迷宮番

迷宮番 第17話「第十五章」

夜の管理室はいつもより灯りが多かった。卓上のランプ、棚のランプ、そして小さな浮遊端末エールが放つ淡い青光――それらが重なって、古い机の上に地図と紙束、金属の小箱を浮かび上がらせている。斎藤誠は登録印を胸ポケットに入れ、机に肘をついた。指先に残る微かな傷が、昨夜の巡回の痕だ。

夜の管理室はいつもより灯りが多かった。卓上のランプ、棚のランプ、そして小さな浮遊端末エールが放つ淡い青光――それらが重なって、古い机の上に地図と紙束、金属の小箱を浮かび上がらせている。斎藤誠は登録印を胸ポケットに入れ、机に肘をついた。指先に残る微かな傷が、昨夜の巡回の痕だ。

「ここから動けないのはつらいな」と、誠はエールに向かって苦笑した。エールはくるりと回転して、にわかに高い音で「ぴー」と鳴らす。それは彼なりの励ましらしい。

「今日は分散作戦だ。エール、ログの分割と暗号化支援、頼むよ」

エールは小さな光の輪を描いて、管理盤のそばへ来た。管理盤のスイッチが静かに応え、誠の目の前に、迷宮の内側を示す幾何学的な図形と、先日の巡回ログの一覧が浮かんだ。登録印は机の引き出しにある銀の箱に入っている。誠は箱を開け、朱色の印を取り出して掌に置いた。印は冷たかった。

「条件は全部満たしてる。管理室内、登録印所持、そして今朝の巡回ログは記録済み。操作、開始する」

誠は印を印座に押すと同時に、頭のどこかで数行の巡回メモを脳裏に送った。管理盤はそれを認証し、作業を許可した。だがその瞬間、胸の内に重さが広がるのを感じた。いつもの小さな代償が、呼吸の端に刺さるように届いたのだ。

「疲労感……来るな」

彼は短く吐息を漏らした。管理盤を使うたびに来る、鉛のような重さだ。代償は小さいが累積する。今はそれを気にしていられない。

エールは嗚咽にも似た電子音を立て、ログの一部を視覚的に引き出した。映像は断片化していた。迷宮の奥で拾った低周波ノイズ、リナのチームが残した手書きの位置メモ、密猟者の追跡ルート――それらを誠は小さなパケットに分け、町の複数箇所に保管する方法を設計していた。物理媒体、口伝、複写帳――多層分散。換源院のように資金と人員を動員できる組織でも、同時にすべてを掴むのは難しい。狙われる前に散らすのだ。

「まずはミカの店、商店街の金庫に一部。クルムには古い番人の石碑の内部に暗号化した紙を埋めてもらう。リナの所属ギルドには読み取り専用の写しを預け、住民会の合意書は町役場の謝意室に置く。エールはデータの小片を十個に分けて、それぞれに仮名と位置のタグを打て」

誠が命じると、エールはぴょんと跳ねて光を撒き散らした。その光が紙を撫でると、文字が複雑に変換される。エールは観測端末であると同時に優れた変換器としての機能も持っている。だが、管理盤が作る「真正の署名」は管理室からでなければ意味を持たない。だから最終の封印だけは、ここで彼が行う必要がある。

「分散したら、物理的な『鍵』も作る。赤い鍵のことはまだ伏せておく。あれがあると噂が加速するから」

「ミカに全部任せるのはリスクです」とクルムが低く言った。古いゴーレムの目が、薄暗い部屋で冷たく光る。「あなたは、ミカの家系を知っている。遠縁の者でも、換源院に接触したとなれば、二重の危険が増す」

「それはわかってる。でも、信用の鎖も切れない。換源院は人の弱みを突く。カネ、借金、病気、古い赦しの約束――どれでも利用する。ミカに背負わせるしかない事柄もあるが、同時にミカを孤立させるわけにはいかない」

ミカは机の隅で、震える手を拭いていた。彼女の目は赤く、奥に何か蓄積された痛みが見える。誠は彼女のそばに立ち、無言で小さな紙包みを渡した。中には家系文書の写しと、役所の許可証のコピー、そして誓約文――替えのない記録。ミカはそれをぎゅっと握りしめた。

