雪鎖の巫女と百鬼城

雪鎖の巫女と百鬼城 第12話「第十一章 母の契文」

雪は瓦礫の隙間へと滑り込み、町の喧噪は遠くなっていた。赤い契文をたどる振動が崩れた屋根に残り、そこから零れ落ちる白が小さな文字のようにきらめく。雪と紙だけが、まだ真実を忘れずにいるかのようだった。

雪は瓦礫の隙間へと滑り込み、町の喧噪は遠くなっていた。赤い契文をたどる振動が崩れた屋根に残り、そこから零れ落ちる白が小さな文字のようにきらめく。雪と紙だけが、まだ真実を忘れずにいるかのようだった。

その中心に、紙の織り目でできた巨躯が立っていた。顔は切り貼りされた母の肖像でできていて、笑いかける口元からは古い日記が擦れるような息が漏れた。「ユキネ、お願い、私を斬らないで」——声は擦れているのに、確かにあの口調だった。胸の奥で、幼い頃に聞いた囁きがひどくはっきりと蘇る。

ユキネは短刀を下げた。刃は冷たい。左腕の感覚は薄く、掌の甲の薄紅の紋が胸の中で重く脈打つ。刻印の数は、彼女の中で冷たく数えられていた。母の手から嵌められた印、結び断ちを振るうたびに増える刻み。最初に刻まれたときから、もう随分と使ってしまった。今は残り二つ。刻印が肩まで達したら、刃はもう使えなくなると、ユキネは知っている。冷えは戻らない。刃の回数は、体の一部を差し出すことでしか補えない。

「借り物の声だ」トウマが低く言った。鉄輪の輪は彼の指先で微かに震えている。周囲を囲う結界は仮のものだが、今ここではそれで十分だった。

スズは鼻先で紙を嗅ぎ、少し顔をしかめた。「焼けた匂いだけじゃない。噛んだ跡と、消化の匂いが混じってる。誰かが食べて、誰かが奪い、誰かが書き換えた。この声は層を重ねられてる」

アサギは矢を肩で押さえたまま、唇を噛んだ。「城の印か?」

瓦礫の中、黒ずんだ一片が雪に埋もれていた。ユキネが拾い上げると、端は焦げていて、そこに薄く指の跡と、城の押印の一部が残っていた。古い帳面の一頁。トウマが表を拭い、声を震わせずに読んだ。

「白城サヨ 契文処理 焼却(移送済) 記録者:城印」——帳面にはそうだけが残されている。日付はあの日。役人の署名と、焼却の印。しかし、そこに添えられた別の小さな線が、トウマの眉を吊り上げた。「移送済」と押してある場所に、細い追記がある。字は乱れていて、誰かの指跡のように見えた。

「焼いたって聞かされていた」ユキネは小さく言った。「でも——」

スズが紙を裂け目に寄せ、唇を引いた。「全部が焼かれたわけじゃない。サヨは燃やすふりをした。あるいは燃やした頁もあった。だけど最も危険な頁は、燃える前に誰かの腹へと送られた。契喰いに食わせたの。そうすれば城は直接燃やせないと思ったんじゃないか」

アサギが鼻を鳴らす。「契喰いに預けるって、どういうことだ。隠すために食わせるなんて……」

スズは首を振った。「契喰いは紙を食べることで、その記録を自分の内へ取り込める。外見は食べた痕跡を残すけど、紙の意味は一時的に契喰いの中に宿る。持ち運べる。だがその『匂い』は、やがて消えない痕になる。追跡者がいれば、食べた者の居場所だって辿られる。サヨは焼くふりをして、いくつかを食わせ、残りを燃やした。けれど、城はそれを見逃さなかった。奪い、書き換えた」

ユキネの記憶が溶け出す。台所の小さな火、母の指先、指貫の冷たさ。サヨは、夜ごと何かを書き写していた。名を呼ぶことを禁じる小さな呪文を、繰り返していた。〈名を与えないこと〉——母はそれを徹底していた。名があると杭が拾う。拾われた名は、町の一片を鎖へと縫い合わせる。ユキネはその断片を幼い胸で理解していたが、本当の深さは知らなかった。

