魔王軍 第12話「第11章」
朝の光が燈ノ里の屋根をやわらかく撫でると、村は昨日の血の匂いを薄めるように動き始めた。焚き火の煙が立ち上り、子供たちの笑い声が遠くから響く。一方で、昨日戦った人々の肩はまだ丸く、疲労と安堵が混じった沈黙を抱えている。
朝の光が燈ノ里の屋根をやわらかく撫でると、村は昨日の血の匂いを薄めるように動き始めた。焚き火の煙が立ち上り、子供たちの笑い声が遠くから響く。一方で、昨日戦った人々の肩はまだ丸く、疲労と安堵が混じった沈黙を抱えている。
佐原悠は、燃え残った防具を整理する雑用の列に並びながら、自分の手を見た。手首の小さな鉄片──ドッグタグに似た刻印のある金属片は、いつもより冷たく、微かにだけ脈打つように感じられた。近くでメディアが器具を並べ、何かを測定している音がする。今日もやるべきことがある。記憶の空白がそこにあっても、仕事は待ってくれない。
「悠、来い。これを見てくれ」
メディアの声はいつもより硬かった。彼女の指先には、昨夜の撤退の際に回収した資料の断片と、小さな黒ずんだ金属片があった。金属は弾丸の破片――だがただの破片ではない。表面の刻印が、彼の手にある金属片と一致することを彼女は示した。
「合金の成分解析はまだだ。だが磁性と振動応答が通常の魔力反応とは違う。物理的な共鳴特性を持っている。何かに共振するようにできている」
メディアは淡々と並べられた器具を見下ろし、紙片に鉛筆で走り書きをしていく。ガルドがそばで腕を組み、額にしわを寄せる。ハルは机の端に肘をつき、黙って断片を見つめている。彼の目は重い。
「ハル、どうだ。お前の家の図面と照合したか?」
ハルはゆっくりと顔を上げた。痩せた頬に浅い痛みが走る。
「完全一致とは言えない。だが、同系統の手法で刻印を入れることは確かだ。うちの家の古い図面にも、同じ『刻印位置のための凹み』が描かれている。製作炉の温度管理や精錬の手順、それに図形の刻み方まで。だが、この合金の成分には、うちの記録にない添加物がある」
悠は紙片を手に取った。文字は古い書体でまばらにしか残っていない。だが、ある行がはっきりと読めた。
「──争いの枢、收集器。感情振動を増幅し、回路を経て自己増殖を促す」
その四文字が、胸に钝い衝撃を落とした。争いの枢──。何の比喩でもない、装置の名を示す実直な言葉だ。悠は首をすくめ、言葉を飲み込んだ。
「誰がこんなことを書いたんだ?」
メディアが答える前に、テントの入り口が開いた。灰色の軍服を整えた男が入ってきた。彼はこの一帯の人間側司令官、中原司令官だ。先日の戦闘で倒れかけた彼を取りいれ、ここに匿ったのは数日前のこと。今では中原自身が、燈ノ里と第十三中隊の間で外交的な橋渡しをしている。
だが中原の顔には以前と同じく疲労と何かを引きずる影があった。彼は資料を見て、ゆっくりと唇を震わせた。
「それは……古代の研究記録の一部だ。俺が確保したものに一致する。あの頃、我々も研究の残滓をいくつか押さえた。だが、表に出したら大勢が動くだろう。だから隠してきた」
ガルドが鋭く切り返す。
「隠してたってお前はあいつらの側についてたんだろう? それで何を言える」
中原は目を逸らさずに答えた。声は低く、だが確信を含んでいる。
「俺も知っている。等しく責任がある。現場には、これがどう使われているかを示す証拠があった。弾丸の刻印、塔のリング、歌の調律。三つが揃えば、装置は起動する」
リリィが小さな手を胸に当て、目を伏せた。彼女の歌がその三つの一つであることは、未だに彼女自身が受け止め切れていない。悠はその様子を見て、すぐに横へ進み、そっとリリィの肩に手を置いた。触れると、彼女は目を上げて安心したように微笑む。だがその瞬間、悠の胸の奥で何かがきしむ感覚があった。記憶の切れ端が一つ、また消えた──と直感した。
