祝卓の王子 第18話「第16章」
会場は、王都の旧貯蔵庫を改装した広間だった。天井には幾重もの梁が走り、そこから古い提灯がぶら下がり、低い光が石の床を斑に照らしている。四方には役人と兵、民衆の代表がぎっしりと詰めかけ、中央には大釜が据えられていた。釜の脇には、欠けた白皿の破片が幾つか組み合わされて作られた台座があり、その上に黒光りする壺が置かれている。壺の口からはふっと冷たい空気が漏れ、塩の匂いが渋く鼻についた。
会場は、王都の旧貯蔵庫を改装した広間だった。天井には幾重もの梁が走り、そこから古い提灯がぶら下がり、低い光が石の床を斑に照らしている。四方には役人と兵、民衆の代表がぎっしりと詰めかけ、中央には大釜が据えられていた。釜の脇には、欠けた白皿の破片が幾つか組み合わされて作られた台座があり、その上に黒光りする壺が置かれている。壺の口からはふっと冷たい空気が漏れ、塩の匂いが渋く鼻についた。
ヴァルドは、いつもの薄笑を浮かべて壇上に立っていた。彼の周囲には幾人かの宰相派の兵が控え、手にした羊皮紙には朱の印が押されている。その視線は冷たく、広間の期待と不安をまるで楽しむかのように巡っていた。
「今日ここに集まってもらったのは、混乱を終わらせるためだ」ヴァルドは声を張った。彼の言葉は厳格で、布告のように響いた。「我々は長すぎる間、分断に苦しんだ。願いがばらばらであるとき、国は守れない。だが一つの味、一つの判断を与えれば、争いは終わる」
その言葉に、石壁は答えなかった。ただ空気が一瞬静止し、集まった人々のざわめきが耳の奥で止まる。大釜の側で、黒い塩壺の蓋がゆっくりと開けられ、中から蒸気のようなものが立ち上る。蒸気は白い霧にならず、ぎゅっと詰まったような暗い光を帯びていた。
リオネルは壇上から離れ、兵卒の列を縫って前へ進んだ。彼の胸にはまだ、地下保存庫で見た子どもたちの顔が残っていた。ミナは彼の側で、帳面を握りしめていた。ユルグは刀の柄に指を置いたまま、しかし刃を抜くことを拒んでいた。彼らの視線は壺の中身に釘づけになっていた。
ヴァルドは釜の側へ身を寄せ、手を震わせることなく壺から塩を掬い取り、鍋へ投入した。その塩は粒というより薄い結晶のようで、光を吸い込み、錆びた光沢を放った。ひと掬いごとに、場内の空気が重くなっていくのが分かった。誰もがそれを嗅ぎたくはない匂いだった。人によっては、幼い頃に感じた空腹の匂い、逃げた夜の匂い、家の火が消えたときの煙臭さがよみがえるように感じた。
「さあ、始めよう」ヴァルドは観衆に向かって宣言した。「これは祝いではない。治療だ。望まぬ欲を切り捨て、均質な国民を作る──そのための一歩だ。王家の器を──我が手で清める」
彼は台座に手を伸ばし、欠けた白皿の破片を取り出して釜に投げ入れた。その破片は、ゆっくりと鍋の中で回りながら、黒い塩と合わさって奇妙な光を放った。瞬間、食材の周囲に──三重の金色の輪が現れた。だがそれは、これまでリオネルが見た三輪とは違っていた。輪の色は濁り、速度は同調しておらず、やがて三つがぎゅうと押しつぶされ、一つの重たい輪へと潰れていく。輪の中心に黒い核が生まれ、そこから低く、鈍い共鳴が広がった。
音が吸い取られるように、広間の音が薄れていく。提灯の炎が瞬き、遠くで心臓の鼓動だけが大きく聞こえるようになった。人々の表情が変わる。歓迎していた者は顔を引きつらせ、好奇心だけで来た者は手で口を押さえた。兵の一列で一人、唇を噛みしめて震え始める者がいた。幼い代表の顔は青ざめており、もう一歩も前へ出られないという顔をしている。
「これで我々は──」ヴァルドの声は静かだった。だが言葉は釜の中に呑まれてゆき、代わりに一つの感情が縫い付けられて広間を満たした。それは「恐怖」だった。料理の周囲を回り、誰かの記憶を拾っては、血のように濃い苦味へと変換する。人々の願いも、記憶も、志も、ひとつの黒い味へと磨り潰されていった。
