王女騎士

王女騎士 第17話「第十五章 断片の歯車」

夜明け前の光が、廃れた柱列の隙間から冷たく差し込んでいた。砂利道に残る足跡は昨夜の喧騒を告げ、風がひとつの音を運ぶ──薄い金属音。ミアは呼吸を調え、前世の夜回りで培った感覚を自分の肉に戻した。ここにあるのは、ただの遺物ではない。リサはそう言っていた。ミロの口ぶりも真剣だった。エリナは目を閉じて祈る代わりに、膝の上で拳を固めている。

夜明け前の光が、廃れた柱列の隙間から冷たく差し込んでいた。砂利道に残る足跡は昨夜の喧騒を告げ、風がひとつの音を運ぶ──薄い金属音。ミアは呼吸を調え、前世の夜回りで培った感覚を自分の肉に戻した。ここにあるのは、ただの遺物ではない。リサはそう言っていた。ミロの口ぶりも真剣だった。エリナは目を閉じて祈る代わりに、膝の上で拳を固めている。

「〈位環〉の断片だ」とリサが言った。たった一言だが、その声に含まれる解析の精度と覚悟が、周囲を沈殿させる。

彼らが見つけたのは、半ば土に埋もれたリングの破片だった。直径は掌ほど、表面には幾何学的な溝と、微細な歯車の痕跡が刻まれている。触れた瞬間、金属はじっとりと熱を帯びていた。リサがローブの内側から小さな計測器を取り出し、微かな脈振を探るように当てる。数値が跳ねた。

「…生体反応を、帯びている」とリサの指が震えた。「外部からの供給がなくても、内部に紐づいた記録がある。しかも、消費される側のサンプルを置くと、そちらのエネルギーが落ちる」

ミアはゆっくりと顔を上げた。疑い深さが身体の芯に残る。ここまで何度も「位」が物理的に影響を帯びていることを見てきた。だが実験で人を素材にするわけにはいかない。彼女は仲間の顔を見渡した。誰もが同じ線で震えている。

「試験は必要だ。これがどういうものか、わかった上で対策を練らなければならない」とサイムが言う。彼の声は確かだが、同時に冷たい計算を含んでいる。城塞奪還のときと同じだ。情報がなければ戦えない。

「代償がどれほどか、確かめたいだけだ」とカエルが低く言った。彼の大きな体が、文字通りの重さを場に落とす。戦術家としての彼は、数を知れば動ける。

誰が実験の対象になるのか──その問いは一瞬で場の温度を上げた。民衆を危険に晒すわけにはいかない。けれど断片の性質は、既に何かを吸い取っている痕跡を示していた。近くに倒れている野生の狐が、彼らが来る前には生きていたはずだと誰かが呟く。ミロは目を逸らした。

「私がやる」とエリナが言った。言葉に迷いはない。王女の面影は消えず、しかしそこには先刻の決意が宿る。「私が手を貸す。誰かが犠牲になるのなら、それは私が一番責任を負う者だ」

ミアはエリナを見る。王女の手は震えていない。だがミアは拒絶した。「だめだ。実験に民を使うわけにはいかない」──反射的な拒絶だった。彼女は「守る」と声にすることが何を意味するかを知っている。盟誓の盾は万能ではない。条件と代償がある。

「なら、私がやる」とリサが言った。薬師は自分の手のひらに、器具と覚悟を握りしめる。リサの役割は治療と解析だ。彼女は自分が一番向いていると目で告げた。誰もそれを止められない。

結局、野戦の経験から助けられた一人の老兵が名乗りを上げた。彼は前線で重傷を負い、仮の手当てしかされてこなかった。若い頃の傷跡が多く、兵としての誇りが顔に刻まれている。「戦場で、道具になるのは慣れている」と彼は笑ったが、その笑いは消耗していた。誰も強制はしなかった。彼の意志で、手首に古い布紐を巻き、断片の前に座る。

リサは慎重に断片を清拭し、小さな台座に据えた。計器は振幅し、断続的な音を立てる。ミロが遠目で口を結ぶ。彼の視線が断片の溝に釘付けになり、指先を舌で軽く濡らした。

「これが起動する瞬間、本当にエネルギーが動くのか」サイムが問う。

「動く」とリサは短く答えた。「でも、供給側の変化を観測しないと定量はできない。つまり──」彼女が老兵の手を取る。「あなたの同意を、まっとうな方法で得る必要がある」