「悠?」
ガルドだ。彼の声に悠は我に返る。手の中の紙片に目を戻した。文章の末に、さらに小さな注記があった。字はかすれ、誰かが後から付け加えたように見える。
「……『供給源は感情。長期間の紛争は供給保証となる。回路は自己補強し、……』」
その先は読めない。だが意味ははっきりしていた。戦争を続けさせるための仕組み。――人為的に、人の負の感情を集め、それをエネルギーに変える装置。悠の腹に冷たいものが落ちる。
「それが本当にあるなら、我々のやってきたことの意味が変わるな」
ハルが苛立ち混じりに言った。「俺たちは弾丸を作る家系で、金のために仕事をした者もいる。だがそれがそんな装置のピースだなんて、思わなかった。弾丸は弾丸として使われると思っていた。誰がそんなものに手を染めた?」
「人は、都合のいい説明を好む」中原がぼそりと言った。「古代の学者か、現代の権力者か、あるいはその両方か。だが重要なのは、装置は輪になっていることだ。塔が立ち、歌が流れ、弾丸が散らばる。三つの要素がリンクしてエネルギーを増す」
メディアがパイプのような器具を悠に差し出す。小さな試験管には、昨日拾った弾丸の残滓から採取された粉末が入っている。彼女は悠の手の金属片を手のひらに置き、なにげなく擦った。金属片はほんのわずかに熱を帯び、淡い光を放った。
「反応するな」メディアの声は驚きを含んでいた。「この金属は……一緒にあると、微弱な共振を示す。周波数の同調が起きる。オルゴールの旋律や、特定の音域の声で増幅する」
リリィは小さな唇を震わせる。彼女の歌声を思い出した瞬間、悠は不快な絵が脳裏にちらつく――戦場で一瞬、全員の目が鋭くなる光景。彼女が歌うと確かに人々は落ち着く。だが同時に、ある者の顔は硬く変わった。歌は両義を持つ。
「こんなことを隠していたのか。誰のために?」
ガルドが拳を握りしめる。憤りは正当だ。仲間たちが犠牲を払って守ってきたものが、誰かの陰謀の道具にされている可能性が現実味を帯びる。
中原は視線を落とす。彼の声は、初めて弱さを見せた。
「俺も知らなかった。だが上層に情報を上げたとき、返ってきた言葉は『管理下に置け』だった。つまり……利用しろ、と。俺はそれを拒んだ。だが拒んだことで、俺は標的になった。俺が懐柔されたのは、そういう経緯があった」
その言葉は、皆を黙らせた。中原は本当に味方なのだろうか。懐柔された者は、時に二重の手を持つ。だが今は協力が必要だった。悠は自分の中で秤を動かす。疑念は残るが、情報は彼らを前に進ませる。それだけは確かだ。
「ここで立ち止まるわけにはいかない」悠は言った。声は思ったより落ち着いていた。「私たちはこの村を守るために何をしたかを知っている。だが同時に、これが世界に広がれば、同じことがどこでも起きる。まずは証拠を集め、製造ルートを断つ。そのためにハルの家と、あなたの情報が必要だ」
ハルは深く息を吐いた。顔の陰で、小さく笑ったように見えた。「やるしかねえか。俺にできることはやる。うちの炉の場所も、昔の図面も、まだ使える。だが覚悟しろ。工房の跡を辿ると、連中の端緒に触れることになる」
「連中って誰だ?」ガルドが尋ねる。
メディアが紙片の破れ目に指を押し当てる。「結社、古王の残党、あるいは独立した職人集団。複合的に絡み合っている。いずれにせよ、操る側の存在がいる」
悠は空を見た。空は澄んでいて、遠くの山並みに白い雲が乗っている。しかしその澄みの下で、何か大きな機構が静かに動き始めていることを感じる。彼は自分の失った