雪武者の胸に走る亀裂が、いつものように嘘を指し示す。白い割れ目の奥に、黒い線が何重にも見える。母の墨の繊細な筆跡と、誰かが乱暴に押しつけた城の印が互いに絡み合っていた。ユキネは目を凝らす。嘘の層は厚く、切らなければ本当の文字は現れない。しかし、刃で断つのは一度に一つだ。切り落とせば次の嘘が顔を出す。母の声を混ぜて、城の書き換えが乗っているもの——それを見つけなければならない。

「母さんは隠して、抵抗したんだ」ユキネは息を吐いた。「だけど、隠したことが誰かに都合よく組み替えられた。私を守ろうとして、町を縛る嘘を残してしまった」

トウマの目が硬い光を帯びる。「城は『表向きの守護』を作りたかった。四つの杭を一つにまとめるための土台を。声を集め、夢を刈り、名を消し、疑問を鎖に繋ぐ。つじつまを合わせるためには、誰かが差し出したことにしてしまえばいい。サヨはそれを阻もうとした。だが結果的に、城はやり方を変え、彼女の行為を“自ら献じた”ように見せかけた」

ユキネは短刀を右手で確かめた。刃の銀はいつものように冷たく、胸の奥の刻印が小さく疼く。残り二つの光――それを数えればいつでも冷たさが増す。刃の使いどころは、命を救う以上に重大だった。母の嘘だけを断たねば、母の本当の意図まで削ってしまう。

「慎重にやる」トウマが言う。「一つを切れば、その下から別の結び目が出る。焦るな」

ユキネは頷いた。決心は静かだった。母を奪われた怒りと、母を守りたいという希求が絡まる。彼女は一つの結び目を選んだ。雪武者の胸の黒い層の端。そこに、母が最後に残したらしい紙が差し込まれているのが見える。焼け跡と噛み跡の間に混じった一枚。ユキネは刃を抜き、鋭く結び目へと切り込んだ。

刃が走るたびに、冷たさが指先から肘へと広がった。雪の割れ目が開き、偽りの糸が紙細工のように弾けていく。白い破片が空気に舞い、本来の文字がゆっくりと顔を出す。母の墨の黒さが、雪の上で鮮やかに浮かんだ。

紙片の記された文字は短く、しかし重かった。

「第五の杭に名を与えるな。北峰、名を与えるな」

ユキネの胸が締めつけられた。ページの端に、母の小さな添え書きがあった。手元に戻した紙に指の跡がついている。焦げた匂いと、噛み残しの繊維。スズがそれを嗅ぎ、顎を引いた。「これはサヨの筆跡だ。でも匂いが変だ。どこか別のものが混じっている。城の墨と、誰かの体液の匂い。頁を食べた者と、頁を奪った者が同居してる」

アサギの声が低くなる。「名を与えるって、ただ名前を呼ぶってだけか?」

ユキネは紙を胸に押し当てた。幼い頃、母は何度も言った。「名前を呼ぶと杭は拾う。拾われた名は、町の罪を一つにする」その言葉の意味が、今は血のように重い。もし北峰に杭があって、そこに名を与えるとすれば——町のバラバラの怨念や隠しごとが一つになり、勝手な意思を持つかもしれない。母はそれを何よりも恐れていたのだ。

「だから私は名を与えないで」とユキネは囁いた。声は冷たかったが、迷いはなかった。「母さんは名を与えられる前に隠した。でも隠すことで、別の嘘を残してしまった。それを私は断つ。だが、名を与える行為そのものを阻まないと意味がない」

トウマが短く息を吐いて、肩を寄せる。「北峰へ向かうなら、城に残された嘘も剥がさないといけない。サヨが燃やしたとされる頁、食べられた頁、奪われて書き換えられた頁——全部を拾い集めるんだ。城はそれを一つにまとめようとしている。名を与えられれば、町の罪は一つになってしまう」

スズは小さな笑いを漏らした。「私の鼻は言ってる。噛まれた頁の断片は、まだどこかにある。だが注意して。食べられた記録には食べた者の意思が残る。第五の種は、そうして芽吹くことがある」

左腕の冷たさが、胸にぞくりと上っていく。刻印は一つ増えて