しかし――それは完全な統一ではなかった。三輪が潰れたからこそ、味は同じ形に整ったのではない。むしろ、それはねじれた統一だった。志向は揃っても、内容は腐っていた。幼い女の子がふいに叫んだ。叫びはひとつの共鳴に乗り、隣の老農が涙を流しながら怒号を上げた。人々は互いの目を見て、相手の痛みを自分の苦味として嘗め取るような動きを見せた。ひとりが泣けば、群れはそれを嫌悪と恐怖に変え、互いに押し合った。
ミナの顔が青ざめた。帳面を抱えた手が震え、ページの角が擦り切れる音が聞こえた。遠くで兵が膝をつき、顔を覆った。ユルグは刃の柄を握りしめ、抑えきれない衝動にかられて前へ出ていきそうになったが、代わりにその手をぎゅっと握り直した。彼の目には、復讐の炎と、恐怖で塗り固められた群集の中にいる弱い者たちの顔が交錯していた。
リオネルは、ここで何をすべきかを瞬時に判断した。能力を使えば、あの黒い輪に返り討ちにされた願いを、何らかの形で取り戻すこともできるかもしれない。だが能力の発動条件を満たすためには、相手の「自発的な一口」を待たねばならない。だがここは強制の場だ。無理矢理口を割らせ、無理矢理一口を与えることにより、発動条件を壊し、祝福を暴走させる危険がある。もしリオネルが今、自らの舌を差し出して釜の中を嗅ぎ、介入すれば、彼の味覚は代償を払って働くだろう。だがその代償は、結果的にもっと多くの味覚を失わせ、また別の犠牲を生むかもしれない。彼は言葉だけで止めなければならない。
「やめてくれ!」リオネルは声を張った。彼の声は、壇上の薄笑を破るように広間を突き抜けた。「これは強制だ。誰かに食べさせて、意志を奪って輪を作ることは、祝福ではない!」
ヴァルドは静かに彼を見下ろした。「王子の言葉だな。だが果たして、お前は国を守りたいと言えるのか。いや、守るとはどういうことかを分かっているか。選択など、弱者に与える贅沢に過ぎぬ」
「選択は贅沢じゃない。生きる権利だ」リオネルは拳を固めた。「誰かに一口を強制して得る統一は、我々が守るべきものを殺す。誰が何を選んだか──それを尊重することこそが、この国を繋ぐ方法だ」
場内に、揺れる視線がひとつ、ふたつと集まっていった。小声が走り、兵士の列の間からざわめきが漏れた。ヴァルドは不快そうに眉を寄せた。「口先だけの理屈だ。人々は食い物で動く。恐怖と不足を管理すれば、秩序は保たれる。混乱を放置しては、国は滅ぶ」
その瞬間だった。釜の縁に置かれていた小さな陶壺の蓋が、誰かの袖のはらいで落ちた。壺の中の黒い塩がひと粒床へ零れ、石に触れた瞬間に――床の亀裂のように走る暗い模様が、微かに輝いた。模様は人の目には見えない波紋となり、近くにいた一人の年老いた兵の胸を貫いた。彼は手を胸に当て、声にならない唸りを上げた。だがその唸りは怒声へと変わり、彼は前へ一歩踏み出した。
「待て」その兵は、かつて部下として服した者たちの名をひとつひとつ呼び上げ、低い声で謝罪を始めた。彼は過去の命令で辺境の民を見捨てたことを語り、皿を取り分ける手が震えた夜を思い出していた。兵の言葉は罵詈雑言ではなく、謝罪だった。それは波紋のように隣へ届き、隣の者もまた口を開いた。「私もだ」「私も命令に従った」「申し訳なかった」――群衆の中から、静かな声が積み重なっていく。
ガイルはその兵をじっと見ていた。彼は、刀を柄から引き抜くことなく、肩を落としていた。重圧に押しつぶされそうな顔だ。やがて、ガイルはゆっくりと前に進み、釜へと近づいた。周囲の兵は一瞬、身構えたが、彼を止める者はいなかった。ヴァルドはその動きに苛立ちを隠せなかった。
ガイルは釜の前に立ち、声を震わせず言った。「