流した。たちまち小さな渦ができ、その中で人影のようなものが踊った。ユトはその影を見て、息を飲んだ。影は誰かが最後に抱いた記憶の情景を模している。開かれた本が怒りの炎を吐けば、周辺の砂が焦げ、喜びなら花が咲くように頁の情緒が地形を変えるのだ。

「これが……旧館の防衛の名残か」ガロウの声が震えた。その言葉に、みんなの気配がいっせいに硬くなる。

まだ歩みを進める前に、ガロウが足を止めた。彼の前に、古びた革の鞄が半分露出していた。留め金には手垢があり、誰かが頻繁に触れていたことを物語る。ガロウの指がその鞄の縁に触れた瞬間、砂の中から低い唸りが響いた。鞄に縫い付けられた小さなメモ帳がぱらりと落ち、中のページが風にめくられた。頁には、ガロウの若い日の航路と、見覚えのある名前と日付が記されていた。

「これ……」ガロウは動きを止められない。若い頃の彼が密輸で名を連ねた仲間たちの記憶の断片が、鞄の中で固まっていた。ページを指でなぞると、突然その場に別の光景が現れた。ガロウがかつて運んだという、封印された禁架の箱を地下の別の倉庫へ運び込む夜だ。彼の手は箱に触れ、仲間の笑い声、命の綱をつなぐような緊張、そして運搬先で見た監督官の影――そのすべてが、鞄の記憶として立ち上がった。

「おまえ……」ユトは眉を寄せる。ガロウの顔が一瞬で硬直した。彼の中にある罪の記憶が、砂漠の空気に触れて浮かび上がったのだ。ユトの索引眼は反応を抑えたが、断片の匂いは確かにそこにあった。ガロウはかつて禁架の本を運んだ密輸屋だった。だが告白は来るのか。

「隠してたんだな」ミナがさらりと言う。彼女はガロウを非難するでもなく、大きな失望を示すでもなく、事実を受け流すように言葉を放った。

ガロウの声は低く、刃のように研ぎ澄まされた。 「運んだ。金のため、仲間のため、逃げるため。だが、あの時――俺は本を閉じることしか出来なかった。箱は届けた。中身を見たら、もう手が震えちまった。誰かがあれを開いた瞬間、全部が駄目になる気がしたんだ」

「誰が開いた?」ユトは冷静に問い詰める。無駄な混乱を避けるため、真実が必要だ。

「覚えてない。本の声は誘導する。俺らが運んだ箱の中で誰かが泣き叫んだ。箱の中の本は、誰かの名前を求めていた。俺たちはただの運び屋だった。──それでも、俺は後ろめたかった」ガロウの眼が濡れているのをユトははっきりと見た。密輸屋の誇りはそう簡単に崩れない。だが砂塵の中で彼は丸裸の後悔を晒していた。

その瞬間、空気が激しく震えた。近くの大書架から、ひとつの背表紙が引き抜かれるような音がした。大きなうねりが砂を駆け抜け、いくつもの開かれた本が一斉に頁をめくり始める。記憶の風は渦を成し、人の姿を纏って襲いかかってきた。辺りの地形が瞬時に裂け、通路が閉ざされる。

「避難!」乗組員が叫び、皆が手に持てるものを抱えつつ走り出した。だが逃げる先の地形が、次の瞬間には別の風景に変っている。記憶が物理を変えるこの場所では、足元の安全など約束されていなかった。

砂の渦の中で、二つの影が衝突した。エルデの部隊が、白い監督官のマントを翻して出現したのだ。彼女の顔はいつもと変らず硬い。隊員たちは規律正しく動いているが、彼らの背後には追跡の疲労が滲んでいた。エルデは一瞥で情勢を把握し、すぐに号令をかけた。

「ここは危険だ。封印の余波が生じている。退避路を確保する!」だが彼女の声は、どこか震えていた。規則や条項では計れない現場の苛烈さが、彼女を押し戻している。

ユトはためらいながらもガロウの方へ走った。乱気流が二人を引き裂こうとする中、ガロウの足が崩れた焦げた頁に滑った。彼は倒れ、四肢を伸ばして耐えようとしたが、重い梁が真っすぐ彼の上へ押し下げられた。時間はゆっくりだった。ユトは止めを刺すように索引眼を起こしそうになった──だが、ここで使えば何を失うか分からない。ミナも瞬間的に駆け寄り、鞄を掴んで引こうとする。エルデは目を見開き、無言で二人に手を貸した。

「離れろ!」彼女の声は厳しいが、その両腕はためらいなく梁を押し上げる。監督官が敵の命を救う瞬間は、みな予想しなかった。隊員たちが驚きで硬直する中、エルデの肩に力が入る