村勇者 第6話「第5章」
徴発の朝は、泥まみれの足音と怒号で始まった。村の広場に集められた人々の顔は赤く、唇は震えている。大村清が持つ帳面の端が震えるほどの緊張感が空気を引き締め、誠はその中心で呼吸を整えていた。腰に抱えた火かき棒は、いつものしわがれた木よりもひんやりと重い。前世の癖で、指先が棒の節を確かめるように撫でた。
徴発の朝は、泥まみれの足音と怒号で始まった。村の広場に集められた人々の顔は赤く、唇は震えている。大村清が持つ帳面の端が震えるほどの緊張感が空気を引き締め、誠はその中心で呼吸を整えていた。腰に抱えた火かき棒は、いつものしわがれた木よりもひんやりと重い。前世の癖で、指先が棒の節を確かめるように撫でた。
「徴発は税とは名ばかりだ。若者を連れ出し、作物を掠め取るだけだ」誰かが叫ぶ。対峙するは領主の家臣三十余。革鎧に身を包み、表情の薄い長柄の隊長が小さな箱を掲げると、そこからちらりと青い札が覗いた。朝日に透けたその薄い瑠璃色は、村の胸に小さな冷えを落とす。
リオは誠の肩に小声で息を吹きかける。「箱の匂い、見覚えあるだろ。倉から出てたやつだ。奴ら、やる気満々よ」
茜は鍛冶屋の前掛けをぎゅっと握りしめていた。額の薄い汗は、怒りを押し留めるための努力の跡だ。誠は茜を見ると、口元で軽く頷いた。彼女は頷き返し、木槌の柄をなおした。
大村清が前に出る。低く、だが確かな声で言った。「我らはこの村の存続を願う。徴発の明細を事務的に示せ。若者と食糧の量を、法に照らして示せ」
隊長は鼻で笑って見せる。「命じられた通りに来ただけだ。命令は上からだ。上の者が言うならば、我々はそれを運ぶ」
だれもがその「上」をうかがった。誠は心の中で、前回見た徴発所での青い札の発光、そしてそれが魔物を呼ぶ性質を持つという感触を反芻した。村の外に出られない自分にできることは何か。守るのは村だ。だが守るための手段は限られている。
「暴力は得策ではない」誠は声を出した。周囲のざわめきが一瞬おさまる。「食糧の運び出しは、混乱を生む。安全に手渡していただければ、こちらも協力する。ただし……」彼は言葉を切って、背後の流し場に目を向ける。何百というバケツが壁際に並んでいる。消火や応急の準備だ。誠は前世の訓練を思い出す。水の流れ、人の動線、重心の取り方。小さな改善で被害は半分にできる。
だが、その声は領主側には通じなかった。隊長の横にいた若い家臣が、藍の札を指でなぞるように見せた。「上からの指示だ。協力がないなら強制する」
その瞬間、村の端でひとつの悲鳴が上がった。鶴小屋の方角だ。群がる人々の向こう、低くうなるような声が重なる。誠の体は反射的に動いた。詰めて置いた水桶を飛び越え、茜とリオがそれに続く。群衆が騒然とする中で、小型の影が闇から音もなく滑り込んだ。猫ほどの大きさだが、背は高く、ぬれた黒い毛並みが光を跳ね返す。目は瑠璃のような青く、牙は細く尖っていた。家禽に襲いかかる。村の犬が吠え、子どもが泣く。
「夜行性だ。隙を突いてくる」茜が息を詰める。リオは倉の陰から、小さな結晶片の残り香を嗅いだ日のことを思い出す。徴発所で見た青い札と、今この目の前にいる影の瞳の一致。青い光が魔物を呼ぶのだと確信した。
兵も引き金に手をかける。ここでただの衝突が起きれば、それは村全体に破壊をもたらす。誠は考えた。護村の焔は、村内でしか使えない。発動には条件があり、使うたびに代償がある。だが今、目の前の人々を守る場面は、「護られる者」が明確に存在する。村内である。火かき棒は誠の手にあった。彼は選択肢を天秤にかけた。もし何もしなければ、青い札を掲げた者たちは徴発を強行し、魔物はさらに侵入を繰り返す。だが使えば、自身に重い代償が降りかかる。だれか一人の記憶が薄れるかもしれない。身体は老いる。感情が鈍る。誠はその寸前のところで、茜の顔を見た。彼女の瞳には恐れと信頼が混じっている。
