聖女薬店

聖女薬店 第14話「第一部幕間」

大理石の床に、雨の跡のような黒い円がひとつ残っていた。高い窓から差し込む午後の光は議壇の中央に置かれた古い木箱を白く照らし、箱の蓋を開けるとそこには、港町の薬屋から届いた小さな包みと、薄い紙の書類が折りたたまれていた。

大理石の床に、雨の跡のような黒い円がひとつ残っていた。高い窓から差し込む午後の光は議壇の中央に置かれた古い木箱を白く照らし、箱の蓋を開けるとそこには、港町の薬屋から届いた小さな包みと、薄い紙の書類が折りたたまれていた。

「リリア・フォルテか……港町の新参者だな」

院主レンハルは皺の深い手で書類を開き、中の文字を目で追った。筆跡は端正だ。三項を明記した調合処方書が整然と記されている。成分、温度、時間――それらがひとつの列に並び、署名の下に小さな丸が描かれていた。丸の横には、乾いた赤い染みのような小さな印。差出人は薬屋の少女であるらしかった。

「処方書か。書面がある。学術的にはまずいものではないな」

研究長マールが布をめくり、包みの中身を慎重に取り出した。小さな赤い瓶が現れた。陽に透かせば、瓶の内側で薄い渦のように光が踊る。存在そのものが、ここに呼ばれた理由を雄弁に語っている。

「色は古典的な触媒残滓に似ています。だが、この程度で完全に同定できるわけではない」

マールの言葉に、若手のメイラがすっと前に出た。手に小さな検体袋を持っている。港町から持ち帰ったという、治療後の包帯の切れ端。遠目にはただの繊維だが、顕微鏡で見れば微量の生体反応が残滓として確認できる。メイラの目が、わずかに光った。

「リリアの処方は書面の三項を満たしています。しかも保存因子として赤い瓶が用いられている。条件的には『調合視』が発動し得る書面です」

「調合視のことを、よく理解している者か?」院主が問い返す。レンハルの声は静かだが重い。恵果院にとって、調合視は単なる奇術ではない。長年、王都の繁栄を支える聖痕の管理に関わってきた彼らにとって、それは均衡を保つための工具であり、時には刃ともなった。

「私はデータで追った者です」メイラは答えた。「だが、実際に患者と物質を同時に触れて視られたものを、私はまだ直接には見ていません。理論はある。だが実体験は別です」

テーブルの端に座っていた廷吏ソラールが鼻を鳴らした。「実験ならこちらでやってみればいい。口先だけで持て囃される技術は多い。問題は、それが何をして、どれだけの代償を伴うかだ。代償が甚大なら、王都の政策そのものの是非に関わる」

「代償とは?」マールが問いかけると、メイラは小さく息を吸った。

「報告では、使用ごとに直近の一日の記憶断片が消える。調合に用いた素材は一部が別物化して再利用不能になる。そして、身体的な瘢痕が右腕に現れ、感情の鮮度が鈍るという。学術記録にも類例はありますが、今回は処方と保存因子が新しい。実際の効果と代償の均衡を、慎重に見極めねばなりません」

レンハルの眼差しは赤い瓶に戻る。光の中で、瓶の液体がまるで呼吸しているかのように揺れた。恵果院の古い書庫には、聖痕儀式に使われた触媒の名残を記した羊皮紙が埃を被っている。そこには、かつての祝福のために用いられた「生命のしるし」などと呼ばれる物質の断片についての記録がある。長い間、それらは祝福の証として扱われ、同時に制御すべき資源でもあった。

「この瓶、あるいはそこに含まれる成分が、儀式の触媒の断片であるという可能性を排除できない」

レンハルの穏やかな宣告に、一瞬の静寂が訪れた。廷吏ソラールの顔が硬くなる。

「もしそれが儀式と関係するならば、我々の管理下に置くべきだ。王都の延命に関わる技術は、安易に外へ放たれるべきではない」

「安易に取り上げれば、彼女は抵抗し、町は反発するだろう」メイラが静かに言う。若さと怒りの混ざった声だ。メイラは恵果院内部でも、儀式の維持と犠牲となる地方との間に深い倫理的溝を感じている一人だった。

