罪冠の和平王

罪冠の和平王 第4話「第3章」

泥雨が町道を磨いた翌朝、行商の屋台が早々と軒を並べる前に、セレネは捕縛されていた。王都から来たという疲れた布の裂け目に家紋が半ば泥を被っている。彼女は顔に皺を寄せずに、むしろその表情で怒りを抑えていた。噂は速く、村の半分は彼女を反逆者の令嬢と見做し、半分は珍しい都会の客人を面白がって覗き込んでいる。誰も彼女の持つ小箱に注目していない──それが妙に危うかった。

泥雨が町道を磨いた翌朝、行商の屋台が早々と軒を並べる前に、セレネは捕縛されていた。王都から来たという疲れた布の裂け目に家紋が半ば泥を被っている。彼女は顔に皺を寄せずに、むしろその表情で怒りを抑えていた。噂は速く、村の半分は彼女を反逆者の令嬢と見做し、半分は珍しい都会の客人を面白がって覗き込んでいる。誰も彼女の持つ小箱に注目していない──それが妙に危うかった。

「これを見ろ」

村の徴税役が太腿に置いた槍の先で小箱をくるりと回す。木箱の蓋は蝋で封印され、封印の上に打たれた五角の金属札は、表面に細い字が刻まれていた。箱の持ち主はセレネだ。彼女は静かに、その小さな手を引き寄せた。指先に泥が入っても気にとめない。彼女の声は、意外なほど低く、しかし確実に通った。

「家族への反逆の証拠です。これがあれば、私の名誉は取り戻せるはずです」

徴税役は笑いをこらえきれず、周囲の噂がざわつく。ガルドは眉を寄せ、噂の流れを読むように周囲の人間を見渡した。僕もまた、その場から距離を保って彼女の所作を観察した。前世の癖だ。誰かの言葉をそのまま信じるのではなく、言葉の裏を、所作の癖を、指先の震えを見抜くこと。証拠と供述の齟齬があれば、真実はそこに隠れている。

「家族の反逆をでっち上げたのは、宰相府の命令です」

セレネはゆっくりと言った。声の端に涙はなかった。村人の一人がそれを聞いて嘲笑した。「都の女が大げさな陰謀を語るだろうよ」と。だが僕は聞き逃さなかった。彼女の言葉は、自分の潔白を主張するだけでなく、誰かの指名を含んでいた。誰かが彼女の一族を攻撃し、罪を捏造した。動機は分からないが、用意周到な偽装である可能性は高い。

「証拠を見せてください。あの箱の中身を、こちらで確認したい」

僕は平然と提案した。徴税役は顔をしかめ、権威にすがるように言った。「王都の令嬢の箱を、村の無名者が勝手に開けて良いものか」だが僕は、言葉を重ねた。「証拠を公開しないまま裁くのは、村人の感情の暴走だ。誰かの命運を左右するかもしれない。まずはここで箱を開き、中身を確かめる。見せるのは彼女で、被害者の代表と召し合わせて確認を取る。それだけで公平性は担保できる」

徴税役がため息をつく。人の心は、理よりも感情で動く。だが示された理路は、村人の半分には響いた。箱は払下げ台の上で、蝋蓋が指先で割られた。蝋が砕け、封印を外すと、静かに二枚の札と紙片が現われた。札は五角形の黒い金属で、表面には細かな字が刻まれている。紙片は役場の名前と数字がいくつか明記され、誰が歳入に手を付けたかを示しているようだった。

だが──僕の手が札に触れた瞬間、左腕の内側を、いつもの小さな振動が通り抜けた。前の夜、ガルドの罪を受け取ったときと似て非なる感触だ。微かに、別の時間の明かりと影が瞼の裏にちらついた。狭い路地、角の軒下で囁かれる女の声、そして子どもの泣声。腕の輪は、小さく震えただけで済んだが、その振動に心が一瞬乱れた。僕は手を引っ込め、肺の奥で息を整えた。