老兵は頷いた。白い息があたりに溶ける。ミアは自然と前に出た。彼女の手には、いつもぶら下げているあの古い金属の徽章がある。前世の遺物と自分の転生を繋ぐ小さな円形の鍵。カエルがそれを見て、眉を寄せた。

「それ、何かを反応させるんだろう」

リサは徽章をちらりと見ると、解析用のライトで表面を照らした。微細な歯車跡と一致する断片の溝が、彼女の機器の画面上でぴたりと重なった。サイムが手を伸ばして資料の山をめくると、古い図面が一枚出てきた。そこには環状の回路と、按配された小さな鍵穴の図が並んでいる。徽章の形が、図の一つの鍵の輪郭とそっくり重なった。

ミロの唇が、やっと言葉を絞り出した。「それは…一部だ。鍵だ。だけど、この断片は単に鍵であるだけじゃない。使い方が──痛いんだ」

リサは計器の針を見つめ、ゆっくりと断片に触れる。瞬間、薄い金属の輪が振動し、空気の温度が変わった。老兵の体表に浮かぶ血管が微かに痙攣した。彼の顔が引きつる。

「来た」リサが低く言う。「吸われる」

計器の表示が瞬間的に跳ね上がり、老兵の胸の動きが浅くなった。ミロの顔が青ざめる。供給側──老兵の体内の生体指標が、明瞭に下がっていく。息の深さ、体温、筋肉が保つ電荷が、うつろに消えていくのが誰の目にもわかった。

「止める!」カエルの声が響き、彼は老兵の肩を掴んで引き離そうとした。しかし、断片は静かに、音もなく働いていた。供給はすでに繋がっている。老兵の手のひらが白くなり、視線がぼんやりする。痛みの代わりに全身が氷のように硬直していくのが、ミアの皮膚感覚にも伝わった。

ミアには選択肢がなかった。誓いは名を呼ぶことから始まる。条件は身体的近接と接触だ。彼女は古い癖で、まず言葉を整えた。喉の奥で「守る」とつぶやく。次に老兵の名を呼ぶ――彼が名乗ったのは、「イオス」。ミアは彼の手に自分の掌を置き、もう一方の手で自分の徽章を彼の手に重ねた。触れ合う手に伝わるのは、微かな熱と、盟誓の認証に必要な相互の同意。それは誓印がなくとも、肉体の接触で成立した。

「守る、イオス」ミアははっきりと言った。声は静かだが、周囲に響いた。盟誓が動いた。

感覚の移動は刃のようだった。老兵の胸を締めつけるようだった痛みや寒さが、ミアの腹の中へと流れ込む。彼女はそれを受け止めるために身体を引き絞る。目の前が白くなり、時間が歪んだように感じられた。イオスの顎がゆるくなり、目に生気が戻る。ミアは痛みを飲み込む。盟誓の盾は働く──だが、代償は即座だ。

まず、身体が一瞬で重くなった。筋肉に古い痛みが差し込み、関節の奥に小さな砂が入ったように動きがぎこちなくなる。ミアは足元の石にしがみついた。次に、視界の片隅に、断片的な光景が流れ込んだ。子供の頃に遊んだ路地の匂い、前世の同僚の笑顔、数え切れない細かな記憶の断片が彼女の脳から零れ落ちていくのを感じる。どれが消えるかはわからない。剥ぎ取られていく感覚に、ミアは抵抗するが、無力だった。

「ミア!」エリナの声が届き、彼女は手を伸ばした。ミアはそれを掴む余力がない。手の甲に、小さな刻印が浮かび上がるのを感じた。盟痕だ。金属のように冷たく、しかし皮膚の下で脈打つ。それは彼女にとって新たな弱点の印でもある。

老兵の息はやがて落ち着きを取り戻した。色の戻った頬を見て、ミアは満足と同時に深い恐怖に襲われた。彼の痛みが消えた代わりに、自分の中から何かが失われていったのだ。指先で脳裡を探ると、ひとつの名前が抜けている。タイトルも、旋律も、番号も──ミアは以前なら誰の笑い声か即座に指定できたはずの