院主は掌を組んだ。「だから我々は、まず観察し、協力を装う。招致だ。リリア・フォルテを王都へ招き、研究という名目で手を貸してもらう。公開の協業が最も摩擦が少ない。だが同時に、我々は情報と資料を掌握する――それが現実だ」

廷吏は眉をひそめた。「掌握、か。お前はいつも温情を説くが、結果的に王都の安定を守るのは冷徹さでもある。観察と協力で済まぬ者には強制を。だが、今回は前線の評判を考える必要がある。暴力的な介入は更なる病の広がりを招く恐れがある」

議場の隅、小さな燭台の明かりに照らされた紙の端に、古い羊皮紙の写しが広げられていた。そこには潰れかけの印章と、かつて「門守」と呼ばれた一族の名が小さく刻まれている。先日の港町からの別の小包にあった破れた革の首輪の写真。レンハルがそれを指差した。

「この名簿に、同じ紋がある。門守というのは儀式に連なる護衛を務めたと伝えられている。だがそれ以上に重要なのは、その血筋が触媒と『相性』を持つ、という記述だ。もしそれが正しければ、港町の少年――マルコという者の存在は、我々の計画にとって危険であると同時に、利用可能でもある」

マールの眉が上がる。「利用? 我々は人を道具にするつもりか」

「道具という言葉を避けるならば、彼の血筋は安全弁たり得る。触媒と同期させ、儀式を制御する役割を担えると古文書は示す。ただし、その対価は本人の生命力に影響を及ぼす可能性が高い」レンハルの声は沈んだ。古い記録はいつだって冷酷な選択を促す。

メイラが顔をしかめた。「我々はそれを許すべきではありません。恵果院は人民のための研究機関であり、王都の繁栄は人々の犠牲の上にあってはならない」

「だが現実はどうか」と廷吏が割って入った。「王都の安定が崩れれば、地方は戦乱に巻き込まれる。恵果院の介入がそれを防いだ歴史もある。リリアの治療が外へと伝播し、儀式の効用を脅かす可能性がある以上、我々は対処せねばならぬ」

議論は平行線をたどる。声が上がり、沈み、また別の論点へと移る。だが会議の空気はひとつの方向へ向かっていた。どの決定を下しても、そこには倫理的な代償が伴うことを全員が理解している。

「では決定を取りたい」レンハルが結論を促す。「まずは招致。表向きには研究協力とし、彼女の調合理論と赤い瓶の成分を共同で解析する。内部には二種の班を置く。一つは公正な解析班、もう一つは監視と資料確保の班だ。第三に、門守の血筋については、資料を精査し、マルコ本人を保護下に入れる。『保護』という名で接近すれば、彼の機会を奪うことなく我々は事実確認ができる」

メイラは一度息を吐くと、顔を上げた。「そのやり方が、彼らの信頼を壊さないことを祈ります。それでも、私が同行して彼女に直接会いたい。研究者としてではなく、一人の人間として話がしたい」

レンハルは少し微笑んだ。それは優しさと決意が混じった表情だった。「頼むとしよう。だが注意せよ。恵果院とは、複数の声を持つ機関だ。あなたが出会う者のなかには、目的が純粋な者もいる。だが、純粋さだけでは成し得ぬ歴史も我々は背負っている。真実を知ることは、時に変革の第一歩となるだろう」

会議が終わりに差し掛かった頃、メイラはそっと自分の右腕を見た。そこには、淡い白い瘢痕のようなものが、判然とではないが確かに浮かんでいる。若き研究者の身体にもまた、過去に知識を使った者の痕跡が残る。彼女はその手を握りしめ、決然とした顔をした。

「招致の名目は研究と保護。だが我