「どうかしましたか?」

セレネは顔を上げた。僕の一瞬の変化を見逃さなかった。だが彼女に不安は見えず、ただ確固とした決意がある。泥で汚れた指先が、封印の跡を撫でている。彼女は箱から一枚の紙を取り出し、村の長の前で指示的に広げた。そこには宰相府の印章、すなわち都の官吏が発した命令書の類にある輪郭が見える。偽造の匂いは僕にも分かった。紙の角は新しい。印の押し方は大雑把だ。だが、それを作った者が確かに存在することも示している。

「この紙が本物なら、あなたの潔白は証明されます」

長が言った。だがセレネはそれで満足しない。肩にかかった薄い布を掴み、口を開いた。「本物です。ですが、本物でなくてもかまいません。私は、家族の名誉を取り戻すためだけに来たのではない。法そのものを、変えたいのです。過去にあった暴力があっても、それが見えなくなるのを防ぎたい。私の目標は、私の無実ではない」

その言葉に村の空気が沈む。法を変える。没落貴族の令嬢が、失われた家名を取り戻すためでなく、制度に手を入れるという。傍観するだけの庶民が、少しだけ顔を上げる。僕はその瞬間、彼女の中に単なる潔白主義ではない、政治家としての種を見た。だが同時に、彼女の家族の「他者に対する行為」についての言葉があまりにも軽いことに気づく。家名を守るため、ごまかしてきた過去があるのではないか。誰もが白か黒かで割り切りたがるが、真実はそこにないことが多い。

「あなたが法を変えるというなら、まず身内のことを明かしてください」僕は静かに言った。「潔白を証明するだけでなく、一族の中で誰が何をしたかを示してください。でなければ、あなたの法改正は一族の名誉回復に終わる危険があります」

セレネの瞳が鋭く光った。そこに恨みと安堵が混じる。彼女は一度だけ、唇を噛んだ。やがて小さな箱を肩に抱え直し、ひとつ決心したように周囲を見渡した。

「私の家には、確かに隠された事がある」彼女は言った。「私が知っている範囲では、それは支配的な一部の者の暴力と搾取です。貧しい者を借財で縛り、村を私兵で押さえ、反対者を静かに遠ざけた。だが私は、その全てを知っているわけではない。私は令嬢として育てられた。見せられた部分だけを見て、目を逸らすように育てられたのです」

その告白は小さな裂け目を作った。それまでの彼女の主張が単純な潔白の訴えで片づけられなくなる。村の人々はさざめき、何人かは顔を背ける。ガルドは黙したまま下を向き、僕は筆記帳に文字を走らせる。セレネは自らの矛盾を認めたのだ。彼女は自分の家を守るための嘘と、法を変えるという理念の間で揺れている。そこが肝心だった。政治家たる者は、自分の過去の影響をどう扱うかで、その後の道が決まる。

「私の望みは、家族を庇うことではない」セレネは続けた。「しかし、もし私が全てを白日の下に晒すならば、家族の未熟な人間は捨てられる。私は彼らを守りたい。しかし、それは被害者を再び脅かす理由にはならない。僕は――ではなく、私のやるべきことは、きちんと帳簿を開き、誰が何をしたかを明らかにすることです」

彼女の声が震えたのはその瞬間だけだった。それは、嘘ではない。僕は彼女の言葉の細部を確かめるために、訊ねた。

「帳簿はここにありますか? それを公にする意思があるか。誰が被害者に謝罪し、賠償をするのか。あなたが望む法改正は、何を目指しているのか」

セレネは一枚の羊皮紙を取り出した。それは粗末な筆写帳の一部で、いくつかの名と金額、場所が記されている。だがそこに、二つの名前が重ねているのが見えた。一つは彼女の一族の名、もう一つは徴税役の名前に似ていた。目を凝らすと、印章の一部が擦れて、文字が溶けている。改竄の跡だ。世の中は痕跡で出来ている。改竄はしようと思えば出来るし、隠蔽にはいつも手紙と印と金が必要だ。

「改竄の痕跡です」僕は言った。「これは内部の者の手で消された。誰かが帳簿を操作し、見せしめを作ろうとした。あなたがこれを持ち出すということは、あなたの一族の中に反省もしくは分裂があるはずだ。あなたはそれを開示できますか?」

セレネの胸の内にあるものが震えた。彼女