「俺は……行方不明の印章なんて、もう取り戻せると思っていなかった」と彼女はつぶやいた。「でも、あの鍵の噂が出てから、最近、親戚から変な連絡が来たんです。『役所の昔の仕事を調べてほしい』って、何度も。家のある者は借金が、ない者は借金の肩代わりを頼まれて……」

誠は答えず、ただ目を細めた。言葉にしなくてもわかる。小さな町の噂は遠くの親戚を動かす。換源院はそこへ金を垂らす。目先の恩恵で動く者は、罪悪感のない手先として利用される。

そのとき、管理室の外で木製の扉がかすかに軋む音を立てた。誠は無言で立ち上がり、闇に目をこらす。外は舗道の灯りしかない。だが、灯りは消せる。誠はゆっくりと印を掌に押し、管理盤のウォッチリストを呼び出した。

「巡回ログの再確認。今夜は外周三巡ね」

「はい」とリナがすぐに立ち上がる。若い冒険者の顔は堅い。彼女は誠を一瞥し、「任せて」とだけ言った。誠は彼女の背中に信頼を感じる。

三人が外へ出ると、夜風が迷宮口の石畳を撫でた。誠は巡回の途中で、小さな痕跡を見つける――靴跡、鮮明なグローブの擦り傷、そしてシンボルマークを薄くこすった痕。換源院の蒐集部隊が使う特殊な道具の痕だ。誠は息を飲んだ。

「やられてる」

リナがすぐに顔をあげる。「誰か、侵入したのね」

彼らは走り回り、周辺の倉庫や物置を調べた。商店街の若い者たちが警戒に回り、クルムは太い手を振って小さな地面の振動を探知した。だが侵入者は巧妙だった。何も見つからない。ただ、管理室の一部がかちりと開けられたような跡があり、そして――

ミカの名を呼ぶかすかな声が、遠くから届いた。

「ミカ、ちょっと。裏に来て」

誠たちは無言で駆け寄る。ミカは表通りの裏口に立っていた。顔は青ざめ、手元に携帯していた小さな紙袋が空っぽなのを見せた。彼女の足元には、浅い足跡が三つ、石畳に残っている。足跡の横には小さな金属片。よく見ると、それはエールが変換した暗号化済みの紙に使うボルトの一部だった。

「誰かが、ここに来て、エールの一部データを狙ったのよ」と彼女は震える声で言った。「でも、何も取っていない――多分、罠。けれど、紙袋が空っぽなの。中に入れておいた写しが、消えた」

誠の脳裏で冷たいものが流れた。換源院が直接動く前兆だ。もっと悲しいことに、足跡の先端に残された小さな手形が、見覚えのある指の関節の形で微妙に似ていた。誠は瞬間的に思い当たった。家族の中に、返事をしない遠縁。ミカの顔が一瞬、さらに締まる。

「あの人、カズマって名前だ。遠縁の……」ミカが言葉を詰まらせた。

「カズマか」と誠は低くつぶやいた。彼の記憶のどこかに、ミカが以前に語っていた遠縁の話の欠片があった。カズマは町の外で工事宿を運営していたという小話が、曖昧にあった。だが今はそれがどう関わるか分からない。

「追う」とリナが言った。誠は首を振る。

「今は追ってはダメだ。彼らの狙いは情報だ。追えばトラップに嵌る。まずすることは、残されたデータの置き場を変えること。分散を即時で二重にして、偽の写しをあえて残しておく。換源院は本物だけを欲しがる。見せ物の偽物を与えて撹乱させる」

だがその言葉の端に、誠の胸の中で小さな疑念が芽生えた。もしカズマが本当に協力者だとしたら、ミカの家族と彼らとの間に深い事情がある。単純に叩けば済む問題ではない。誠は管理者としての倫理と、友人としての情――どちらも守らねばならない。管理盤の禁止事項がある。外部の者を強制的に支配することはできない。彼は冷静さを保ちつつ、仲間の足並みを整えた。

翌朝、町外れの小さな茶屋で、ミカとカズマは向かい合って座っていた。カズマは年相