「誓いの言葉は、村とここにいる者のために」「村の範囲内で」「護られる者がいること」——彼は心の中で、そして小さく口の端から三度確認した。茜は静かに、火かき棒を差し出すように手を伸ばした。誠はそれを受け取り、地面に棒の先を突き刺す。乾いた土が固い打撃音を立てる。
「ここで誓う。鶴見村とここにあるすべての命を、我が焔にて守らん」と誠は低く唱えた。言葉は古風でも呪文でもない。ただの誓い。しかし、火かき棒が土に触れた瞬間、空気が違った。温度がふっと上がる。匂いが変わるのを誠は感じた。
初めに現れたのは、匂いだった。焼けた薪と古い鉄、そして湿った土が混ざったような匂い。次に視界が揺れ、誠の前に薄い橙の光の糸が立ち上がった。それは丸い輪となり、ゆっくりと広がる。輪の中の空気は乾いて澄み、静寂が濃くなる。火にしては痛くない、護りの火だった。まるで夜の寒さを切る布のように、輪は人々の輪郭を包む。
「みんな、中に入って!」誠は叫ぶ。子どもたちが茫然としながらも走り寄り、老人たちも寄せ集められる。家禽は鶴小屋へ押し込む。護りの輪は、噴き上がるようにして、群れを囲む。魔物は輪の端で立ち止まり、どうしたらいいかわからないかのように鳴く。そこには攻撃の痕跡が残らない。誠はそれを確認して、胸の奥で小さく息を吐いた。焔は能動的攻撃を行わない。周囲のものを焦がさず、侵入を阻むだけだ。家臣たちはその光景に一瞬怯み、矢を下ろした。
だが、そう簡単に混乱は終わらない。隊長は舌打ちして隊列を整え、棍棒で輪の外側を叩いた。護りの火は侵害を許さないが、それは攻撃を返す力を誇示するものではない。誠は、ここで火を攻撃に回せば、能力の禁止に触れる。彼は誓いを破れない。代わりに、彼は前世で培った訓練を活かし、非致死の方法で兵の圧力を削る。
「水だ! 桶をつないで!」誠は声を張った。人々は即座に動く。水の列ができ、腰を落として三人がかりで一列のバケツを回す。誠はその動線に手を入れ、ホースの代わりとなる棒の使い方を指示した。煙れば消し、延焼しそうな茂みは先に刈り取り、既存の藁を濡らして帯水帯をつくる。村の形成した防火線は武器ではなく、救済の網だ。兵たちはそれを見て、叩き潰すべき「対象」ではなく、人が生きるための努力として戸惑う。
茜は身を低くして若者たちに防具を配る。木の盾を即席で金具を通して強化し、首に巻く布を濡らして即席のマスクとする。リオは隙を見て徴発の箱の紐を切り、青い札をひとつ床に落としたが兵に見つかり、肩をつかまれる。そこへかすかな風が吹いた。誠は棒に触れると、輪の火がわずかに震え、茜の背に小さな暖かさが流れた。
魔物はやがて退いた。家臣たちも退いた。護りの焔は、言葉どおり村を守った。群衆の中からは歓声が上がり、子どもが飛び跳ねる。だがその歓声は、すぐにある種の沈黙に変わった。誠の身体に何かが訪れていたからだ。
手の甲に皺が増え、指の節が白く浮き出る。誠はその感触を感じ取った。胸の奥が重い。椅子に腰を下ろすと、膝の動きがぎこちなく感じられた。茜が慌てて近寄り、額をこすって声をかける。「誠さん、大丈夫か? 顔が……」
鏡代わりの浅い水面に顔を覗き込む。頰の線が少しだけ刻まれ、白髪が一筋だけもみあげの辺りに混じっていた。誠はそこで理解した。代償が、すでに来ている。小さく呟いた。「年取ったな、ちょっとだけだが」
それでもその老化は時間で戻ると大村清が慰めるように言ったが、誠にはそれだけではなかった。護った者の一人が、明確に何かを失っていたのだ。幼い春(はる)という名の女の子が、誠の肩にすがりつきながら、ぽつり